羽生善治六冠(当時)「僕はまだ24歳ですからね。まだ、そこまでは」

昨日の続き。

将棋世界1995年8月号、「羽生善治にロングインタビュー『六冠王とは一種のつらい人生』より。記は団鬼六さん。

将棋世界1995年8月号より、撮影は弦巻勝さん。

団 あの本にも書かれていましたが、将棋というのは基本的に理数の世界になるんでしょうか。

羽生 ええ、まあ、棋士になる人は大体、子供の頃から理数系に強い人のようです。将棋は数学のようにはっきり答えの出せるものですから。

団 となると、僕みたいにガキの頃から数学は落第点ばかりとってたのは失格という事になりますが、しかし、僕はどうも将棋を数学的には考えられないんです。どっちかというと文系のものじゃないかと。文壇の大御所の菊池寛が愛棋家であった事は有名ですが、文壇名人戦というものがあるでしょう。数学者というのはたまに顔を出しても大体がヘボですよ(笑)。

羽生 そうですね。アマの場合は文系の方にファン層は多いようですね。将棋の序盤・中盤・終盤が小説の場合の序章・終章といったものに当てはまるところがあると思うんです。数学畑の人がヘボばかりとは思えませんが、やはりゲームですからどこかミステリアスな所があって、そこも数学的に割り切る事ができるのですが、勝負のかけひきというものは数学的に割り切れないものがあります。文学畑の人に将棋好きが多いのは数学的なものよりミステリアスな所にひかれるんじゃないかと思いますね。

団 成程、推理作家に将棋好きが多いのはそういう事なんでしょうな。羽生さんが初めて将棋と出会って興味を持ったというのはやはり数理的な興味からなんですか。

羽生 ええ、まあ―僕の家族は将棋には無関係で、近所の将棋好きの人に教わったのが始めるきっかけなんですが、数理的なものとゲームの面白さが一つになっている所が興味をひきましたね。

団 はあ、僕の場合はですね、小学生の頃映画を見ていて、入江たか子の滝の白糸なんですが、水芸人の入江たか子が浴衣がけで縁台に座って足元の蚊を団扇でパタパタ追っ払っているシーンがあったんです。浴衣の裾が乱れて白い脛がニューッと出て、その時、入江たか子が着ていた浴衣の模様が将棋の駒だったんです。将棋の駒模様というのが如何にも玄人の色気を出すものだと知ってポーッとなりましてね、それが将棋に凝る事になったきっかけみたいになって―まあ、色気から将棋に入っていったようなものですが。

羽生 将棋を始める動機というのは色々あると思うんですけど、団先生みたいに色気から入ったというのは珍しいと思いますね(笑)。

団 僕らのガキの頃には将棋を題材にした大衆小説とか映画が多かったんです。いわゆる伝奇物というんですが角田喜久雄の風雲将棋谷、山手樹一郎の将棋大名といった手合いのもので。

羽生 ええ、聞いた事あります。

団 その風雲将棋谷というのは、映画では阪東妻三郎がやはり将棋の駒模様の着流し姿で登場するんです。遊び人である事が将棋の駒模様にはっきり出ているんですね。こりゃあ恰好いいなと思って成人してから僕、将棋の駒模様の浴衣、随分と作りましたよ。

羽生 推理小説の中で僕も何本か読んだ事ありますが、将棋の駒には何か夢が描けるんですね。

団 そう、確かに夢が描けます。指し方を知らない子供の頃でも飛車とか角とかの駒をいじって様々な空想した事があります。こういう駒模様が和服に似合うような艶やかな女を将来手に入れたいものだな、なんて。

羽生 随分と早熟な子供だったんですね(笑)。

団 女といえばこの間、週刊誌に畠田さんでしたか、羽生六冠王の恋人か、というのを見た事がありましたが、あれは本当なんですか。

羽生 ハア(笑)、大体マスコミはオーバーに書き立てるもので、そういう記事も人に教えられて、へえーと驚いているんですけど僕はあまり週刊誌なんて読まないんです。自分の事が書かれていても滅多に見ないですね。

