大山康晴十五世名人最後の自戦記(前編)

大山康晴十五世名人が亡くなる半年ほど前に書かれた、大山康晴十五世名人にとっての最後の自戦記。

将棋世界1992年4月号、大山康晴十五世名人のA級順位戦〔大山康晴十五世名人-高橋道雄九段〕自戦記「勝負師の心得」より。

 昨年の12月23日に退院した時には、正直なところ、この病気が今後どうなるのか、不安感も少しはあった。何しろ切り取った後の患部がどうなっているのか、目では見えないのだから。

 また、対局に復帰することについても、お医者さんの見解では「朝から夜まで長時間にわたって同じ姿勢をとり続けなければならないので、ちょっと難しいのではないか」というものだった。

 しかし、将棋を指すということは、私にとっては体力的なことも含めて一番よく分かっている仕事であり、また一番楽しみな仕事でもある。じっと同じ姿勢で続けることも、長年やってきたことでもあるし、私自身はできるのでは、と思っていた。

 退院後は、体力の回復にこれ努め、午前中は犬を連れての散歩、午後は自宅で静養の毎日。そして1月20日の復帰第一戦、棋聖戦の勝浦修九段戦を迎えたのであった。

 この第一戦、気持ちの上では、好きな将棋が指せる、一番楽しみとしている仕事が再びできる、という嬉しさが先立っていた。

 はっきり言って、勝ち負けよりも、体力的にやれるかどうかを自分自身で実際に確認する、こちらの方にウェートが置かれていたのは事実だ。

 その対勝浦戦の結果は、「振り飛車実戦集」にある通り、終盤読みに今ひとつ突っ込みを欠いたため、残念ながら敗局となってしまったが、何とかこれで対局が続けられる、と手応えが感じられたことは大きかった。

 疲労がまるでないと言えば嘘になるけれど、体重うが減った分、逆に足には負担がかからなくなったのか、シビれることがなく、この点は楽だったのが面白い。お腹の傷跡は、鈍痛的というか、まだ少し違和感があったが、術後2ヵ月を経てなかったのだからやむを得ないのだろう。

 そして復帰第二戦が、その8日後、高橋道雄九段とのA級順位戦であった。

可能性

 この戦いの前に、私の順位戦成績は3勝3敗。

 「僅かながら、まだメが残っているので、病み上がりなのに大変ですね」と、ある人に言われた。

 「そうなんですよね。まだメがあるので頑張らなければ」と、これが私の答え。

 しかし、その後の会話が、どうもチグハグで噛み合わない。おかしいと思っていると、その方の言われているのは、降級のメ、私の言っていたのは名人挑戦者のメ、だったのだ。

 A級陥落=引退、を心配して下さっての言葉で、それはそれで嬉しく思うのだが、後ろを気にするような消極的な姿勢、考え方は、勝負にとってマイナスであると思う。

 少しでも可能性が残されている以上、常に目標は高く前向きに置き、積極的に挑んでいかねば進歩はない。実際に物事を上昇志向で考え、捕える方が、好結果をもたらすことが多いと思う。楽観して足元をすくわれる、というのとはちょっと意味合いが違う。

 数年前、やはりA級順位戦で、最終局に桐山清澄九段と残留を賭けた一番を戦ったが、この時も、「負ければ落ちる」ではなく、「勝てばA級に昇るんだ」と自分自身に言い聞かせ、気持ちを切り替えることによって、好結果を生んだ経験もある。

手詰まり打開

 高橋さんとの戦いは、いつも大体こんな感じとなる。

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〔1図以下の指し手〕

▲7八飛△7二飛▲9七桂△3三銀右▲8五桂△8二飛▲8六歩△6二飛 (2図)

 私の振り飛車に、高橋さん得意の左美濃の布陣だ。ただこの戦型となった時、双方注意したいのは、往々にして手詰まり状態に陥ってしまう点だ。 

 本局は私の方から打開した。

 ▲7八飛と揺さぶり、△7二飛とさせてから▲9七桂~▲8五桂と跳ね出した順がそれ。俗によく言われる「桂馬の高跳び」だが、相手は歩を手にしていないので、すぐに殺されることはない。

