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ひねり飛車の歴史

近代将棋1983年3月号、小林勝さんの「棋界パトロール ひねり飛車」より。

振り飛車党の変身

 15年ほど前から、第三の主流戦法として息づいてきたヒネリ飛車戦法だが、それが、ここ最近、特に多く見られるようになってきた。その理由はと考えてみるに、どうやらこれは振り飛車に対する居飛車穴熊の猛威のためらしい。『イビ穴はごめんこうむりたいが、さりとて相居飛車を指すのではメゲル』と思っている振り飛車党が、先番になった時のみ、ヒネリ飛車党に変身している。これなら振り飛車の味も残せるし、相手も穴熊にはしずらい、というわけである。

 ヒネリ飛車戦法の一大特長は、駒のスベリ具合が大変に良いということである。振り飛車の理想形の一つとされている石田流に簡単に組めるし、なおかつ持歩まであるのである。

 中原十段の師匠で、理論家の高柳敏夫八段をして、「将来先手必勝定跡ができるとしたら、この戦法からであろう」と言わしめた話」は有名である。

 少し前置きが長くなった。いよいよ次から、ヒネリ飛車の誕生と、その成長過程を追っていくことにしよう。

原型ヒネリ飛車

 まずは第1図をごらん下さい。

 図を見て、「何だこりゃ、相掛かり戦(相腰掛け銀など)の序盤戦じゃないか。さては大誤植か」と思われた方は正常の感覚の持主。「なるほど、これがヒネリ飛車か」と納得できた方は、大天才かよほどの異常感覚である。

 1図の△5二金が甘い一手。先手は早速そのスキを衝くべく策動する。

 1図以下、▲7五歩△6三銀▲4五歩△5四銀▲2二角成△同銀▲7七桂△8二飛(この手をおこたると▲8六飛で飛交換必至となり後手まずい)▲8六歩△4五銀▲8五歩△4二玉▲8六飛△8三歩▲9五歩△同歩▲9二歩(2図)まで先手必勝。

 以上の動きが、現在のヒネリ飛車の発生源となった角田流の駒捌きである。非常に斬新なこの指し方は、将棋史の中で不滅の光彩を放っている。

丸田流9七角型

 この後、多くの棋士らが工夫をくわえ、それまでどちらかというと奇襲作戦と言われていたヒネリ飛車を、堂々たる主流戦法にまで押し上げていった。その立役者は、丸田九段創案の丸田流▲9七角戦法(3図)である。

 今となっては、この▲9七角を見ても驚く人はいないが、この新工夫により、持歩2を手中にしたヒネリ飛車側は以下▲8六飛△8四歩▲6六歩△6三銀▲6五歩△同歩▲6四歩というように軽快に攻勢がかけられるようになった。まさに、小太刀の名手の異名をとる丸田九段らしい攻めの構図である。

タコ金戦法

 一つの戦法が改良を加えられてよりよい戦法に育つと、必ず、これに対抗する戦法が生まれる。猛威をふるう丸田流に決然と立ったのが升田九段のタコ戦法である。タコ金戦法とは、常識では玉の守りにつく3三の金を、強く4四、5四(あるいは5五)と繰り出して、ヒネリ飛車側の攻めを封じるというもので、角のヒモで金が出ていくことからこの名がついたものである。

ヒネリ飛車5六金型

 が、ヒネリ飛車側もさるもの、▲5六金型(4図)を編み出して、タコ金に対抗した。▲5六金型の優秀性は、4筋の位を保てるということである。(この戦型は4五の位が急所)▲5六金でなく、これが銀だと▲4六歩とは突きにくいのだ、無理に▲4六歩として位を保とうとすると、▲4六歩に△1三角▲4七銀上△4五歩▲同歩△5七角成の手段がある。4図以下は、先手は一番いい時に▲6五歩と決戦する権利を有し、後手は玉がうすいので中央方面でよほど得をしないと勝つことが難しい。というわけで、タコ金戦法は徐々に指されなくなっていった。

