羽生善治五冠(当時)「棋士を夢見た時から名人を目指して来ましたので、感慨無量です」

将棋マガジン1994年8月号、駒野茂さんの「新名人・羽生善治にインタビュー」より。

八王子市の自宅にて。将棋マガジン同じ号より。

 名人位の交代劇があった2日後の6月9日に、東京都八王子市の実家でくつろいでいる羽生善治新名人を訪ねた。

 JR西八王子駅から車で20分ちょっとのところにある羽生邸。この日はあいにくの雨で、玄関先に着いてから服についた雨ツユをパタパタ払っていると、その音で気付いたのか羽生名人が玄関のドアを開けてくれた。そして開口一番、

「遠いところまで、わざわざすみませんでした」

 こう言われて恐縮してしまった。本来ならこちらが、激闘のあとでお疲れのところを時間を割いてもらいまして、と言うところなのに。

 羽生名人の人柄を感じた。

 平日ということもあり、家にいたのは母親のハツさんだけ。「おめでとうございます」と挨拶すると「ありがとうございます」と、本当に嬉しそうな声だった。

 羽生名人を日頃から見ているが、やはり家にいる時はいつもと違い、のんびりくつろいでいるな、と感じた。それは話していてよく分かる。とにかくよく笑顔を見せるのだ。屈託なく。

 いいムードで話が弾んでいたので、そろそろかなと思い本題に入った。

―今回の名人戦を振り返っての感想を聞かせてください。

羽生「第1局は米長先生が様子を見にきたという印象があります。御機嫌うかがいという感じがしました。終わったから言うわけではありませんが、勝ってもそんなにどうということはなかったですね」

―第2局は前評判から、七番勝負のキーポイントになるんじゃないか、と言われていましたが。

羽生「そうですね、一番だと思います。この将棋は内容的に見て負けていてもおかしくなかったですし、米長先生の本局に賭ける意気込みをすごく感じました。大きな山場でした。シリーズを通して一番終局が遅かった(午後10時26分)というのも印象強く残ってます。2日制のタイトル戦でこれほど夜遅くまで指したのは初めてでしたし、将棋も苦しかったのでさすがに疲れました」

―第3局、米長名人の不出来な将棋でしたね。

羽生「そう、ですね。いわゆる力戦の将棋でしたが、こちらの方が陣形的にもまとめづらかったので慎重に進めたことが功を奏したのだと思います。あんなにうまく行くとは思ってもみませんでした」

―これで3連勝。一気に名人位に王手をかけたわけですが、この辺りの心境は?

羽生「3勝して、名人位を意識しはじめました。こんなに早くあと1勝になるとは思ってもいなかったので。普段の生活では、将棋のことは考えないんですが、時々頭をかすめるんです。それと、周囲の反応が違いました。ある雑誌社からは、『勝ったら取材させてください』と言われたりしましたので。気にしないようにしようとしても、すぐ思い出して」

―食生活に変化は?

羽生「特に変化はありませんでした。朝は食べないこともありますが、自炊します。メニューはパンとハムとチーズの組み合わせで、ヨーグルトかジュースかコーヒーのどれかをその日の気分で飲んでます。軽めの食事です。昼に一番食べるほうで、家の近くにある飲食店のランチですませます。夜も外食です」

―迎えた第4局でしたが。

羽生「完敗でした。▲6七玉と上がる手を気付いていませんでした。これで将棋は終わっています。今期の名人戦はいろいろな戦法を使おうと思ってました。中原流相掛かりはやってみたくて採用したのですが、この戦法は中原先生にしか指しこなせないですね(笑)」

―そして第5局は群馬県伊香保温泉「福一」で。

羽生「1日目から集中力に欠けていて、リズムがうまく取れませんでした。判断力も鈍っていて。難しいと思ったところから5手ぐらい進んで全然駄目だというのが分かってあきれたぐらいですから。夕食休憩に入らなかったのは、形勢がハッキリしたのが理由です」

―3連勝後の2連敗。イヤなムードが漂い始めましたが。

羽生「北九州での第6局は、これが最終局のつもりで戦いました。と言うのは、これを負けたら勢いからして勝てないと思ってましたから」

―将棋の内容はどうでしたか?