 ただ、▲9七桂の後、直ちに▲8五桂でなく、▲7九飛~▲6九飛の形にすべきなのか、難しい所ではある。

長考の中身

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〔2図以下の指し手〕

▲3七角 (3図)

 復帰後数局指した感じでは、正直言って午後に入るとやや疲れる。本局の時には、昼休みに5分、夕休みに20分くらい横になって休んだ。

 局面を前に、有力な指し手はすく2、3手浮かぶのだが、将来の流れ、見通しを立てようと、根を詰めて考えると、頭がどうしてもボーッとなってしまう。

 2図で何と107分の大長考。ここ数年でこんなに時間を使った記憶がない。前述のような状態なので、少し休んでは考え、また休んでは同じようなことを考え・・・といった具合で、知らず知らずのうちに時間を使ってしまった。これが真相である。

 もっとも2図は、重要なポイントとなるべき局面で、100分以上もまるっきり無為にすごしていた訳ではない。

 ここで▲7五歩と突くのも有力な戦い方。以下△6五歩に、▲7四歩△6六歩▲7三歩成△6五飛▲6八歩と一本道で進む変化は、玉の堅さで負けているのでやや不満である。

 したがって△6五歩には▲同歩と応じることになるが、

(中略)

 しかし、これらの変化を踏まえた上で、いずれはここに出て使う角なので、▲3七角と出た。

有難かった一手

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〔3図以下の指し手〕

△5五歩▲4五歩△同歩▲7五歩△6五歩▲同歩△7五角▲5五角 (4図)

 3図では、△6五歩も有力な一手。▲同歩に△8六角と飛び出す。以下▲4五歩なら△6五飛▲6六歩△8五飛、これは後手のペース。

 したがって△8六角には▲6六銀と上がって飛車の走りを防ぐが、△6七歩が軽手で、▲5八金△8二飛となって難しい戦い。この変化で、後手が△6七歩と垂らさず、いきなり△8二飛は、▲8八飛△8五飛▲7七銀となって、これは先手優勢となる。

 ところが本譜、高橋さんの着手は△5五歩。

 本当のところ有難かった一手だ。▲4五歩に対する先備えの意味だが、こう突いてくれるのが分かっていたなら、先の▲3七角はノータイムで着手できた。

捌き合いに

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〔4図以下の指し手〕

△4六歩▲同角△6六歩▲7七飛△6五飛▲6八歩△8六角 (5図)

 4図では「△6五飛▲6六歩△5五飛▲同歩△8四歩も考えた」と、高橋さんの感想があった。以下、▲7一飛△8五歩▲8一飛成△4六桂―この桂が打てれば確かに後手の方が指せる形勢だ。

 しかし、▲7一飛と打たずに「▲3七桂△8五歩▲4四桂△4四銀▲4六歩で悪い」と、これまた感想があった。△4六歩で私の角の位置を変えさせてから△6六歩を利かせ、△6五飛~△8六角と高橋さんは大駒を捌いてくる。3三と5七、銀の位置が玉に近い分、後手の方が堅いので、捌き合いには注意を要する展開。

 5図、角に当てられた飛車をどうすればよいか?

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(つづく)

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大山康晴十五世名人は、この対局で快勝し、残る2局(対米長九段戦、対谷川竜王戦)にも勝って、プレーオフに進出することになる。

このプレーオフは4人によるパラマス方式によるものとなり、プレーオフ第1戦(対高橋九段戦)で大山十五世名人は終盤での明快な勝ち手順を逃し、惜しくも敗れている。(高橋道雄九段はプレーオフで3連勝して挑戦者になっている)

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2図からの▲3七角はなかなか思い浮かばない。

ついつい▲7五歩から攻めてしまいたくなるところだ。

本当に深みのある一手ということだろう。

この将棋では、大山十五世名人らしい手が随所に現れる。

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5図からの大山十五世名人の次の一手、当てるのはなかなか難しいと思う。