福崎文吾七段(当時)の穴熊らしい絶妙手

将棋世界1987年1月号、中島一彰さんの第25期十段戦第2局〔福崎文吾七段-米長邦雄十段〕「福崎、伝家の宝刀で連勝!」より。

将棋世界同じ号のグラビアより。撮影は中野英伴さん。

 第1局を袖飛車の趣向で制した福崎、この第2局では、ついにファン待望の伝家の宝刀、穴熊を披露してくれた。

(中略)

 2図で打った、米長△3四歩が、波乱を呼び起こした疑問手。

 銀をひとつ退らせてからと、軽い気持ちで打った歩のようだったが、ここでは△8九飛成、または△4五歩と勝負すべきところだった。

 2図から、すかさず▲5二歩成とされ、自らの誤算に気付いたか、米長の指し手がピタリと止まってしまった。

 △5二同銀、△同金では、いずれも▲3四銀がある。やむなく△5四歩だが、福崎は飛車も銀も逃げずに▲4一と。以下△5五歩に▲5四歩(3図)と、いかにも穴熊らしい攻めを見せる。

 3図から△3五歩は▲5三歩成。△5四同銀は▲3四銀で、この食らいつきをふりほどくのは至難の技。そこで、米長は△9三飛という受けの自陣飛車をひねり出し、懸命に切らしに出たが、▲4八角~▲7五角~▲6四角と、福崎に好調に捌かれては、強腕を発揮するチャンスは、最後まで回ってこなかった。

(以下略)

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3図の▲5四歩が、じわじわと「本当にいい手だなあ」と感じられる一手。見た瞬間に(まだ変化が読めないうちから)鳥肌が立つような絶妙手だ。

福崎文吾七段(当時)はこの期、4勝2敗で十段位を獲得する。

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はじめの写真は感想戦の時のものだが、福崎七段の迫力・気迫が写真を通しても伝わってくる。