近代将棋1997年5月号、グラビア「A級の土俵で 井上慶太新八段」より。
晴天の昼下がり。大阪を四方に見渡す通天閣の展望台からの眺めは格別だ。
「長いことこちらに居てますけど、昇ったんは初めてですわ。気持ちええですね」と井上八段。
趣味はドライブ、野球。囲碁、マージャン、ゴルフもたしなむが「いろいろやるんやけど、どれもうまくならないんですわ」とのこと。一つのことにのめり込む性格ではない。
でも、将棋だけは特別だった。小学生の時に「面白いなあ」と思って以来ずっとやってきた。はじめのうちはプロ棋士になるとはツユほども思わなかった。
「いつからかなあ。夢中になったのは」遠くに視線を投げる井上の表情は、厳しい戦いに明け暮れる棋士のものとは思えないほど明るく穏やかだ。将棋に身を任せ、A級八段まで来たことへの満足感が温かく井上を包んでいる。
「A級は大変な所。みな強い。ここでどれだけやれるか。勝負ですね」
初めて上がるA級を意識した時、井上の声色が変わった。
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近代将棋が新装版(A5→B5)になった最初の号のグラビアが、井上慶太八段(当時)。
新八段とあるように、井上八段はA級に昇級を決めたばかり。(9勝3敗、ラス前で昇級確定)
前期にB級2組からB級1組に昇級しているので、2年連続の昇級となっている。
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「長いことこちらに居てますけど、昇ったんは初めてですわ。気持ちええですね」
きっと普通なら「生まれて初めて昇りました」となるところ、「長いことこちらに居てますけど」という表現が、井上九段らしくて面白い。
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グラビアには、当時、通天閣の地下(通天閣の塔とは少しだけ離れた建物にあったが、通天閣の地下と呼ばれていた)にあった通天閣囲碁将棋センターの席主との写真もある。
写真のキャプションには、
「ふたりっ子」の舞台となった通天閣の地下にある将棋道場と劇場で。「女の子も見学によう来ますわ。ほらこれがオーロラ輝子のモデルになった叶麗子ですわ。銀蔵は大田学先生と小池重明を足して二で割ったんですな。それで夢路いとしのモデルが私」と道場の席主。
と書かれている。
通天閣囲碁将棋センターは通天閣歌謡劇場と同居しており、写真の上の方の額に飾られているのは歌謡劇場に出演した歌手の写真。
道場では、最後の真剣師・大田学さんが師範として、希望する人に一局500円で指導対局を行っていた。
席主は本当に夢路いとしさんに似た雰囲気。
現在では道場も歌謡劇場も無くなっているが、嬉しくなるほどディープな雰囲気だった。
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近代将棋が新しい体制となっての新装版第1号、新しいスタートにふさわしい井上新八段の登場だった。