山田流

 その後、ヒネリ飛車側の歩越しの金に歩を並べて対抗する型が生まれた。発案者は故・山田九段であり、現在でも加藤名人らが使っているなど、一時流行した指し方である。

 しかし、本戦法はヒネリ飛車側にうまく玉頭に転戦されると苦戦となる。

 5図は、中原対米長戦より、今、先手中原が▲6五歩~▲4五歩と仕掛けたところ。

 これを△同歩と取りにくいのでは後手泣きであろう。『歩を突かれて、それを△同歩と取れないくらいでなぜ泣くのか?そんなことはへでもないではないか』と思われた方は、すぐにその感覚を改めよう。歩を突かれたら同歩と取るのが受けの基本なのである。5図で△同歩は、以下、▲6四歩△同銀左▲6五金△同銀▲同桂△6四歩▲8八角と一気に玉頭方面をネラわれてしまう。このように金銀3枚をもってしても仕掛けの歩を取れないのでは、この形にする意味がないと、現在はややスタレ気味である。

模様を重視

 その他、早めに右金を△7二~△8三~△8四と繰り出して、△9五歩の攻めをネラう指し方も一時期よく見られた。しかし、それとても、ヒネリ飛車に対して十分な戦果を上げていたのではないのに、まずいことに、優秀な頭脳がヒネリ飛車側についてしまった。

 6図が、内藤王位発案の陣形である。

 相手が必死に頑張ろうとする6筋には全く関せず。悠々とした柔らかみのある指し方である。この後は玉側に金銀を集結し、あくまで模様を大事にコリ形の敵の金銀を横目に駒組みを進める。もし、後手が、△8三金から9筋方面で動いてきた時は玉形の差を利してカウンターをネラう、というもので、これこれこういう手順で良しというのではないので、真似しにくい意味があるのだが、本戦法の勝率は総じて抜群であった。

 ここらあたりまでは、ヒネリ飛車側の形勢がよしであった。しかし、ここ1年ばかり、どうもヒネリ飛車側の勝率が落ちてきているようなのである。

 ヒネリ飛車の将棋が多く見られるようになったことと、その勝率が下がってきたということは、一見矛盾するかのようだが、それがそうでもない。

 一つには、それまでタテ歩取りの実戦経験がほとんどない振り飛車党の移住によって、局数は増えても勝数があまり伸びないということがあげられるが、それにもまして、対ヒネリ飛車側の新工夫によって、有力な対抗策が次々と出現しているという事実があり、これがヒネリ飛車側の快走に待ったをかけたと考えられるのである。

 次に、それらの戦法をご紹介しよう。

新しいヒネリ飛車対策

その1

 居飛車穴熊にされるのがイヤでヒネリ飛車を指すというのなら、こちらも意地でなんとか居飛車穴熊に囲ってやろうじゃないか。という発送でヒネリ飛車に立ち向かったのが、誰あろう田中(寅)六段である。相手は、新人王・森(信)四段だ。

 図から、田中は△7四歩▲同歩△7二飛と行動を起こし、以下、▲8四歩△同歩▲同飛△7四飛▲8一飛成△7六飛▲7八歩△7一飛まで、駒得のうえ玉の固さもあり、早くも優勢となった。この一局の他に、公式棋戦で5局ほど、ヒネリ飛車対イビ穴の対戦を見たが、いずれも穴熊側が勝っている。途中、玉を囲うまでに急戦を仕掛けられると不安が残るものの、対ヒネリ飛車新対策として有力な戦法の一つであることに間違いはない。

 なお、穴熊側の玉の動きは、4二~3三~2二~1一である

その2

 8図は、佐藤義則六段対谷川浩司八段戦より。この将棋は昨年の8月に指されたもので、プロ棋士の間で注目を集めた。谷川の玉型はなんと銀冠(左ミノから変化)の堅陣である。

 これまで、対ヒネリ飛車側は、▲7四歩の交換をさけるために△6四歩~△6三銀型を作っていた。そのため、この出っ張った所をつかれて、▲6五歩△同歩▲6四歩などと、いつでも急戦に持込まれてしまうことを覚悟せねばならなかった。これは玉を囲うまで、戦いを起こしたくない谷川としては好まざる事実である。

 △6四歩を突かず、しかも▲7四歩の交換をさせないために谷川は二つの工夫をした。

工夫A

 △6一金のままで△9四歩と突き、▲7四歩△同歩▲同飛には△9五歩を用意する。

工夫B

 金が移動する(6一の金が5一~4一)前提手段として、△4二角と引いておく。こうしておくことにより、▲7四歩には、△8六歩や、△9七角成~△9八角、また、△9七角成~△8六歩などの手段を見せる。というもので、さすがに緻密な駒組みである。

 8図ではすでに後手作戦勝ちだが、谷川八段は△8六歩と強気に仕掛け、以下、▲同角△7四歩▲8五歩△7五歩▲6六飛(▲7五同角は△7二飛でシビレル)に、自然に△7三銀と活用、郵政を確保した。