羽生「第2局と同じ戦型。本当はすべて違う将棋を指そうと思っていたのに、段々やる戦法がなくなってしまって。将棋ファンのみなさん、どうもすみません。内容のほうはこのシリーズで一番良かったと思います。駒も前に前にと進んでいましたし」

―控え室では終盤の▲7一角に「エー」という驚きの声をあげていましたが。これじゃ米長名人が駄目だと。

羽生「そうですか?▲7一角は勝負手で、こう指して来るのではないかと思ってましたけど。▲8八同金と歩を払うのはきわどいですけど一手勝ちと読み切ってましたし、他の手でも勝ちかな、と。それよりもあとで気付いたことで、まだ盤に並べて確認はしてないんですけど、△8六歩と突いた時に▲7一角なら相当難しかったんじゃないでしょうか。△8八歩が入ってないから△8九歩成とは出来ないし。となると、いつでも△8六歩▲同歩の交換を入れられたのに、最悪のタイミングで突いたことになるんですよ。調べてみてこれが本当なら、背筋が冷たくなります。夕食休憩後、パッパッと進め過ぎました」

―米長名人が投了された瞬間の気持ちは?

羽生「米長先生が何と言って投了されたか覚えてないんです。序盤の構想とかを米長先生が言い始めて、その時にドッと取材の方が対局室に入って来てそれで勝ったのかな、と思ったぐらいですから。よく覚えてないですけど、ホッとして舞い上がっていたと思います」

―対局中、名人位を意識しはじめたのは?

羽生「終盤ですね。夕休に入っても食欲はなくて食べられなかったです。夕休過ぎの着手がしっかり出来ず、押さえつけるように指しました」

―新名人誕生で、色々な取材を受けたと思いますが。

羽生「対局終了後もありましたし、翌日のNHKのニュースで放映(7時からの)したいと言われまして、打ち上げのあと寝ないで出ました。寝たかったんですけど、寝ると熟睡してしまうほうなのでモーニングコールぐらいでは目覚めないんです(笑)」

―話は変わりますが、今一番したいことは?

羽生「旅行ですね。仕事の関係もあって日本国内で行ってないのは5県ぐらい。福井と島根の山陰方向に興味があるので行ってみたいです」

―愛車でですか?

羽生「車はドライブで身近なところを走る程度です。買ってから2年近く経つのに1万キロ走ってませんから(笑)。旅行は電車の方がいいですね。それもローカル線を各駅停車で。10時間ぐらい乗っていても苦にならないし、時刻表を見ているのは楽しいですよ。でも、行ってみたいと思っても、なかなか時間が取れないですよね」

―そうこう話していると昼時も過ぎていて、お母さんが昼食にとうな重を出してくれた。二人でそれを食べながらまた色々な話を。ファンの方ならずとも気になる結婚のことには。

羽生「う~ん。相手がいませんし(笑)、今のところは考えてません」

―先ほどの一番やってみたいことの他に、趣味とか日常でしているスポーツは?

羽生「1ヵ月ぐらいかけて北海道一周をしてみたいですね。まぁ、これも無理でしょうけど。趣味、スポーツですか。英会話は今も続けてますし、本を読むのは好きですね。スポーツは水泳、週1回は泳ぐようにしてます。第6局の1日目に、ホテルに隣接した室内プールで泳ぎました」

―えっ、タイトル戦の最中に泳いだんですか。泳いでいて、周りは騒がなかったですか?

羽生「えぇ。気付かれてなかったと思います。最近ですが、周りの人が気付いているな、というのが自分で分かるようになって来まして、その気配を感じませんでしたから」

―将棋の話に戻りますが、今回米長名人と番勝負をして、どんな感想を持ちましたか?

