団鬼六さんの好きな観戦記、嫌いな観戦記(後編)

近代将棋1994年4月号、団鬼六さんの鬼六将棋面白談義「酔いどれ三流文章論」より。

 東先生は作家が段々、観戦記を書かなくなったことを嘆いているみたいな所がありますが、僕はね、作家が観戦記を書く時代はもう終わりやと見てるんです。昔は作家の中にも将棋バカに属するのがいて、そんなのは、ほんまに将棋が好きで、対局旅館に入ったかて、新聞社や連盟の待遇がええとか悪いとか、そんなもん全然、気にせんと、たとえ記録係の少年と一緒部屋にされたかて文句いわず、その少年相手に片懸賞の将棋を深夜まで指し続けるノホホンとしたタイプがいた筈です。

(中略)

 昔は将棋好きの作家というのはそれほど熱気があったものです。ですから、将棋に対する愛情の深さから、作家の手による観戦記も熱の入ったものになっていました。

 現在の作家というのは将棋や棋士に対するのめりかたは希薄で、交流も皮相的であり、昔のように棋士に対するタニマチ精神などは全く欠落してしまってるんです。新聞社の待遇とか、接待の不行き届きなんか無視して、おい、お前ら、俺についてこい、と、棋戦関係者を外へ連れ出して豪遊させてくれる。そんな将棋好きの作家に観戦記を依頼する方がスジというものですが、ま、昔みたいにそういう線の太い作家はおらんようになりましたな。

(中略)

 マガジン3月号で、「われらフリーの観戦記者」で座談会やってるフリーの将棋ライターにせよ、こと、将棋に関して彼等よりしっかりした観戦記を書ける作家がいるとしたらお眼にかかりたいものですわ。

 観戦記というものはこういう見解で展開するもんやと思うのです。

  1. 説明と解説で展開させる観戦記
  2. 事実と実例で展開させる観戦記
  3. 論理と定義で展開させる観戦記
  4. 自分の意見と感想で展開させる観戦記

 この4つの内で作家が出来たのは4だけなんです。僕かて、今まで将棋雑誌に何やかんや書かせてもらいましたけど、結局、4だけしか出来んわけで、だから、とても観戦記というものは書けんわけで、そやけど、1回だけ、産経の記者に頼まれて棋聖戦の予選、準決勝というものの観戦記者を面白半分に勤めてみた事があります。それで、もうあんなのは二度と御免やと1回でケツ割りました。

 一応、記録係の横に座るのがスジであるように付き添って来てくれた産経記者に教えられて坊主頭の記録係の横に座ったのですが、この少年はすぐに立ち上がって私にお茶を出してくれました。

 一手位、指す所ぐらいは見て腰を上げねばと思っているのに30分近くなるが両棋士とも、盤上に手を出そうとはしない。何時まで待たせる気か、ともいえないし、少年が持ってきてくれたおやつのお煎餅をポリポリ噛み始めると、そのポリポリが気になるのか、二組ばかりの別の対局者が一斉にこっちへ眼を向け、僕はとうとう居たたまれなくなって、口の中の煎餅を一気に呑みこみ、這うようにしてその場から退散してしまいました。

 二人の将棋を見たというのはその時のわずかな時間だけで、後は記者室みたいな部屋に入って奨励会員と将棋を指したり、それでもまだ時間がかかりそうなんで、閑な棋士を誘って外へ出て一杯やっていたら、産経の記者がようやくかけつけて来て、対局は終わったという。酔った顔を出すとまづいから感想戦に立ち会うのは遠慮しておく。というと、感想戦に立ち会わない観戦記者っていますか、いますか、と、産経の記者は呆れたような顔をするのでした。

 その感想戦は随分と時間がかかりそうで、とてもつき合いきれず、僕は後ろから感想戦中の塚田八段にそっとメモを手渡して、その場から逃げ出してしまったのです。

 いや、はや、朝10時に始まった対局が夜の9時に終了する。観戦記者というものはその間、対局者につかず離れずして、状況を性格にメモし、感想に終始立ち会って、解説の記事を分量を定めて何回かに分けて新聞に連載する。観戦記者というのは、これはプロの将棋によっぽど愛着を感じとる人間やないと出来ん職業であって、僕なんか、人一倍の将棋バカですがとても、こういう仕事は辛くてやってられません。何が、辛いかというと、ここには虚構の世界が全くないからなんです。虚構するのが、作家の本領なんですから、作家の観戦記が面白いとしたならばそれは作家が得意の手を使っているからなんです。だから、僕なんか作家の書く観戦記というのは別の評価で見るわけで、僕みたいにここまでどっぷり将棋に浸ってしまうと、技巧を駆使しようとする作家の観戦記なんて好きになれない。やっぱり、表現の技がまづくとも、面白くなくとも、観戦記者の書く観戦記というものが本物だと思うのです。