 8図の局面までくると、普通の居、振り飛車の対抗型に近く、仕掛けの権利は対ヒネリ飛車側にのみあるのだから、本戦法の優秀性もお分りいただけると思う。ただ、これも前出のイビ穴と同じく、「ここに組み上げるまでの手順が非常に難しい」(谷川)ということは言える。

 なお、左ミノ戦法の発案者は、玉を固めるのが上手な最近の若手棋士研究グループである。なんでも、関東・関西とも、ほとんど時を同じくして偶然同じ手順を発見していたとの情報がある。

その3

 対ヒネリ飛車作戦のきわめつけが9図である。

 なんと、居飛車・振り飛車対抗そのままに、ヒネリ飛車の面影などどこにも見当たらない。

 この玉頭位取り戦法は、公式棋戦において2局ほど散見されている。

 振り飛車対玉頭位取りは、玉頭位取り側がわずかではあるが有利であるというのが、現在の通り相場である。図のように組み上げてしまえば良いのだが、やはり、この戦法も、ここに組み上げるまでの途中の手順に苦心がいる。

 以上、3題。最近出現した目新しい対ヒネリ飛車対策は、組み上げるまでが大変とはいえプロ間ではかなりの勝率を誇っている。

 これに対し、ヒネリ飛車側が、どのような新手・新構想を打ち出して巻き返しを計るか、また、逆に、第3の主流戦法にまで育ったヒネリ飛車が、その新対策にのみこまれ、衰微していってしまうのか、興味深い命題といえよう。

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ひねり飛車は、タテ歩取りという戦法名で棋書に紹介されていた時代もあった。

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解説では省略されているが、「丸田流9七角型」の▲9七角のところ、▲8五歩とする形も多く指されていた。

丸田流を選ぶか▲8五歩型を選ぶかは、好みの問題。

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升田幸三実力制第四代名人の升田流ひねり飛車も存在する。

1970年代初頭に指されて高い勝率をあげていた。時期的には、升田九段が升田式石田流の次に編み出した戦法。

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ひねり飛車は1990年代半ばまで指されていたが、特にひねり飛車退治決定版が出たわけではないものの(後手が角道をなかなか開けないようにして、△3三金と立つ必要のない指し方などは現れているが)、それまでに比べて勝率が落ちたのか、1990年代半ば以降はあまり指されなくなっている。

江戸時代以来、一度もメジャー戦法になったことがないと言っても過言ではない雁木が見直されている時代、かつてのメジャー戦法だったひねり飛車が見直される可能性だって皆無とは言えないと思う。

振り飛車をめぐる戦法の変遷(1976年~1981年:居飛車穴熊登場以降)

近代将棋1982年7月号、小林勝さんの「棋界パトロール 振り飛車をめぐる戦法の変遷」より。

居飛車穴熊登場

 せっかくの位取りも相手にクマられてはあまり効果がないと判断した居飛車陣営。ついに、目には目をの居飛車穴熊をひっさげての挑戦となる。敵さんが頭を低くして玉をガチガチに囲うんならこっちだってやってやろうじゃないかの心である。この、玉の固さで勝負の思想は左美濃作戦と全く同種のものだが

2日目は左美農作戦と全く同種のものだが、現在の流行度と実績、また、考えの極により近づいているの意味で、本項では左美濃にはふれず、居飛車穴熊中心で話を進めて行く。

 次に示すは、昭和51年から現在までの振り飛車対居飛車穴熊の戦績である。

居飛車穴熊戦績(対振り飛車)
1976年度 5勝6敗(0.445)
1977年度 67勝42敗(0.615)
1978年度 50勝44敗(0.532)
1979年度 92勝65敗(0.586)
1980年度 73勝52敗(0.584)
1981年度 47勝19敗(0.721)
総計   334勝228敗(0.594)

 なお、先後別に見ると居穴先手勝率5割8分1厘。居穴後手勝率6割1分5厘となる。

 居飛車穴熊全体の勝率もさることながら、後手番での勝率の良さも注目に値しよう。これは先に述べた急戦策のように、先番ならまだしも後手番では一手の差が、その作戦自体に大きな影響を与えたことを考えると、居飛車側にとって実にたのもしい限りである。

