振り飛車をめぐる戦法の変遷(1976年~1981年:居飛車穴熊登場以降)

近代将棋1982年7月号、小林勝さんの「棋界パトロール 振り飛車をめぐる戦法の変遷」より。

居飛車穴熊登場

 せっかくの位取りも相手にクマられてはあまり効果がないと判断した居飛車陣営。ついに、目には目をの居飛車穴熊をひっさげての挑戦となる。敵さんが頭を低くして玉をガチガチに囲うんならこっちだってやってやろうじゃないかの心である。この、玉の固さで勝負の思想は左美濃作戦と全く同種のものだが

2日目は左美農作戦と全く同種のものだが、現在の流行度と実績、また、考えの極により近づいているの意味で、本項では左美濃にはふれず、居飛車穴熊中心で話を進めて行く。

 次に示すは、昭和51年から現在までの振り飛車対居飛車穴熊の戦績である。

居飛車穴熊戦績(対振り飛車)
1976年度 5勝6敗(0.445)
1977年度 67勝42敗(0.615)
1978年度 50勝44敗(0.532)
1979年度 92勝65敗(0.586)
1980年度 73勝52敗(0.584)
1981年度 47勝19敗(0.721)
総計   334勝228敗(0.594)

 なお、先後別に見ると居穴先手勝率5割8分1厘。居穴後手勝率6割1分5厘となる。

 居飛車穴熊全体の勝率もさることながら、後手番での勝率の良さも注目に値しよう。これは先に述べた急戦策のように、先番ならまだしも後手番では一手の差が、その作戦自体に大きな影響を与えたことを考えると、居飛車側にとって実にたのもしい限りである。

居飛車穴熊の優秀性

 数字の上でなく、具体的かつ理論的にイビアナの優秀性を述べてみよう。

 5図は、昭和51年枻誌指定局面戦=谷川浩
司四段対田中寅彦四段戦(便宜上先後逆)。

 別にどうと言うこともない局面と映るが、ことプロの眼にかかると次のようなことになる。

  1. イビアナ側は、8五まで歩が伸びていることにより、この筋に関して一方的な開戦の権利をもっている。
  2. 前線に出ている銀の位置を比べると、振り飛車側の銀よりイビアナのそれの方が王様に近い。
  3. 振り飛車側の角は固定されているが、イビアナ側は角銀の進退に融通性があり、攻撃性に富んでいる。

 以上、玉の固さなど、他の点は互角なのだから、これらの差が必然的に勝率に現われるわけである。

 5図以下、田中四段は△2四角~△3五銀以下、先手の4六歩を目標にすることで、2,3の利を用い勝利を得ている。

真部流

 イビアナの出現により、振り飛車側は、これに立ち向うべく、さまざまな指し方を試みることになった。

 6図は、昭和55年昇降級リーグ2組=真部一男六段対北村昌男八段戦。

 図で注目すべきは振り飛車側の左銀の活用法である。4六の銀は元の7九よりナナメ一線に上がってここまで来た。序盤において▲6八銀~▲6七銀と普通に運んではこうはいかない。6図以下実戦の経過は△8六歩▲同歩△5五歩▲8八飛△7三桂▲5四歩△6五桂▲5五角△8六飛▲同飛△同角▲8五飛と進み先手優勢となる。

 真部流は、左銀を攻防にフルに使おうとの戦い方であり、対イビアナの有力な戦法と見られた。が、逆にイビアナ側から見れば、6図では自陣は一つの理想型であり、ここまで組み上げれば不満はないという見方もまた成り立つ。味方も十分だが、敵もまた十分ということで、本戦法も、有力対策と言うにはどうもイマイチという感じである。

急戦法

 7図は、今年のNHK杯戦より山口千嶺七段対田中寅彦六段戦(便宜上先後述)。

 イビアナを目指す後手に対し、振り飛車側が▲6五歩と挑発的態度に出た場面である。これは、イビアナが完成する前に決戦にもち込んでしまおうというもので、以前の居飛車対振り飛車戦で、居飛車側が急攻しようとしたことの全くのウラ返しである。

7図以下の指し手
△4四歩▲6七銀△1一玉▲6六銀△2二銀▲7五銀△4二角▲5八金左△3一金▲4六歩△5二金▲3六歩△8五歩▲3七桂△7四歩▲△(7-1図)

 以上の指し手は、手っとり早く言えば、振り飛車側の急戦策は不発に終った、ということを示している。△2二銀はともかく、△3一金と締まる余裕を与えては急戦の意味がないといえる。

 無論、本型でも振り飛車側としては改良の余地もあろうが、現段階ではどうも、うまくないの観が深い。

固さと広さ

 8図は、昭和56年第22期王位リーグ=土佐浩司四段対脇謙二四段戦。

 後手陣はいわずと知れたイビアナだが、先手の玉型は何と呼べばいいのだろう。まったく人を喰ったような囲い?である。一体、土佐の頭はどうなっているのだといぶかるむきもあろうが、どうかご心配なく。8図は大胆な発想の転換の産物である。土佐の意図はこうだ。

―居飛車穴熊は確かに固く、攻撃力も相当なものがある。尋常に固め合っての勝負に分がないとすれば、もう王様を固め合うことはよしにして、守備力の大部分を玉側でなく攻められそうな所に結集・配置して押さえ込みを計り、全局的な戦いを目指してはどうだろう―。

 玉の固さでなく、玉の広さを武器に戦おうとするこの態度は、まさにプロならではの頭の切り替えである。

 さて、この戦いの結果がどうなったか?というと………

 投了図をごらん下さい。

 広さというもののもつ恐ろしさを知っていただければ幸いである。

 大海を泳ぐ先手玉に対し、金銀4枚に囲ったイビアナは何の威力もない。姿焼き一丁上がりの図である。

風車戦法

 玉の広さと全局的守備力を武器に戦うということで忘れてならないのが、伊藤果五段用いる「風車戦法」である。

 9図(昭和54年王将戦予選=伊藤果四段対鈴木輝彦四段戦・先後逆)が、風車戦法の基本形であり、紹介順が前後したが、前述の土佐流と思想は全く同じである。伊藤は本戦法で対イビアナ勝率7割の好成績をあげている。

 投了図▲7八玉まで。広さの威力を十二分に発揮した勝ち方が本戦法の真骨頂である。

 土佐・伊藤流の難を言えば、玉が薄いため、受けを一歩誤ればたちまちにして奈落の底に転落、ということと、開戦の機をつかむことが大変難しい、の二点にあるのであるが、勝率や成功率から見ると、今のところ、本戦法がイビアナに対し一番善戦しているようである。

歴史は繰り返すか

 思い起こせば、戦後まもなくの頃、5五の位は天王山と言われ、広さを重視する思想が支配的であった。それが、升田幸三九段の出現によりスピード重視の流れとなり、現在は次第に玉の固さで勝負の風潮が高まりつつある。

 現代将棋の申し子ともいえるイビアナに、もし、土佐・伊藤流が有力な戦法であるとすれば、広さ→速度→固さ→広さという流れに興味深い符合を見るような気がする。

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田中寅彦九段の居飛車穴熊が登場してから、振り飛車対居飛車の構図が全てが変わってしまった。

居飛車穴熊の威力は物凄く、振り飛車がなかなか勝てなくなり、振り飛車党から居飛車党に転向する棋士も多く出たほど。

居飛車穴熊の登場以降、振り飛車の冬の時代が長く続く。

この状況を打破したのが1990年代後半の藤井システムの登場。

それほど藤井システムは革命的だった。