鈴木大介四段(当時)「しかしこれは震えていた私を怪獣モードに入れ替えるには、充分すぎるほどの心変わりだった」

将棋世界1996年8月号、鈴木大介四段(当時)の第15回早指し新鋭戦決勝戦〔対 阿部隆六段〕「初出場、初優勝の記」より。

将棋世界1996年8月号より、撮影は中野英伴さん。

 プロ棋士の対局には常に持ち時間が用意されており、長い対局で各6時間の持ち時間、短い対局では、今回の様に各10分というのもある。

 私はプロの中でも早指しの方なので(考えるより先に手が出てしまうほど早いのダ)、この早指し新鋭戦は初出場ながら、かなりチャンスはあるのではないかと思ってはいた。しかし、まさか決勝まで残るとは、自分の予想をはるかに上回る結果となった。

 決勝までの将棋の内容は、ご覧になった方も多いとは思うが、とにかく苦戦の連続であった。

 そして決勝戦。とにかくこのチャンスを活かしたい。その一心で盤に向かっていった。

(中略)

四間飛車VS急戦

 振り駒の結果後手番になった私は迷わず四間飛車の作戦に出た。決勝まで勝ち上がるまでもずっと四間飛車できていたし、最近居飛車も指す様にしているのだが、やはりここ一番の将棋では、この戦法が私にとって一番安心でき、そして信頼できる戦法の一つなのだ。

 対する阿部六段は、居飛車でも振り飛車でもなんでもこなすオールラウンドプレイヤーなので、組み上がるまで、どの戦法で来るのか全く分からなかったが、▲3六歩~▲5七銀左で急戦模様という事になった。

 なんでもない様な序盤戦だが、私の△5四歩が誘いのスキで「仕掛けられるものならやって来い」という手である。

 果たして気合の良いタイプの阿部六段、少考の末、遂に強気に▲3五歩(1図)と仕掛けて来たのだが……。

1図以下の指し手
△同歩▲4六銀△4三銀▲2五歩△3四銀▲2四歩△同歩▲同飛△4三金(2図)

作戦成功

 今までの振り飛車は、途中▲4六銀の時△3六歩と突き、▲4五銀となるのが定跡であったが、▲4六銀に△4三銀が新しい受け方。以下▲2五歩に飛車先を受けず△3四銀~△4三金が力強い受けで、2図は振り飛車がかなり作戦勝ちを収めていると思った。

 しかし将棋は、優勢を勝ちに結び付ける事が非常に大事な事で、この将棋もここから阿部六段の猛チャージが始まり、形勢も混沌として来るのだ。

2図以下の指し手
▲5五歩△4五歩▲5七銀引△2三歩▲2六飛△5五歩▲6六銀△5二飛(3図)

安全勝ちが一番危ない

 先手の阿部さんも▲5五歩から暴れて来るが、△4五歩~△2三歩と安全運転で△5五歩とまた歩を取る。▲6六銀には△5二飛とまた守り、ここで封じ手となった。

 休憩の間はどうやってこのリードを守り切ろうかと考えていたが、この考えが良くなかった。勝負事はなんでも守りに入るとつい後手後手を踏む事が多い。形勢が良い時こそ、攻めて勝たなければいけなかった。やはり決勝のプレッシャーからか弱気になっていた様な気がする。

(中略)

駒が泣いている

 消極的になった自分はもう元には戻れない。最終手△4四金(4図)の所では、まだ△2五歩と行きたかった。以下▲同桂△2二飛▲3三桂成△2六飛と大きく捌いていれば優勢であった。本譜の△4四金では駒が歪みすぎて勢いがまるで感じられない。「月下の棋士」の氷室将介の言葉を借りれば「あんたの駒が声を出して泣いているじゃないか、早く助けてやれよ」と言う所か……。

 ただその時の私は、ただただ安全にさえ指せば勝てるという信念を持ったただの震えている人にしかすぎなくなっていた。

(中略)

遂に目覚める

 △3五銀から目標である飛車を取ったものの、もはや優勢とは言えない局面になっている。△3九飛~△1九飛成はただ普通の手を指そうとしているにすぎない。まだ何かに怯えていたのだ。そして▲4二銀(5図)と遂にきびしい手が回って来た。

 しかしこの好手▲4二銀が震えていた私を目覚めさせるのだから勝負とは分からない。この銀を打たれた瞬間、私は負けを悟った。それと同時に体内の震えが止まり、それが怒りに変わって来たのだ(何でこんなに丁寧に指して来た自分が負けるんだ。ふざけるな)。もうこれは八つ当たりでしかない……。しかしこれは震えていた私を怪獣モードに入れ替えるには、充分すぎるほどの心変わりだった。

 次の瞬間、私は急に先手陣に襲いかかっていったのである。

5図以下の指し手
△5五角▲同銀△同飛▲5九歩△8四香▲4四角△8五飛▲7九桂△5六歩▲同銀△4六歩▲7七桂△3四金▲1一角成△3五飛▲3八歩△3六歩▲5三角成△3七歩成▲3五馬△同金▲3七歩△5七歩▲同金△6四桂▲6五銀△4八銀▲6六馬△5九銀成▲6八金△4七歩成▲同金△5八成銀(6図)