居飛車穴熊の優秀性

 数字の上でなく、具体的かつ理論的にイビアナの優秀性を述べてみよう。

 5図は、昭和51年枻誌指定局面戦=谷川浩
司四段対田中寅彦四段戦(便宜上先後逆)。

 別にどうと言うこともない局面と映るが、ことプロの眼にかかると次のようなことになる。

  1. イビアナ側は、8五まで歩が伸びていることにより、この筋に関して一方的な開戦の権利をもっている。
  2. 前線に出ている銀の位置を比べると、振り飛車側の銀よりイビアナのそれの方が王様に近い。
  3. 振り飛車側の角は固定されているが、イビアナ側は角銀の進退に融通性があり、攻撃性に富んでいる。

 以上、玉の固さなど、他の点は互角なのだから、これらの差が必然的に勝率に現われるわけである。

 5図以下、田中四段は△2四角~△3五銀以下、先手の4六歩を目標にすることで、2,3の利を用い勝利を得ている。

真部流

 イビアナの出現により、振り飛車側は、これに立ち向うべく、さまざまな指し方を試みることになった。

 6図は、昭和55年昇降級リーグ2組=真部一男六段対北村昌男八段戦。

 図で注目すべきは振り飛車側の左銀の活用法である。4六の銀は元の7九よりナナメ一線に上がってここまで来た。序盤において▲6八銀~▲6七銀と普通に運んではこうはいかない。6図以下実戦の経過は△8六歩▲同歩△5五歩▲8八飛△7三桂▲5四歩△6五桂▲5五角△8六飛▲同飛△同角▲8五飛と進み先手優勢となる。

 真部流は、左銀を攻防にフルに使おうとの戦い方であり、対イビアナの有力な戦法と見られた。が、逆にイビアナ側から見れば、6図では自陣は一つの理想型であり、ここまで組み上げれば不満はないという見方もまた成り立つ。味方も十分だが、敵もまた十分ということで、本戦法も、有力対策と言うにはどうもイマイチという感じである。

急戦法

 7図は、今年のNHK杯戦より山口千嶺七段対田中寅彦六段戦(便宜上先後述)。

 イビアナを目指す後手に対し、振り飛車側が▲6五歩と挑発的態度に出た場面である。これは、イビアナが完成する前に決戦にもち込んでしまおうというもので、以前の居飛車対振り飛車戦で、居飛車側が急攻しようとしたことの全くのウラ返しである。

7図以下の指し手
△4四歩▲6七銀△1一玉▲6六銀△2二銀▲7五銀△4二角▲5八金左△3一金▲4六歩△5二金▲3六歩△8五歩▲3七桂△7四歩▲△(7-1図)

 以上の指し手は、手っとり早く言えば、振り飛車側の急戦策は不発に終った、ということを示している。△2二銀はともかく、△3一金と締まる余裕を与えては急戦の意味がないといえる。

 無論、本型でも振り飛車側としては改良の余地もあろうが、現段階ではどうも、うまくないの観が深い。

固さと広さ

 8図は、昭和56年第22期王位リーグ=土佐浩司四段対脇謙二四段戦。

 後手陣はいわずと知れたイビアナだが、先手の玉型は何と呼べばいいのだろう。まったく人を喰ったような囲い?である。一体、土佐の頭はどうなっているのだといぶかるむきもあろうが、どうかご心配なく。8図は大胆な発想の転換の産物である。土佐の意図はこうだ。

―居飛車穴熊は確かに固く、攻撃力も相当なものがある。尋常に固め合っての勝負に分がないとすれば、もう王様を固め合うことはよしにして、守備力の大部分を玉側でなく攻められそうな所に結集・配置して押さえ込みを計り、全局的な戦いを目指してはどうだろう―。

 玉の固さでなく、玉の広さを武器に戦おうとするこの態度は、まさにプロならではの頭の切り替えである。

 さて、この戦いの結果がどうなったか?というと………

 投了図をごらん下さい。

 広さというもののもつ恐ろしさを知っていただければ幸いである。

 大海を泳ぐ先手玉に対し、金銀4枚に囲ったイビアナは何の威力もない。姿焼き一丁上がりの図である。

風車戦法

 玉の広さと全局的守備力を武器に戦うということで忘れてならないのが、伊藤果五段用いる「風車戦法」である。

 9図(昭和54年王将戦予選=伊藤果四段対鈴木輝彦四段戦・先後逆)が、風車戦法の基本形であり、紹介順が前後したが、前述の土佐流と思想は全く同じである。伊藤は本戦法で対イビアナ勝率7割の好成績をあげている。

