羽生善治六冠(当時)「まつたけ!」

近代将棋1996年11月号、大矢順正さんの「棋界こぼれ話」より。

将棋世界1996年11月号掲載広告より。

将棋世界1996年11月号より。

 羽生善治六冠王と俳優の渡辺徹さんが、将棋を指している。

 羽生六冠王が「まつたけ!」と盤上に駒を打つ。「秋味ッ」と渡辺さんが秋味と書かれた駒を打つと、羽生六冠王が頭を抱えてギブアップ。羽生六冠王の最新コマーシャルのひとコマである。

 この両者がペアを組んだ「秋味杯アマプロペアマッチ将棋トーナメントがキリンビール横浜工場のレセプションホールで、将棋ファン約350人を招待して公開対局で行われた。

 プロ棋士は、羽生六冠王と奨励会入会の同期生、佐藤康光八段、森内俊之八段、郷田真隆六段に女流の清水市代四冠王に高橋和女流初段。

 アマ強豪陣は、渡辺さんの他に作家の団鬼六さん、俳優の森本レオさん、ピアニストの神野明さん、女性ではマジシャンの小林恵子さん、アマ女流名人の真壁栄理子さんの6人。

 CM組の羽生・渡辺ペア以外は、当日抽選で組み合わせが決められた。

 佐藤八段と真壁さん、森内八段と神野さん、郷田六段と小林さん、清水四冠王と森本さん、高橋女流初段と団さん。

 ペアが決まると早速、控え室で真剣に作戦会議が行われていた。

 対局の空き番ペアが大盤解説することになった。これが好手で、1回戦シードの羽生・渡辺ペアが最初の解説担当。

「大盤解説をするのは羽生六冠王とデブです」渡辺さんの解説に爆笑。その後も渡辺さんのユーモアたっぷりの聞き役に会場も羽生六冠王も大笑い。

 ペア将棋は交互に一手ずつ指し継いでいくルール。対局中は一切私語を交わしてはいけない。だからプロが指した手をアマが理解していないと、とんでもない手を指してしまう。

 それがペアマッチの面白さであるのだが…。大盤解説組がそれを茶化す。

 男性棋士陣は、同期生とあって気心が知れているから遠慮がない。

 アマ強豪陣は、棋力も拮抗しているから、難しい局面を迎えると、プロに教授を仰ぐことになる。対局中に2回、各1分の作戦タイムを取ることができる。

 ただし、作戦の内容は大盤の前で観客に聞こえるように行う。その間、対戦相手ペアはヘッドフォンをつけているから聞こえないようになっている。

 優勝宣言をした郷田六段・小林さんペアが作戦タイムを取ったとき、郷田六段は「先程、あの金を取ることは考えなかったですか?以下取って取られて…」と解説が始まった。次にどう指すかの作戦タイムなのに、それまでの将棋の解説が始まったので会場でも笑い声が。

 結局、次の手の結論が出ないまま作戦タイムが終了。それが災いしたか郷田六段ペアは1回戦で敗退。

(中略)

 息の合った高橋・団ペアが羽生・渡辺ペアを破る健闘で決勝戦へ。

 優勝候補が1回戦で敗退したことで会場は溜め息、溜め息。

「羽生さんを1回戦で消した犯人はボクです。ゴメンナサイ」と渡辺さん。

 決勝戦は森内・神野ペアと高橋・団ペア。森内八段の作戦タイムでの適切なアドバイスが奏功して優勝。

「アマチュアの団さんと神野さんは、実力伯仲で差はないが、私と森内さんとの差で負けました」と高橋女流初段。

 羽生六冠王ペアが敗退したことで、本邦初公開の清水四冠王との十冠王解説が実現した。これは、おそらく最初で最後の豪華組み合わせではないだろうか。

 このペアマッチ対局は、和気あいあいとして今までには無かった雰囲気が味わえた。会場のファンも新しい試みを堪能したはず。プロ同士による真剣勝負の醍醐味もさることながら、棋士とファンが一体となって楽しめるのも悪くない。

 会場には男女ペアが目立ち、女性にも将棋ファンが多くなっているなぁ、と痛感した。これから、こうした催しがもっと、もっとあってもいいかなと思った。

 その1週間後、新宿の将棋道場「ザ・将棋」で女性のための将棋イベントが行われた。ゲストは女性に圧倒的に人気のある郷田六段。

 そこに、突然、森雞二九段と蛸島彰子女流五段が応援に駆けつけた。

 思わぬ飛び入りにファンから歓声。

 ここでも、郷田六段と蛸島女流五段が組み、森九段と手伝いに来ていた真壁女流アマ名人が組んでのペアマッチ。これからはペアマッチ戦が流行するのかな?

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「プロ棋士は、羽生六冠王と奨励会入会の同期生、佐藤康光八段、森内俊之八段、郷田真隆六段に女流の清水市代四冠王に高橋和女流初段」

イベントでのペア将棋といえども、奨励会入会同期の羽生六冠・佐藤八段・森内八段・郷田六段と集まれば、それぞれが絶対に負けたくない戦い。

そして全冠制覇の清水女流四冠と、将棋世界「和とレッスン」で人気上昇中の高橋女流初段が加わるのだから、まさに、プロ・アマとも絶妙なキャスティングだったと言える。

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「大盤解説組がそれを茶化す」

「男性棋士陣は、同期生とあって気心が知れているから遠慮がない」

これはぜひ聞いてみたかった。

まさしくペア将棋の醍醐味の一つ。

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「優勝宣言をした郷田六段・小林さんペアが作戦タイムを取ったとき、郷田六段は『先程、あの金を取ることは考えなかったですか?以下取って取られて…』と解説が始まった。次にどう指すかの作戦タイムなのに、それまでの将棋の解説が始まったので会場でも笑い声が」

目の前の次の一手よりも、小林恵子さんの棋力増進を優先した、郷田六段ならではの優しさが表れた場面だと考えられる。

小林恵子さんはマジシャンで、NHKの新春将棋番組、近代将棋での連載などでも活躍をした。

2001年の将棋ペンクラブ交流会では、ランダムにシャッフルしたトランプを裏返しに並べ、一気にひっくり返すと、13枚のハートのカードだけが表になっているというマジックを披露してくれている。

それを見た時は本当に驚いた。神の技だと思った。

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このような素晴らしいイベントは、まさに今の時代にもピッタリかもしれない。

一つの会場へのファンの招待が難しい昨今になっているが、逆に現在はネットで配信をできる時代になっているので、いろいろな展開の仕方は考えられると思う。