将棋世界1996年8月号、大崎善生編集長(当時)の「編集後記」より。
ある日、郷田六段が編集部に現れて「実戦で長考したその内容を将棋世界に書かせてもらえませんか」。もちろん大歓迎です。構想を固めて、秋から連載がスタートします。たった一手のなかに秘められたプロの膨大な読み筋が明かされるでしょう。
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将棋世界1996年11月号、大崎善生編集長(当時)の「編集部日記」より。
9月20日(金)
B1、B2の順位戦。昼食休憩時に郷田さんがゲラのチェックに現れた。第1回目から森下さんも絶賛の内容で、面白かった。プロの長考についての講座だけにやや高度になるかもしれないが、対局の雰囲気やプロの将棋の考え方は肌で伝わることだろう。
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将棋世界1996年11月号、郷田真隆六段(当時)の「長考をめぐる考察」より。
今月から、大崎編集長にお願いして連載を始めることになりました。
私がこれまでの公式戦で長考した局面をテーマにして、その局面からの読み、また、付随する変化の研究と考察などを書いていきたいと思っています。
自分なりにいいものが書けるようにと考えています。
宜しくお付き合いをお願いします。
さて、まず第1回は1図がテーマの局面です。
読者の皆さんも一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか?
相横歩取りと呼ばれる形で、数ある戦型の中でも最も激しい形です。
私が四段になったばかりの年、平成2年の12月、王座戦の対田丸七段(当時)戦でこの局面を迎えました。
先手の私は、次の一手を指すのに何と2時間57分の大長考です。
これは、これまでの私の長考でも一番の記録で、持ち時間5時間の対局では異例の長さと言えると思います。
途中の昼食休憩の時間も大半盤の前に座っていたので実質4時間近い大長考です。
この局面で私が考えていたのは一手だけ、▲7七銀だけでした。
他に▲7七桂も有力ですが、▲7七銀が自然で、これで良くなる筈というのが私の考え方でした。
というのも、元々私は相横歩取りの形は先手が有利と考えているのです。
▲7七銀と上がれば△7四飛▲同飛△同歩(2図)までは騎虎の勢いですが、そこでどう指すかが問題です。
このとき、私には温めていたある一手があるのですが(後述)その手ではなく、2図から▲4六角と打つ手が長考の多くの時間を占めました。
この▲4六角は、昭和60年の8月に(▲青野-△飯野・棋聖戦)青野九段が初めて指された一着です。
この手が、相横歩取り先手有利の決定版となる可能性もあり、私はその後深く注目していましたが、それから4年後の平成元年の12月に(▲谷川-△村山・全日プロ)村山五段(当時)が▲4六角以下の変化でこれも注目すべき新手を放ったのです。
2図から▲4六角△8二角▲同角成△同銀▲5五角△8五飛▲8六飛△同飛▲同銀△2八歩▲8二角成△2九歩成▲4八銀△3八歩▲8一馬△3九と▲同銀△同歩成▲同金に△5五角(3図)が新手です。
ここ△4五角が従来の手でしたが、これは▲6五飛(A図)で先手が有利と思います。
3図に至る手順で、後手が変化するとすれば▲4六角に対してですが、△8二歩は▲8三歩△8四飛▲8八銀△8三飛と飛車を使わせて▲9六歩で、また△7三角は▲同角成△同桂▲5五角△6五桂▲6六銀で先手良しと考えました。
そこでやはり問題なのが3図の局面です。
前述の▲谷川-△村山戦では、△5五角以下▲7二銀△3七角成▲6八玉△7六桂▲7七玉△5九馬▲7六玉△7五銀と進行して、先手勝ちに終わっていますが、この順は、先手としてあまりにも危険で、私は疑問に感じていました。
また、表現が適切かどうか分かりませんが先手を有利に導く手順としてはやや不自然な感じを受けるのです。
ここでは詳しい変化に触れませんが、(私自身深く研究していない変化なので)現在では、▲7二銀△3七角成▲6八玉は△7六桂で後手勝ちが定説のようです。
