真部流「大河戦法」

将棋マガジン1991年12月号、鈴木輝彦七段(当時)の「つれづれ随想録」より。

真部一男八段(当時)。将棋マガジン同じ号より。

「何を考えているのか判らなくて思わず長考してしまいました」と局後に言うと、

「考えても判らないと思うよ、何も考えていないのだから」と真部さんに言われたことがある。

 A図は真部さんが得意にしていた陣立て。最近は指していないようだが、この理由も判らない。

 A図から、

  1. ▲3八飛~▲4八玉~▲3九玉の袖飛車にする。これは四間飛車からの袖飛車の変化を考えると一手得の意味がある。
  2. 普通の居飛車
  3. 2を嫌って△8五歩▲7七角を決めれば▲8八飛の向かい飛車の変化。

 他にも変幻自在の指し回しがあるそうで、名付けて「大河戦法」と言うたしい。

 もっとも、居飛車穴熊対策に指していたのも「悠々大河の流れ、大河作戦」と言っていたような気がする。

 A図は別名を「女心戦法」とも言うそうだ。

 女心で苦労し抜いた末に出来た独自の戦法らしい。若手でマネをする人が現れないのが判る気がする。

「女心と秋の空」(正しくは「男心と秋の空」と言うらしいが)と俗にも言うように、女心は読みづらい。

 日本でも有数の財界人が或る女優さんと付き合って「女優は金がかからなくていい」と言ったそうだ。

 楽しい時はいいが冷静になって、無心されると自分が本当に好きなのか、お金が目当てなのか悩む事になるのだろう。

 シェークスピアも「貧乏人の唯一の特権は、それが真実の愛と判る事である」と言っているくらいだ。

「これが、いくら考えても判らないんだね。女性自身が本当の愛かお金が目当てなのか判らないんだから」が真部さんの結論らしい。

 相手がどう思っているのか判らないのに、考えても判る道理がない。

 A図に苦しんでいたのは、恋愛に苦しんでいる男のようなものかもしれない。

 もとより、女性が優柔不断で思慮が浅いという意味ではない。むしろ、現実に生きる強さとロマンの融合がなせる業だという気がする。

(以下略)

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A図の「大河戦法」、たしかにいろいろな方策が取れそうだし、現代ならツノ銀雁木にもすることができる。

相撲用語でいえば、まさしく「なまくら四つ」。

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「これが、いくら考えても判らないんだね。女性自身が本当の愛かお金が目当てなのか判らないんだから」

そうではない女性もたくさんいると思うが、このようなケースもあったということだろう。

シェークスピアの「貧乏人の唯一の特権は、それが真実の愛と判る事である」は初めて聞いたが、なるほどと思わせられる台詞だ。

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「考えても判らないと思うよ、何も考えていないのだから」

相手が何も考えていない時に、真剣になって相手の真意を探る。

結果として、相手が何も考えていないことがわかればまだ救いはあるが、そうではなく、真面目に考え続けた場合は、本当に時間の浪費、何もせずに寝ていたほうがマシだった、ということになってしまう。

ところが、将棋の場合はそうもいかない。意味がわからない手を指されても、相手が何も考えないで指していたとしても、真面目に応手を考えなければいけない。

こちらが何も考えずに指した手を、相手が長考してくれるという逆のケースもある。

もちろん、何も考えずに指した手は、幸運をもたらせてくれないことが多いが。