 投了図▲7八玉まで。広さの威力を十二分に発揮した勝ち方が本戦法の真骨頂である。

 土佐・伊藤流の難を言えば、玉が薄いため、受けを一歩誤ればたちまちにして奈落の底に転落、ということと、開戦の機をつかむことが大変難しい、の二点にあるのであるが、勝率や成功率から見ると、今のところ、本戦法がイビアナに対し一番善戦しているようである。

歴史は繰り返すか

 思い起こせば、戦後まもなくの頃、5五の位は天王山と言われ、広さを重視する思想が支配的であった。それが、升田幸三九段の出現によりスピード重視の流れとなり、現在は次第に玉の固さで勝負の風潮が高まりつつある。

 現代将棋の申し子ともいえるイビアナに、もし、土佐・伊藤流が有力な戦法であるとすれば、広さ→速度→固さ→広さという流れに興味深い符合を見るような気がする。

* * * * *

田中寅彦九段の居飛車穴熊が登場してから、振り飛車対居飛車の構図が全てが変わってしまった。

居飛車穴熊の威力は物凄く、振り飛車がなかなか勝てなくなり、振り飛車党から居飛車党に転向する棋士も多く出たほど。

居飛車穴熊の登場以降、振り飛車の冬の時代が長く続く。

この状況を打破したのが1990年代後半の藤井システムの登場。

それほど藤井システムは革命的だった。

 

振り飛車をめぐる戦法の変遷(1957年~1975年:居飛車穴熊登場以前)

近代将棋1982年7月号、小林勝さんの「棋界パトロール 振り飛車をめぐる戦法の変遷」より。

 現在、棋界はアマプロを問わず「居飛車穴熊』なる戦法が大きく幅を効かせている。その隆盛ぶりは、居飛車対居飛車における『矢倉』戦法と並んで、居飛車対振り飛車の戦いの主流を占めるほどの勢いである。

 今月は、振り飛車をめぐる「戦法の変遷」と題し、昭和30年代から現在までの戦型の移り変わりと、その土台となる考え方についてふれていきたい。ちょっと大また気味ではあるけれど、『振り飛車にはイビアナ、これが最善、これしかやらない、これしか知らない」という御人は、特に、是非とも目を通していただきたい。さすれば、わずか30分程の努力で、将棋がもう一回り大きくなる……かもしれません。

 さて、1図は、昭和33年第8期王将戦挑戦手合=大山康晴王将対高島一岐代八段戦。

 居飛車の高島陣は、”天王山”と言われる5筋の位を占拠し、いわゆる全面戦争での振り飛車陣攻略を目論でいる。しかし、1図をよくよく見てみるに、振り飛車側の玉営の良さがまず目に止まる。そして、高美濃から▲3七桂の起用が実に自然で、以後の戦いでこの桂の活躍が大いに見込まれる。また、互いの角の位置も、後手の角の効きが、先手玉から大きくそれているのに反し、先手のそれは後手の玉頭へとニラミを効かせている。などなど、理屈から言って、どうも、本戦型は居飛車に分がなさそうであり、実際の戦績も芳しいものではなかった。そこで、ジックリ行くのはよしにして、スッパリ切りに行ってはどうかの思想がクローズアップされてくる。

山田定跡

 部分的早期決戦策の旗頭となったのは、今は故人となった山田道美九段である。

 2図は、昭和40年第24期名人戦挑戦手合=大山名人対山田八段戦(便宜上先後逆)。

 図での△5三銀左(先番ならば5七銀左)が、急戦策の眼目手であり、以下、期を見て、△7五歩▲同歩△6四銀と戦端を開いて勝負と出るのである。

 本戦法は、振り飛車側に高美濃に組む余裕を与えぬ点と、好位置に頑張っている振り飛車側の角を攻撃目標にしようとしたもので、銀の出足の鋭さを利した、まさに、理論家・山田八段ならではの将棋の組立てである。

 また、急戦をネラう戦法として、他にも、右銀を△7三~8四とするいわゆる棒銀戦法や、やはり右銀を△5三~△6四と活用する戦法も流行したが、これらの急戦策はいずれも玉の固さの点で大きな不安があり、実戦的に見て勝つのは大変という欠点がある。加えて、振り飛車側の対策も進歩したことや、先手番ならば効く仕掛けも、後手番となると一手の違いで成功がおぼつかなくなったりなどの事情があって、急戦策の決定版は今だに現われていない。山田道美九段存命でありせばと、残念に思うのは筆者だけではなかろう。

