羽生善治五冠(当時)「そんなところはいかにも彼らしい」

将棋マガジン1994年1月号、羽生善治五冠(当時)の「今月のハブの眼」より。

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 この”今月のハブの眼”は1ヵ月の対局の中から3局4図で説明する形になっているのだが、今月は特別に2局4図とする。

 と言うのも、ある一局が自分で言うのも変だがとても良い将棋だったので2図だけではもったいないと思ったから。

 その一局は10月11日に行われたJT将棋日本シリーズ準決勝、郷田真隆五段との一戦。

 日本シリーズは全国12ヶ所を転戦して行われる。

 この一局は博多で行われたのだが、この地は今期王位戦が終了した場所、やりやすいような、やりにくいような複雑な心境だった。

 さて、将棋の方は私の四間飛車、郷田五段は左美濃という形になった。1図はその序盤戦だが、私はもしかしたら作戦勝ちなのではと思っていた。

  

 何と言っても6筋の位が大きく、いつでも△8五歩の玉頭攻めの楽しみがある。

 そして、この局面で会場のお客さんへの次の一手が出題されたのだが、その手を発表された時はほとんどの人がびっくりしただろう。

 対局者である私も本当に驚いた。その一手とは▲7五歩、この一手は部分的には大悪手なのだが、全体を見ると最善手なのだ。

 以下、△7五同歩▲2四歩△同歩▲同角△2二飛▲3三角成△2八飛成▲1一馬(途中1図)と進行した。

 こうなってみると▲7五歩の意味がはっきりして来る。

 次の▲7四歩、▲6四香、▲5五馬がとても厳しい。

 ちなみに1図で▲7五歩を当てた人はほとんどいなかった。

 ▲7五歩も▲2四歩△同歩▲7五歩でも結果的には同じなので、後者を選べば正解者は多かったかもしれない。局後、郷田五段は会場のお客さんにそのことをあやまっていた。

 そんな所はいかにも彼らしい。

 さて、2図がその終盤戦。

 終盤と言ってもまだ65手しか指しておらず、いかにこの将棋が激しい流れで進行しているか解るだろう。

 ▲8三銀とはいかにも良さそうな手だが、これが最善手ではないのだから将棋は難しい。

 最善は▲7三歩成△同銀▲7四歩で、これも難解な変化はあるが先手が勝ちとなる。

 本譜はチャンス到来となったのだが解らない。

 残り時間をすべて使って結論が出ないまま、△8三同銀▲7三歩成の時に詰ましに行ったのだが、これでは詰まない。

 それではどうすれば良かったのか。正解は△5九銀!これで後手の勝ちだった。

 ▲5七玉なら△7八竜▲8二角△6二玉▲7二銀成△5一玉▲6一成銀△4二玉で後手玉は不詰め、先手玉は一手一手となる。

 ▲5九同金なら△8三銀として、▲7三歩成なら△7六桂▲7七玉△8八銀▲同金△同竜▲7六玉△8七竜以下即詰み。▲7九銀なら△7四銀として自玉が鉄壁になるため後手の勝ち。

 いずれの変化も後手に軍配が上がるのだ。

 残り少ない持ち時間で△5九銀を発見するのは不可能に近いので、ここに書いているのは結果論かもしれないが、実戦の終盤には△5九銀のような素晴らしい一手が潜んでいるのだ。

 本譜は先手玉が詰まなかったのだが、郷田五段が合駒を間違えて、再びチャンスがやって来た。

 3図がその局面で、私はきっと何かあるだろうと思っていた。

 しかし、将棋ではそう思って勝ちになるわけではなく、具体的な手順を示さなければ勝ちにならないのだ。秒読みに追われて着手した△6七竜が敗着となってしまった。

 3図で△4六香と打てば詰んでいた。

  • ▲3七玉なら△6七竜▲2六玉△2五歩以下、
  • ▲3八玉なら△5八竜▲2七玉△2六歩▲1六玉△2四桂以下、
  • ▲4六同桂なら△同歩▲同玉△4八竜以下、

 どれもそれほど難しくない詰みだった。

 △4六香も頭には浮かんだのだが、いかにも上部へ脱出されてしまいそうだったので読みをすぐに打ち切ってしまった。もうこのあたりは指運の勝負なので、どうこう言ってもしょうがないのかもしれないが、2図の△5九銀は発見できなくとも、3図のは秒読みでも詰まさなければ。

 切にそう思った。

 結果的には負けてしまって残念だったけれども、内容的には初手から終局まで無駄がなく、充実した一局だったと思う。毎局これぐらいの将棋が指せれば良いのだが。

(以下略)

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「自分で言うのも変だがとても良い将棋だったので2図だけではもったいないと思ったから」

「結果的には負けてしまって残念だったけれども、内容的には初手から終局まで無駄がなく、充実した一局だったと思う。毎局これぐらいの将棋が指せれば良いのだが」

自分が敗れた対局でも、このように思って積極的に解説する羽生善治五冠(当時)。

勝敗ももちろん大事だが、それに優先する将棋の内容。

このような姿勢こそが羽生五冠の将棋に対する向き合い方なのだと思う。

棋譜は二人で作り上げるものなので、相手である郷田真隆五段(当時)の指し手も、初手から終局まで無駄がなく充実していたということになる。

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「この一局は博多で行われたのだが、この地は今期王位戦が終了した場所、やりやすいような、やりにくいような複雑な心境だった」

王位戦七番勝負の対局相手であり、目の前にいる郷田五段の気持ちを思ってのことだろう。

郷田真隆五段(当時)「京都のお寺をお参りして帰ります」

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「その手を発表された時はほとんどの人がびっくりしただろう。対局者である私も本当に驚いた。その一手とは▲7五歩、この一手は部分的には大悪手なのだが、全体を見ると最善手なのだ」

▲7五歩のような手と出会えた喜びが強く感じられる。

本当に嬉しそうだ。

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「後者を選べば正解者は多かったかもしれない。局後、郷田五段は会場のお客さんにそのことをあやまっていた。そんな所はいかにも彼らしい」

奨励会同期で、昔から郷田五段のことを知る羽生五冠。

たしかに、とても郷田九段らしいと思う。