 もう、とっくに缶ビールのロングサイズ、3本は空けてしまいました。いい気持ちに酔ってしまって関西弁とチャンポンになったり、主語の私と僕もチャンポンになったりして、本当にすみません。

 それから、さっき、感想戦から逃げて帰る時、塚田八段に渡したメモなんですが、それにはこんな事を書いておいたんです。

 「祝、勝利。初めて書く観戦記というのをやったが、俺にはとても無理なようだ。疲れたから帰る。すまないが只今の一局、適当に解説してすぐに送ってほしい。棋譜の解説さえあれば大丈夫。あとは適当にうまくごまかして見せるから」

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「何が、辛いかというと、ここには虚構の世界が全くないからなんです。虚構するのが、作家の本領なんですから、作家の観戦記が面白いとしたならばそれは作家が得意の手を使っているからなんです。だから、僕なんか作家の書く観戦記というのは別の評価で見るわけで、僕みたいにここまでどっぷり将棋に浸ってしまうと、技巧を駆使しようとする作家の観戦記なんて好きになれない。やっぱり、表現の技がまづくとも、面白くなくとも、観戦記者の書く観戦記というものが本物だと思うのです」

団鬼六さん渾身の文章。

作家から見た「作家が書く観戦記」、非常に明快かつ鋭い切り口だ。

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作家が作家としての強みを活かして書ける観戦記は、”自分の意見と感想で展開させる観戦記”と団鬼六さん。

私は、どのような展開の作品であっても、面白ければ大歓迎という考え方だ。

私の中で最上級に好きな観戦記のひとつが、作家の故・原田康子さんの観戦記。

原田康子さんが書いた観戦記「王座戦第4局 谷川浩司竜王 対 羽生善治王座」(1998年)は第11回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門部門賞(現在の大賞)を受賞している。

原田康子さんの観戦記

女性作家ならではの視点、印象的でありながらも実写的に生々しく描かれる両対局者、勝負の哀感を増幅させる情景描写、さりげない書き方なのに全体に溢れる情感。

悲しいシーンはないのに、不思議と涙がこぼれてきてしまう観戦記だ。

盤側につくのは二度目になる。十年も前の王位戦で専門誌に盤側記を書くため、二日にわたって盤側で観戦した。(中略)このときの対局者のひとりが谷川浩司であった。

あれから十年。私が古稀(こき)をむかえたごとく、谷川の上にも十年の歳月が流れた。それは大震災に遇い、一時は無冠にもなった歳月である。谷川の前に常に立ちふさがっていたのが、羽生善治であったろう。

は、私の中では伝説となるような名文。

ずっと盤側についていた原田康子さんが描く最終盤。

谷川と羽生の口から呷(うめ)きがもれだしたのは、秒読みがはじまってからであろう。どちらが先に呷きだしたのか、わからない。気がつくと、二人の呷きが耳にはいっていた。

十年前の王位戦でも対局者の呷きを聞いた。はじめての体験であったから、私は少なからず衝撃を受けた。大の男が、もしくは青年が、呷き声をもらすとは夢にも思っていなかった。長時間にわたるタイトル戦の苛酷な側面を感じとらずにはいられなかった。羽生と谷川は、最後の気力をふりしぼって戦っている。それが、呷きとなって二人の口からもれる。谷川の額には汗が浮び、たえず白い手ぬぐいで口もとを押さえる。羽生も呷き、肩であえいでいる。

終局ぎりぎりの対局室は、修羅場そのものの切迫した空気に充たされる。呷き声に免疫があったとしても慣れることはできない。盤側についていても息苦しくなる。

沖の漁火はふえ、数珠つなぎにつらなって輝きを増している。目前で戦う両棋士の姿に引きくらべると、漁火は現実のものとは思えない。幻を見ているかのようだった。

(以下略)

このような観戦記が、作家ならではの観戦記のひとつのケースなのだと思う。