玉頭位取り戦法

 持久戦がうまくなく、といって急戦策ももう一つ決め手にかけるとあって、居飛車側は勝負と出「うーん」と唸ったが、窮すれば通ず。昭和40年代に入って、荒法師の異名をとる力戦家・灘蓮照九段が多用していた「玉頭位取り戦法」が、新たに注目を集め始めた。

 3図は、昭和44年第13期棋聖戦挑戦手合==大山名人対中原誠棋聖戦(便宜上先後述)。

 △3五歩と玉頭の位を占めるのが本戦法の骨子。この位を取ることにより、振り飛車側の理想型を阻止するとともに、中終盤の戦いでこの位の威力を発揮させようとの考えである。本型は、7~8筋方面の戦いで桂香が手に入ることが想定されるが、居飛車側は△2五歩~△2三香や、△2五歩~△2四桂~△3六歩など、位を活かした自然な攻めが期待できる。

 3図は、振り飛車側としても相当にうまく立回っている感じだが、何と言っても玉頭の位を張られたうっとうしさは隠せない。

 と、今度は「玉頭位取り戦法」の出現により、振り飛車側が頭を悩ませるハメとなった。

囲いから戦法へ

 4図は、昭和50年第34期名人戦挑戦手合=大内延介八段対中原名人戦。

 後手の中原名人が、2・3・4筋にズラリと位を張ったのに対し、先手の大内八段は、その名も高き穴熊に玉をおさめている。この図、前例の美濃に囲った王様と比べてみれば、位の威力が半減してしまっているの感がある。元来、穴熊囲いの欠点は手数のかかることにあって、そこを急戦によって衝かれると困る意味があったが、居飛車が急戦を捨てて、持久戦の「王頭位取り」で来ればその弱点も相殺され、間合いはピッタリである。「穴熊という囲いを、「穴熊」という戦法にまで昇華した、大内八段を始めとする振り飛車側の工夫により居飛車陣営は再び、被告の立場となった。

 この、「振り穴」について付記すると、振り飛車の大御所である大山名人が穴熊を多用するようになった時期と玉頭位取り戦法全盛の頃が一致しているという事実に気づく。また、位取り戦法流行の初期の頃、位取りで、振り飛車をバッタバッタと当たるを幸いなで切りにした西村一義七段が、位取りの流行に火がつくや、大内八段と共に穴熊を連採し、逆に位取りを相手に戦い”穴熊党幹事長”の座に就いたというのも面白いことであった。

(つづく)

* * * * *

振り飛車と居飛車の戦いの歴史。

江戸時代の振り飛車は、受けに徹して、相手の間違いを待つような非常に消極的な戦法だった。

これを革命的に変えたのが、大野源一九段。

戦後、大野流の攻める振り飛車、捌く振り飛車で、振り飛車の概念が大きく進化した。

1950年代後半からは、大野九段の弟弟子の升田幸三実力制第四代名人、大山康晴十五世名人も振り飛車を指し始めるようになり、プロ、アマチュアを問わず、振り飛車が非常に多く指されるようになった。

その頃が、有効な対策がなかった時代→山田定跡→玉頭位取り戦法の時代。

そして、大内延介九段の振り飛車穴熊の採用で、また新しい時代へと向かっていくことになる。

(つづく)

古来からの定説を覆した急戦早石田定跡

将棋世界1982年10月号、塚田泰明四段(当時)の「定跡研究室(塚田泰明四段-中村修五段)」より。

初手からの指し手
▲7六歩△3四歩▲2六歩△3五歩▲2五歩△3二飛▲4八銀△3六歩▲同歩△8八角成▲同銀△5五角▲3七銀△3六飛▲7七角(指定局面図)

 そもそもこの企画のねらいは定跡の定説が本当かどうかを実証するためのものだったはずである。しかしこの指定局面、本当に先手有利と言われているのだろうか。

 このことは後で詳しく述べたいと思う。

 対局前に中村五段より指定局面の▲7七角を▲4六角(参考1図)に変えてくれないか、という提案があった。

 ▲4六角に対する応手は3つある。

①△3七飛成▲5五角で、これは▲7七角と打った変化と同一になる。

②△4六同飛▲同銀△9五角▲8六飛(あるいは▲7七飛)△3三角で、これは一局。

③△4六同角▲同銀△1五角。この変化をやってみたかったと中村五段は言っていた。以下▲3七歩△2六飛▲同飛△同角▲2八飛△4四角▲6五角△3二銀▲8三角成の時に、何と△2七飛と捨て(参考2図)▲同飛△8八角成(参考2図)という順があるというのである。