攻めあるのみ

 怒った怪獣になった私は、△5五角と強気に出た。以下▲5一銀成とくれば、△9九角成▲6一成銀△8九馬▲同玉△6九竜▲7九飛と進めるつもりであった。最後の▲7九飛が最強の合駒でこれはこれで難しいと思う。本譜は▲同銀△同飛▲5九歩となりゆったりとした流れになったが、私は攻めるのをやめなかった。というより頭に血が上り、攻める手しか見えなくなっていたのだ。

 以下の手順は読んで指していたのではなく本能のおもむくまま指し続けていたにすぎない。特に最後の△5八成銀(6図)などは過激すぎる危ない寄せ方で今考えるとゾッとするが、この一手でもこの時の私の心理状態が分かって頂けると思う。しかし、この場合はこの手が一番速い寄せだった様である。

6図以下の指し手
▲同金△6九角▲6八玉△5八角成▲同玉△4六歩▲4八金△7九竜▲5九歩△4七金▲同金△同歩成▲同玉△5九竜▲4六銀△4五金打(7図)

寄せ切る

 勢いというものは恐ろしいもので、本譜は一見強引な寄せに見えるが、ぴったり寄り筋に入っていた様だ。阿部さんも▲5九歩から最後の粘りに出るが、自玉のまわりに守り駒が全くいなくなっては受けようがなくなった。

 ▲4六銀の受けには△4五金打と手厚く攻めるのが当然とはいえ好手である。

 阿部六段も何が何だか訳も分からないうちに寄せられてしまったという感じだったことだろう。

7図以下の指し手
▲3五銀△同金▲4六金△5八銀▲3八玉△4九竜▲2八玉△4六竜▲4一飛△3六歩(投了図)  
 まで、130手で鈴木の勝ち。

初優勝を果たす

 ▲3五銀~▲4六金には、今度は持ち駒が金から銀に変わっているので、△5八銀が成立してしまった。

(中略)

 投了図以下は、受けるなら▲3八金ぐらいだが、以下△3七歩成▲同金△同竜▲同玉△2五桂と迫っていけばあとはどこに逃げても金2枚あるので詰みだし、▲7一角と無理矢理詰ましに来ても最後に▲4四馬と出れない形(4六竜がきいている)なので自玉もまず詰む事はない。ここではハッキリとした勝ち筋である。途中▲4二銀と打たれて負けを覚悟してからは、まさにその数手前とは別人の様に、手が伸びる様になり、なんとか再逆転で勝利を得る事が出来た。

 戦いが終わり、しばらくは夢の様な時間であった。二上会長から表彰状を受け取り別室で打ち上げとなったが、自分が最後の謝辞で何を話したか喜びのあまり、何も憶えていない。自分の心の中では、何かをやりとげた解放感で一杯になっていた。

これから……

 今こうして原稿を書いているとまたこの時の喜びが蘇ってくる。これからは、もっと将棋をきたえて強くなり、またこの様な檜舞台で戦える様頑張っていきたいと思う。

解説は阿部隆六段(当時)の弟弟子の佐藤康光八段(当時)。将棋世界1996年8月号より、撮影は中野英伴さん。

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2図のようなドキドキするような受け方があることを初めて知る。

良い意味で、妖しさにあふれる振り飛車らしい順と言えるだろう。

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「休憩の間はどうやってこのリードを守り切ろうかと考えていたが、この考えが良くなかった。勝負事はなんでも守りに入るとつい後手後手を踏む事が多い。形勢が良い時こそ、攻めて勝たなければいけなかった」

将棋では、この言葉がほとんどの場合、正しいと思う。

仕事の場合は、80%正しいだろう。

私生活の場合は、あまり当てはまらないかもしれない。

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「消極的になった自分はもう元には戻れない」

「あんたの駒が声を出して泣いているじゃないか、早く助けてやれよ」

この言葉は、指している時に、折に触れて思い浮かべると良いのかもしれない。

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「何でこんなに丁寧に指して来た自分が負けるんだ。ふざけるな」

「しかしこれは震えていた私を怪獣モードに入れ替えるには、充分すぎるほどの心変わりだった」

まさしく勝負師魂。

「以下の手順は読んで指していたのではなく本能のおもむくまま指し続けていたにすぎない」

△5五角から、師匠の大内延介九段が乗り移ったような、怒涛の攻めが繰り広げられる。

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「戦いが終わり、しばらくは夢の様な時間であった。二上会長から表彰状を受け取り別室で打ち上げとなったが、自分が最後の謝辞で何を話したか喜びのあまり、何も憶えていない。自分の心の中では、何かをやりとげた解放感で一杯になっていた」

鈴木大介九段の若き日の1ページ。

この文章を読むと、自分のことではないけれども、希望が湧いてくるような気持ちになれる。