3図での私の第一感は▲6三馬で簡単に良しと軽く考えていましたが、改めて考えてみると▲6三馬以下△5二銀▲7四馬に一回△7三歩があることに気付きました。
ここ△3七角成は▲4八銀△1九馬に▲6四桂(B図)が急所中の急所で先手有利となりますが、当然とはいえ△7三歩が好手です。
この△7三歩(途中図)があったからこそ、私の長考も3時間近いものになったのです。
△7三歩以下は▲9六馬を主に考えました。そこで△9九角成としてくれればやはり▲6四桂で良いのですが、△3七角成があります。
以下▲4八銀△1九馬に▲2八歩か▲3七歩(C図)を考えましたが、▲2八歩には△3六桂や△3八歩、▲3七歩には△3六歩として、先手もそこで▲6四桂と打てるもののどこかで一本△7四香がいつでも効きそうな形のために、どうしても自信が持てませんでした。
長考の間、その辺りを何度となく考えたのですがついに先手良しの順を発見できず、2図からの▲4六角を断念しました。
最近になって、△7三歩に対して▲5二馬と切る手が実戦で何局か現れました。
私は、この対局のときに考えたのか、あるいはその後の研究で考えたのか、その辺りの記憶は定かでないのですが、▲5二馬は△同玉▲8二飛△6二飛(D図)で先手自信なしと考えていました。
この変化もここでは詳しく触れませんが、D図はやはりわずかに後手が良いと、私は思います。
また、▲4六角に対して本局の後に△6四歩、△8六歩の有力手段が発見されました。
もし私がその2つの手に気付いていたなら、長考の中身もまた違っていたものになっていたと思いますし、そもそも、▲4六角自体を深く掘り下げなかったかもしれません。
さて、本譜で私は長考の末▲7七銀と上がり、以下△7四飛▲同飛△同歩▲2八歩と進めました(4図)。
この▲2八歩が私が温めていた一手で、初めからこう指すつもりであればノータイムでも指せました。
2図をもう一度よくご覧ください。
後手には▲5五角と▲8三飛と打たれるキズがあります。
しかしそのどちらも直後に△2八歩や△2七角の反撃がある。ではそのキズを先に消して次に▲5五角や▲8三飛を狙ったらどうかというのが▲2八歩の意味です。
元々は、2図から後手の手番だと何が厳しいのかという発想から、▲2八歩の他に、▲5八玉なども考えていたのです。
それがある時、将棋連盟の記者室で斎田君(元奨励会三段)と将棋の話をしていると、彼がこの▲2八歩はどうですかというような意味のことを私に聞いたのです(この辺りの記憶は曖昧で正確なところは忘れました)。
それがきっかけで▲2八歩は実戦に登場することになったので、これは、正確には斎田君と私の新手ということになります。
さて、▲2八歩に対して同様に△8二歩と受ければどうなるのでしょうか。
△8二歩に対しては▲8三歩もあるところですが、▲9六歩(E図)が面白いと思います。
これに対して△1四歩は、▲9五歩から先手が一手早く、また、9筋は後手としても受けにくく、これは変化はあっても先手が指し易いと思います。
この△8二歩が効かないのが先手の自慢ですが、田丸七段は91分の長考の末△7二金と指されました。
この△7二金が流石に最善手で、私はまた長考を余儀なくされました。
△7二金に対しては一見▲5五角で簡単に先手がいいようですが、▲5五角には以下△8五飛▲8六飛△同飛▲同銀△3三角(△2二角もある)とされて、▲同角成は△同桂で失敗ですし、▲9一角成は△9九角成(F図)で一手負けの感じです。
F図に関しては、かなり突っ込んで考えましたが、やはり自信が持てず、58分考えて、結局▲5八玉に落ち着きました。
対して田丸七段も40分で△3三桂ですが、この△3三桂がわずかに疑問手だったと思います。
ここは▲5八玉に歩調を合わせて△5二玉(G図)としておけば一局の将棋だったと思います。
G図から私は▲8四歩を考えていましたが、次に厳しい手もなく(▲8三角と打ち込んでも△7三金で受かる)、後手も十分戦える将棋と思います。