 これは互角、あるいは後手有利かもしれない。先手は桂香を取られる前に動かなければならないが、後手の陣形が低いので手が作りにくい感じだからだ。これらの変化を消しているのが指定局面の▲7七角で、▲4六角よりも優れていると思う。

 さて▲7七角に対する後手の応手は2つ。△7七同角成と本譜の△3七飛成である。

 △7七同角成は、▲同銀△3七飛成▲同桂△3六歩▲3八歩△3七歩成▲同歩(参考3図)となるが、これは先手有利。飛と銀桂の2枚替えだが、後手は歩切れと居玉が痛い。

 例えば参考3図から、△3三桂▲6八玉△4五桂▲4六歩△3七桂成と攻めても、▲1五角で素抜かれてしまう。

 というわけで、指定局面では△3七飛成が最善なのである。

昭和57年8月5日 於将棋会館
(持ち時間各60分)
▲四段 塚田泰明
△五段 中村修

指定局面図以下の指し手
△3七飛成▲5五角△2八竜▲同角△2七飛▲3八金△2五飛成(1図)

 やはり中村五段は△3七飛成ときた。対して▲5五角以下は定跡化された手順。

 1図まで当然の進行のようだが、△2五飛成で△2六飛成(参考4図)という手も有力だった。

 次の△3七歩▲同桂△2七銀が厳しい。これに対し先手は▲1六歩と突き、△3七歩▲同桂△2七銀▲1七角△同竜▲同香△3八銀成▲4五桂と反撃するか、▲7七銀△3七歩▲同桂△2七銀▲同金△同竜▲2九銀と辛抱するか。

 いずれにしても簡単には優劣のつけられない将棋になる。

 このあたりからも、先手有利とは言いにくいことがお分かりいただけると思う。

 さて1図。ここでやってみたい一手があるのだが…。

1図以下の指し手
▲2七歩(2図)

 僕は▲2七歩と打った。別に深く研究したわけではないのだが、定跡の▲1六角よりはハッキリ優れていると思い指した。

 ▲1六角の変化だが、以下△3五竜▲4六角△4四竜▲7七銀(参考5図)となり先手有利というのが定跡の結論である。

 この手順は『新鬼殺し戦法、米長邦雄棋王著』より引用させていただいたが、この中で米長棋王は「私の考えでは、参考5図はまったく互角と思う。後手不利とは考えられない。先手やや良しとする根拠は、角銀交換の駒得を重く見てのことだろうが、角はすでに手放しており、この生角をこれからうまく働かせるのは難しい。反して後手は銀は手駒に持っている。この損得は一概に後手不利とばかりは言えないだろう」と述べている。

 そして一つの例として、参考5図以下△3二銀▲6八玉△6二玉▲7八玉△7二玉▲6八金△1四歩▲9六歩△1五歩▲2七角△2六銀▲1八角△1六歩▲同歩△1七歩▲同桂△1六香(参考6図)で後手良し。

 まあ、こうはならないと思うが、それにしても2枚の角は確かに働きが悪い。▲2七歩は収まれば角を手駒にしている分ハッキリ得というわけで、勝負手だった。

2図以下の指し手
△3六竜▲3七金△7六竜▲6八玉△3二金▲1六歩△4二銀▲9六歩(3図)

 ▲2七歩の弱点は歩切れになる所である。そこを中村さんは機敏に△3六竜と動いてきた。対して▲3七金は僕らしい手だが、どうだったか。

 しかし、▲3七角では将来△3三桂と跳ねられた時にどう受けるか難しい。本筋は▲4八玉△7六竜▲6八金という感じだが、対局中は自玉は左へ行くものと思い込んでいたので、▲4八玉はあまり考えなかった。

 △7六竜は当然のように見えたが、この手は疑問手だと思う。

 ここは△3二竜(参考7図)と引きたい。

 参考7図から、後手は7二まで玉を移動して、3一の銀を4四まで持っていくような構想で戦えばいいのである。

 それに反して、先手は常に△3八銀の筋を気にしなければならないし。2八の角の働きも悪い。飛角の持ち駒もさしあたって使う場所もないし、こう指されていたらハッキリ苦しかったのではないかと思う。本譜は一時的にせよ竜が3筋から離れ、▲6八玉の余裕を得て少々ホッとした。

(中略)

(中略)

