読む 森内俊之四段(当時)「いえ僕はお茶はどうも……」 近代将棋1989年1月号、武者野勝巳五段(当時)の「プロ棋界最前線」より。「これはこれは武者野先生じゃないですか」「おや滝先生、お久しぶりですねえ。どうですお茶でも」「いいねえ、お茶。先崎先生、櫛田先生、森内先生たちもお茶をご一緒にいかがで... 2019.07.01 読む
読む 佐藤健伍六段の死(1987年) 近代将棋1988年3月号、原田泰夫九段の「元祖三手の読み」より。人生の最後を学ぶ 佐藤健伍五段(追贈六段)死去、12月22日午後9時15分ごろ、世田谷区末廣荘の四畳半のコタツで酒ビール独酌、仰向けになって死んでいた。彼の人徳で各紙が好意的に... 2019.06.30 読む
読む 谷川浩司名人(当時)「私の年齢でこんなことを言うのもおかしいのだが、最近、月日の経つのが非常に早く感じられる。今年は特にそうである」(1988年8月の全スケジュール) 近代将棋1988年11月号、谷川浩司名人(当時)の「新幹線車中にて」より。 私の年齢でこんなことを言うのもおかしいのだが、最近、月日の経つのが非常に早く感じられる。今年は特にそうである。 無理もないのかもしれない。年明けの棋王戦から始まって... 2019.06.29 読む
読む 色紙が招いたタイトル戦カド番からの大逆転 近代将棋1988年11月号、湯川博士さんの書評エッセー「大山康晴十五世名人 我が出会い」より。 王将戦で挑戦者山田道美が大山を3勝1敗と追い込んだ時のこと。 銀波荘の主人が山田に色紙を頼んだ時、「今書くのはどうも気が乗らない。これが終わった... 2019.06.28 読む
読む 先崎学四段(当時)「中学もあんまり行ってないですから。これから高卒のライセンスとろうかなんて。冗談ですけど」 近代将棋1988年2月号、湯川博士さんの「十代、この凄いルーキーたち」の「師匠ゆずりのエンタテナー」より。 若い棋士の取材は、しゃべってくれないのでおじさんレポーターには少々辛い。ひとり先崎クンはエンタテナーで、感想戦や控え室の検討盤でも回... 2019.06.24 読む