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原田泰夫八段(当時)「だが、自己嫌悪に陥るほど終盤が弱い。プロには弱い、連敗。人生の一区切りの時節になった」

近代将棋1982年4月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。 関西将棋会館  2月1日、小林六段と昇降戦があり、正月末日大阪へ。新しい関西将棋会館に二泊、大変いい気分であった。京都、大阪の講演旅行の折には時間がなく、今回が初めてで...
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森安秀光八段(当時)「明日の作戦ですが、▲7六歩なら△3四歩と角道を突きます」

近代将棋1982年4月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。  棋王戦は共同通信社が東京でお世話役をして、地方の有力社が支えて掲載している。地方社の中では原田の郷里の新潟日報社が、毎年第3局を新潟市で設営、立会解説役にあてて下さる...
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原田泰夫九段の講演(序盤)の再現

近代将棋1982年12月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。 講演  秋冷、仕事をした後の酒のうまさかな、人生の幸福を感じ る。11月17日付で九段、11月25日付で藍綬褒章を下さるご通知、ありがたく感謝、肩書を汚さぬように界、...
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原田泰夫八段(当時)「芸能部の王様は飛角金銀桂香歩をうまく活用なさればいいじゃないですか」

近代将棋1982年2月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。 箱根、石葉亭にて(十段戦第5局)  加藤一二三十段と挑戦者・米長邦雄棋王の七番勝負第5局の立会をさせていただいた。41歳の十段に38歳の棋王、読売棋欄の日本一に全語句地...
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四段昇段を逸した次点者に贈られた賞など

近代将棋1974年6月号、原田泰夫八段(当時)の「棋談あれこれ」より。 名人戦(中原・大山七番勝負)  名人戦が始まると朝日新聞の配達が待ち遠しい。帰宅がおそく本部へ寄らない時は、駅の売店で買う。第一日目の進行はどうか、二日目の夕刊には勝敗...