読む 真部一男八段(当時)「しばしの別れ、さようなら」 将棋世界1998年10月号、真部一男八段(当時)の「将棋論考」より。 その報せを受けたのは、8月10日午後9時過ぎだった。行きつけの酒場の女将が、常連客が話題にしているのを聞いて連絡してくれたのだった。村山君もその店には二、三度行ったことが... 2016.11.18 読む
読む 原田泰夫八段(当時)「一局指しただけでは本当のことは分かりませんが、羽生君は筋のよい将棋のように感じました」 将棋世界2001年2月号、田辺忠幸さんの「羽生善治の軌跡 第2回」より。 羽生との最初の接点は20年前、昭和56年にさかのぼる。翌年、小学館から発刊の運びとなった原田泰夫・田辺忠幸共著の子供向け入門書「将棋初段への道」の教材の一つに、原田八... 2016.11.16 読む
読む 深夜に語り合う森下卓八段(当時)と佐藤康光九段 将棋世界2001年5月号、森下卓八段(当時)の連載自戦記「次の課題」より。 この自戦記の連載が始まって、3年あまりが過ぎた。 今月号の原稿を書くにあたって、過去3年間の自戦記にあらためて目を通した。 この3年間で、少しは進歩しているのだろう... 2016.11.15 読む
読む 森内俊之八段(当時)からの深夜の着信 将棋世界2001年5月号、沼春雄六段(当時)のB級2組順位戦最終局「勢いと自信」より。 第59期B級2組順位戦の最終局は3月9日に行われたが、昇級争いの方は1敗の塚田と久保、2敗の阿部と鈴木大の4人に絞られていた。 私は当日昼頃、対局室に上... 2016.11.14 読む
読む 先崎学七段(当時)がいつも負けてしまう継ぎ盤 将棋世界2000年3月号、河口俊彦六段(当時)の「新・対局日誌」より。 東京の控え室は、今日も中原対先崎戦である。例によって先崎君が素早い手つきで片っぱしから並べ、寸評を言うと、だいたい中原さんがそれにうなずく。 夜戦に入るころ、まず高橋九... 2016.11.11 読む