 この一局から自分なりに結論を出したいと思う。指定局面は互角と見たい。従って従来の定跡の結論である「先手有利」は否定したい。

 本局は勝つには勝ったが、先手は模様のとり方が難しく、対して後手は楽に駒組みを進められるという印象が残った。

 最近の公式戦では早石田はたまに見かけるが、本局のような急戦早石田は見たことがない。それは指定局面までの手順に問題があるからなのである。

 9手目、先手の▲3六同歩では▲3八金の方が普通。以下△3七歩成▲同銀となり後手の指しすぎがハッキリする。

 それで後手は△3六歩と突かず△6二玉と上がり一局の将棋になる。

(以下略)

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急戦早石田という呼び方が少し不思議な感じがするが、厳密に考えると、早石田の超急戦の展開なので、とても正確な呼び方だということがわかる。

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指定局面図は有名な局面だが、昔の定跡書では参考5図で先手良しとして解説は打ち切られていた。

参考5図をあらためて互角と結論づけ、それ以外の変化、新手も網羅されているので、非常に貴重な講座と言えるだろう。

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個人的には参考7図の展開にできれば早石田側が大満足だと思う。

今度試してみようかな、と一瞬思ったが、最後に書かれている通り、9手目、▲3六同歩ではなく▲3八金と対応されると早石田側が良くないので、やはり、指すことは難しそうだ。

先手早石田なら(▲4八玉と一手かけている)、▲7四歩△7二金に、その後の早石田側の対策は『菅井ノート』に書かれているようだ。

今度読んでみよう。

 

 

 

「藤井竜王の将棋は、序盤からすぐにでも噛み付きたがるので、居飛車党はとても困る」

将棋世界1999年12月号、高橋道雄九段の「タカミチの実戦コーナー」より。この月のテーマは短手数将棋。

第58期B級2組順位戦
平成11年9月10日 於・関西将棋会館
▲八段 田中魁秀
△竜王 藤井猛

▲7六歩△3四歩▲4八銀△4四歩▲6八玉△4二銀▲7八玉△4三銀▲2六歩△9四歩▲5八金右△4二飛▲2五歩△3三角▲7七角△7四歩(途中図)

藤井田中1

途中図以下の指し手
▲8八玉△7三桂▲9八香(1図)

藤井田中2

▲9八香=藤井システム出現後は、こうしてどんどん穴熊に囲おうとするのは、逆に目標になってしまい、やや危険と思う。

1図以下の指し手
△9五歩▲9九玉△8五桂(2図)

藤井田中3

△8五桂=とは言ってもこんな強襲見た事ない。

 藤井竜王の将棋は、序盤からすぐにでも噛み付きたがるので、居飛車党はとても困る。

2図以下の指し手
▲6六角(3図)

藤井田中4

▲6六角=8六へ出るか、8八へ引きたい。▲5五角は△8二銀▲8八銀△5四銀で、角の進退に窮する。

3図以下の指し手
△9七桂成▲同香△9六歩▲同香△同香▲8八玉△9二飛(4図)

藤井田中5

△9二飛=サーッと飛車を転回出来てしまうのが、△7二銀などと上がっていない効果。▲9三歩と打たせれば、先手の角成りが消せる上に、9六の香が楽な姿となる。

4図以下の指し手
▲9三歩△7二飛▲9五桂△8一香▲5五角△7五歩▲9一角成△4五歩(途中図)

藤井田中6

途中図以下の指し手
▲7八玉△7六歩▲6八玉△9八香成▲5九玉(5図)

藤井田中7

▲5九玉=先手は手数を費やし、せっかく9九まで行った玉を、また引き戻らざるを得なくなってしまった。

5図以下の指し手
△8九成香▲9二歩成△7五飛(6図)

藤井田中8

△7五飛=好手。軽快な感のある飛車浮き。

6図以下の指し手
▲8一と△6二銀▲7一と△同金▲8三桂不成△6一金▲7八歩△7九成香▲同金△9五飛(投了図)まで、56手で藤井竜王の勝ち

藤井田中9

△9五飛=次の飛車成が受からず、先手降参。

 それにしても、げに恐ろしきは藤井システムの破壊力よ。

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3図の▲6六角で、▲8六角または▲8八角とすればまた違った将棋になっていたとは言え、藤井システムの破壊力が凄い。

高橋道雄九段の「藤井竜王の将棋は、序盤からすぐにでも噛み付きたがるので、居飛車党はとても困る」は、非常に実感のこもった名言だと思う。