近代将棋1996年1月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
谷川王将、Xさん(棋士。特に名を秘す)と夕食。週刊将棋に出ていた1994年度の「序盤4手パターンの勝率」が話題になる。
記事によると、例えば▲2六歩△8四歩▲2五歩△8五歩は先手の勝率が低く(四割六分)、逆に▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩は先手の勝率が高い(五割七分)そうだ。
序盤の4手で優劣を判定できる人はいない。また実戦では逆転勝ちもけっこう多い。だから序盤の4手と勝率を比べて「意味」を引き出すのは難しいが、それでもなかなか興味深いデータではある。
谷川王将「10年くらいさかのぼって調べたら、もっと違った結果が出るかもしれないけど……」
私「序盤の分かれとの関係が数字に出れば面白いですけどね」
こんな話をしていたら、Xさんが突然「勝率に一番悪いのは、夫婦ゲンカですよ」。これには笑ってしまった。「まさか対局前夜にケンカはしないでしょう」と聞くと、「しますよ。対局日の朝にすることだってある」。ウーム。
もっともXさんは、奥さんに何を言われても「はいはい、僕が悪い」と受け流しているそうだ。「まともに応戦したら大変なことになるからね」。
谷川さんとこは知らないけど、池崎家では、こんなことはあり得ない。だから私はXさんに「ガマンするのは次善手ですよ」と言ってやった。
「最善手はリコンです」。いや、もちろんジョークですけどね。
* * * * *
近代将棋1996年3月号、池崎和記さんの「福島村日記」より。
某月某日
福島区の居酒屋でマージャン仲間の忘年会。東七段、脇七段、浦野六段、森六段、伊藤五段、平藤四段、鹿野女流初段。棋士以外はマージャンプロの青野滋さん、作家の黒川博行さん、詰将棋作家の水上仁さん。
棋士たちに「池崎さんが近代将棋に書いてたXさんって、だれですか」と聞かれる。
新年号の本欄に、”勝率に一番悪いのは夫婦ゲンカです”とXさんが言った、と書いた。そのXさんはだれ、というわけだが、私は口が堅いから、教えない。
あの話については他の棋士からも同じ質問を受けた。例えばZさんは「ウチの嫁さんに”あれはアンタちゃうの”と聞かれましたよ」と言っていたけれど、これにも当然ノーコメント。
というわけで、いつの間にか棋士たちの”女房孝行”が宴会の話題になった。みんなセッセと家庭サービスに努めているらしい。買い物も炊事も掃除もやってる、という人もあれば、半々ずつ、という人もいる。
半々ずつ、はいいけど、それ以上はやってはいけない、と私は思うけれど、関西の棋士はみんな奥さんにやさしいんやね。とてもマネできない。
* * * * *
将棋は、メンタルなことも影響すると思うので、前夜~当日朝の夫婦喧嘩は、たしかに勝負に響いてしまうに違いない。
あまりにも思い出したくないほどまでにエスカレートすると、救いのある世界は対局だけになり、かえって対局に集中できる、と考えることもできるが、夫婦喧嘩をしていなければ、そもそもはじめから対局に集中できるわけで、やはり夫婦喧嘩は起こさないに越したことはないだろう。
* * * * *
「ウチの嫁さんに”あれはアンタちゃうの”と聞かれましたよ」が可笑しい。
* * * * *
「勝率に一番悪いのは、夫婦ゲンカですよ」
飲んでいる席でもあり、これはノロケだった可能性もある。
Xさんは誰なのか。