団 将来をいいかわした仲なんて事は嘘っちゅうわけですな。

羽生 僕はまだ24歳ですからね。まだ、そこまでは。

団 でも、24歳であなたみたいに大成しちゃうとある意味では孤独を感じることはありませんか。一寸、女の子とデートするという事も出来ないでしょう。少し女の子と口をきいただけでもマスコミに知れると何やかや憶測で書かれちゃうし。

羽生 ええ、それはありますね。自分の行動が個人的な事だって誰かにじーっと観察されているような気味の悪さがありますね。孤独になりたいと思っても孤独になり切れない孤独といったものなんでしょうか。

団 タイトル戦で地方へ行った時など、帰りに取り巻きの一行と離れてどこかのひなびた温泉場で女の子と待ち合わせて二人きりになりたいと思ったことはありませんか。

羽生 ええ、まあ、それはありますよ(笑)。でも、それは当分の間は不可能だと思っています。

団 以前、箱根にね、つたやという温泉旅館がありまして大分、昔ですが僕は原稿を書くとき、ここの離れになっている個室を使ってたんです。そこに木村名人の掛軸がかかっていて、つたやの社長の一寸変わり種の弟さんとここでよく将棋を指したのですが、彼に聞くとその掛軸は木村名人がお忍びで女性と投宿した時につたやのために書いてくれたものだというのです。恐らく戦前の木村無敵時代だったと思うのですが、愛人とお忍びで温泉旅館に投宿して旅館に書を書き残すというのは木村名人らしい粋さが感じられますね。戦前はこうしたのんびりした余裕があったんですが―。

羽生 今だったらマスコミに袋だたきにされますね(笑)。木村名人はそうした粋なエピソードが多くあったように聞いていますが―。

団 特に、結婚の前には男は或る程度、女遊びもやらかさにゃいかんと思うんですよ。今じゃ何でもマスコミに金縛りにあって、羽生さんみたいに若くして大成してしまうと結婚する事によって禁欲生活からようやく解放されるって事になるんじゃないかな。

羽生 考えれば何だかわびしい話ですが(笑)、昔の棋士は師匠なり先輩なりから将棋以外の人生的な色々な事を見たり聞いたりして身につけていったと思うのです。僕等の場合は将棋一筋で、まあ、その修業につぐ修業というか、おかげで将棋では中だるみの状態がなかったんです。わき目をふらず一気にここまで駆け抜いて来た感じで、気がつけばこういう状態になってしまったわけで、団先生の若い頃みたいなナンパする時代というのは置いてけぼりになっているんですね。まあ、考えれば有り難いと思ってるわけで、その内、のんびり遊べる時代が来る時もあると思うんですが。

団 いや、もうここまで来ればそれは不可能でしょうね。何も無理に遊ぶ必要はないけれど、大体、棋士というのは卵時代から普通の青年層とは少し違ったところがあって、いや、これは今の青年層全体の感じなんですが、僕の家に以前よく、奨励会員が遊びに来ていたんです。そんな時に一度、ポルノ女優の愛染恭子が遊びに来ていてしばらく喋り合って帰ったのですが、その後で彼等に彼女の印象を聞いてみると、なかなか性格がいいですね、というのです。年収はどれ位あるんでしょう、なんて聞くんですね。アホかと思いました。僕等若い時やったら愛染のおっぱいの形がいいとか、ケツの恰好がいいとか、そんな事しか話題にしなかったもので、ポルノ女優の性格みたいなものどうでもよかったのですが(笑)。

羽生 そうですね、奨励会時代というのは僕だってそうなんですが、まあ、ネットワーク型というか、一種のお宅族みたいな所がありましたからね。この種の人間というのはポルノ女優だからって普通に突っぱねて見る事が出来ないんです。性格分析から見ちゃうんですね。

団 いや、棋士の卵だけじゃなく、リコーやプロセスの若いアマ強豪だって、対局が終わって打ち上げの席で僕が猥談やったってニコリともしないんですよ。あの時、3三歩が悪かったとか、あそこは2五桂と打つべきだったとか、酒の席になったかて将棋の話を延々と続けるんですね。将棋をやる人間はネクラだと以前、将棋雑誌をやっていた時の女編集長がよくいってましたが、成程と思う事もありますね。その点で僕はアマ・プロ問わず、若手というのは苦手でして、まあ、酒席で猥談を語り合えるような米長先生とか内藤先生みたいなおっさん棋士とは気が合うわけで―。