羽生「人間性、勝負感など、たくさんのことを吸収出来たと思ってます」

―名人というものの思いの丈を。

羽生「棋士を夢見た時から名人を目指して来ましたので、感慨無量です。あと1勝で、というところまで来て、日頃の生活がうまく出来なかったのも名人位の重みだと思います。他のタイトルとは違うムードがあります。あるプロゴルファーの方とお話をする機会がありまして、将棋とゴルフのお互いの世界のことを色々と話したのですが、ゴルフにもこれはというのがあるそうです。日本オープンは雰囲気が違う、と。この話を聞いて、どの世界にも特に違うものがあるんだなぁ、と気分的に楽になりました」

―現在五冠王、七冠制覇については?

羽生「この将棋(名人戦第6局)が1年間指し続けられれば夢ではないですね(笑)。正直なところ、七冠を目指せるのは体力のある若い時しかありませんので努力していきたいです」

―最後に、名人になっての抱負を聞かせてください。

羽生「名人になってこれで終わりではないですから、これからですね。普及にも、先輩の棋士の方々が努力していますので、出来る限りのことはしていきたいです。特に若者たちに将棋の面白さをアピールしたいです。将棋はある程度まで理解出来るようになってからが面白いんです。ですが、動かし方を覚えてからそこにいくまでが一番の課題なんです。それを続けてもらえるように努力していきたいです」

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「3勝して、名人位を意識しはじめました。こんなに早くあと1勝になるとは思ってもいなかったので。普段の生活では、将棋のことは考えないんですが、時々頭をかすめるんです」

羽生善治九段にもこのような時期があったのかと意外に思えてしまう。

逆に考えると、この言葉を意外と思ってしまうほど、いかに羽生九段が名人をはじめとしてタイトルをたくさん取り続けたり守り続けたりしてきたかを、あらためて強く感じさせられる。

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「特に変化はありませんでした。朝は食べないこともありますが、自炊します。メニューはパンとハムとチーズの組み合わせで、ヨーグルトかジュースかコーヒーのどれかをその日の気分で飲んでます。軽めの食事です。昼に一番食べるほうで、家の近くにある飲食店のランチですませます。夜も外食です」

パンとハムとチーズの組み合わせ。サラダや生野菜など、健康的とされているものが入っていないところに、個人的には非常に好感が持てる。

この半年ほど前には、朝はご飯を炊いて味噌汁と焼き魚も作っていたとのことだが、やはり大変なので、そうもいかなくなったのだろう。

「朝は自炊。ご飯も自分で炊きます」

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「夕休に入っても食欲はなくて食べられなかったです。夕休過ぎの着手がしっかり出来ず、押さえつけるように指しました」

羽生九段が駒をグリッグリッと盤に押しつけるように指すことがあるが、その起源はこの時にあるのかもしれない。

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「対局終了後もありましたし、翌日のNHKのニュースで放映(7時からの)したいと言われまして、打ち上げのあと寝ないで出ました。寝たかったんですけど、寝ると熟睡してしまうほうなのでモーニングコールぐらいでは目覚めないんです(笑)」

羽生五冠は、この夜は麻雀をやって寝ないようにしていた。

近代将棋1994年8月号のグラビアでは、次の写真とキャプションが載っている。撮影は炬口勝弘さん。

 前夜は一睡もせず娯楽室で、明け方まで雀卓を囲んでいた新名人。朝刊、一面の自分の写真を見せられて照れる。

徹夜のあとの朝の写真は、将棋世界1994年8月号に掲載されている。撮影は弦巻勝さん。

徹夜麻雀明けとは思えないほどの清々しさ。

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「う~ん。相手がいませんし(笑)、今のところは考えてません」

この3ヵ月後に、畠田理恵さんとの出会いがある。

羽生善治五冠(当時)と畠田理恵さんの出会い

一般的に考えても、「今のところは考えてません」という言葉が、いかに短期的なもので終わる可能性が高いかということを示している好事例と言えそうだ。

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「棋士を夢見た時から名人を目指して来ましたので、感慨無量です」

この言葉は、聞いているほうも感慨無量になれる言葉だ。

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七冠制覇について「この将棋(名人戦第6局)が1年間指し続けられれば夢ではないですね(笑)。正直なところ、七冠を目指せるのは体力のある若い時しかありませんので努力していきたいです」

ここから1年以内に七冠になったとしても凄いのに、六冠を1年以上保持してそれから七冠になったのだから、凄さの桁が違う。