本譜は、△3三桂以下▲3六歩で桂頭攻めを見せて△6二玉とさせ、▲2一飛(5図)となって先手やや有利になったように感じました。
それにしても5図(夕食休憩後の第一手、29手目)で既に残り24分は、我ながら驚きです。
5図以下は、△7三桂▲4一角△6五桂▲6六銀△8六飛▲8八歩△6六飛▲同歩△1二角▲3二角成△同銀▲4二飛△7三玉▲3二飛成△7八角成▲6五歩(6図)と大激戦ですが、時間がない割にはきびきびと戦っていて、若さと、懐かしささえ感じます。
実際この頃は、持ち時間が多くたくさん考えられることが嬉しく感じたものですし、時間がなくても全く平気に思っていました。
2時間57分の大長考は、本譜に関しては全く生きませんでしたが、盤上に現れない様々な変化を読んだことは、やはりその後にプラスになっていると信じます。
蛇足ですが、平成6年の王将リーグで(対村山七段戦)2図から▲7九金(H図)と指して(研究ではなく思い付きです)、結果幸いしました。
因みにH図から村山七段(当時)は△7五歩(好手)と指され、以下大変難解な将棋でした。
2図より▲2八歩、▲7九金、いずれもやはり本手ではないのか、先手有利に導く決定版とはならないのかもしれません。
最新の実戦では、3図以下▲7二銀△3七角成▲4八金△3九飛▲4九桂△4八馬▲同玉△3六桂▲5八玉△4九飛成▲6八玉(I図)と進んで先手が勝った将棋がありますがこれは研究課題です。
私には、この順もかなり先手が危険な感じを受けますが―。
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「私がこれまでの公式戦で長考した局面をテーマにして、その局面からの読み、また、付随する変化の研究と考察などを書いていきたいと思っています」
一人の棋士の読みをここまで克明に記した記事は、これまでなかったと思う。
なおかつ長考派の郷田真隆六段(当時)。
非常に画期的な内容だったと言える。
郷田真隆九段のすごさ、偉大さ、強さ、神秘さが凝縮されている。
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「この局面で私が考えていたのは一手だけ、▲7七銀だけでした」
1図の相横歩取りの局面。
ここで、▲7七歩、▲7七桂、▲7七銀と3通りの受け手があり、それぞれ実戦で1970年代初頭から指されているが、この場面での長考では決して▲7七歩、▲7七桂についても読んでいるのではなく、▲7七銀とした後のことを深く読んでいるというのだから、すごい。
私などがこの局面で▲7七銀をすぐに指さずに先の先を読んだら、▲7七銀とするのを忘れて先の先の手をついつい指してしまい、△7八飛成とされて真っ青になってしまうことだろう。
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「このとき、私には温めていたある一手があるのですが(後述)その手ではなく、2図から▲4六角と打つ手が長考の多くの時間を占めました」
温めていた手があるのにもかかわらず、▲4六角からの変化を深く掘り下げるのも神秘的だ。
考えるのが楽しくて楽しくて仕方がない、ということが伝わってくる。
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「時間がない割にはきびきびと戦っていて、若さと、懐かしささえ感じます」
この時の郷田六段は25歳。そして取り上げているこの将棋は19歳の時の一局。
若い真っ盛りの25歳でありながら19歳の頃を若いと感じるのは、それだけ大きな内面的な進歩があったということで、素晴らしいことだと思う。
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「2時間57分の大長考は、本譜に関しては全く生きませんでしたが、盤上に現れない様々な変化を読んだことは、やはりその後にプラスになっていると信じます」
目の前の勝負のことのみならず、将棋に対する探究心と好奇心。
このような積み重ねが、想像できないほどの大きな力になっていくのだろう。