羽生 ええ、わかります。内藤先生は特に傑作だと思いますね(笑)。内藤先生が立会人となったタイトル戦は楽しいですよ。打ち上げが楽しいんです。よくあんな面白い話が出来るものだと感心しますね。将棋の疲れがいっぺんに消し飛んだ思いになります。

団 関西人特有のユーモアがあるでしょう。何時だったか、酒の席でもし僕が連盟の会長になったら団さんに色々と相談に乗って貰いたい事があるというのです。何や、と聞くと、会長になったら大阪から東京に出てマンションを借りんならん。単身赴任という形になるわけやが、そのときに東京妻というものを持つ必要があると思うんやが、うちのカミさんに内緒にして、あんたに手配お願い出来るか(笑)。もちろん彼の冗談ですけど、そんな事がポンポン歯切れよく飛び出してくるんですわ。

羽生 ええ、とにかく一緒にいると楽しくなっちゃうんでネアカの代表みたいな方ですね。

(つづく)

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「ええ、まあ、棋士になる人は大体、子供の頃から理数系に強い人のようです。将棋は数学のようにはっきり答えの出せるものですから」

カルチャーセンターの子ども将棋教室に通う小学生に得意科目を聞くと、算数という子が圧倒的に多い。

算数を得意な子は将棋にも興味を持ちやすい、ということは言えるのかもしれない。

ただし、そこから強くなるかどうかは、理数系に関係なく本人次第ということになる。

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団鬼六さんが小学生の頃に将棋に凝るきっかけとなった『滝の白糸』は、1933年制作の溝口健二監督によるサイレント映画。原作は泉鏡花の『義血侠血』。

「滝の白糸」については、以前このブログでも書いているが、あまりにも切ない悲恋の物語で、目が腫れてしまうほど泣ける映画。

→ 義血侠血

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「将棋の駒には何か夢が描けるんですね」

非常に素晴らしい言葉だし、24歳の羽生善治六冠(当時)が言うからもっと素晴らしくなる。

ただ、どんなに将棋が好きな人でも、将棋の駒が描かれた浴衣やアクセサリーなどは別としても、盤上の駒に夢を描ける境地に達するのはなかなか難しいと思う。

私など、盤上の駒を見ても盤上での心配事しか頭に浮かんでこないわけで、夢を描くなど、夢のまた夢。

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「その掛軸は木村名人がお忍びで女性と投宿した時につたやのために書いてくれたものだというのです」

時代背景もあったのだろうが、木村義雄十四世名人も、更には関根金次郎十三世名人は木村十四世名人を上回るほどのプレイボーイだった。

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「女といえばこの間、週刊誌に畠田さんでしたか、羽生六冠王の恋人か、というのを見た事がありましたが、あれは本当なんですか」

団鬼六さんならではの鋭い質問だ。

この対談が行われたのが、羽生六冠婚約発表の約1ヵ月前。プロポーズの約2ヵ月後。

「僕はまだ24歳ですからね。まだ、そこまでは」など、羽生六冠のとぼけかたが面白い。

羽生六冠は婚約記者会見で、「日頃から、結婚はまだまだ先と言っていたのに」と記者に突っ込まれたのに対して、「自分のいい加減さが分かりました(笑)。恋愛のことは、いくらウソを言ってもいいという言葉があったので、それを採用しました」と答えており、とぼけながら心の中では物凄くニヤニヤとしていた可能性が高い。

明日の記事で出てくるが、この対談の終盤では、自身のことを「女の子一人、満足に口説けない人間をですよ(笑)」とも話している。

羽生善治六冠(当時)婚約記事

その反面、「自分の行動が個人的な事だって誰かにじーっと観察されているような気味の悪さがありますね。孤独になりたいと思っても孤独になり切れない孤独といったものなんでしょうか」は本当の実感だったろう。

 

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