剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(最終回)

昨日に続いて、湯川博士さんの振り飛車党列伝、「勝つと決めたら勝つのが男 剛剣軟剣両党遣いの、剱持松二八段」より。最終回。

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剱持流が見えてきたところで、最後に加藤一二三九段入門(南口九段門から剱持八段門へ移籍)のいきさつを聞いた。

「加藤さんは師匠の悪口は言いたくない人でね。いろいろ嫌な思い出があって、このまま年鑑に師弟の名前がずうっと載るのは耐えられないということらしいですよ」

ところが将棋連盟では、師匠がすでに故人であることや前例がないこともあり、加藤が師匠を替えることにはいい顔をしなかった。

「加藤さんが師匠を替えたいけど四面楚歌の状態だという話が耳に入ったとき、これは私のところへ来るなという予感があったんだ。皆さんは知らないけど、加藤さんと私とは、実はつながりがあったんですよ」

剱持さんは、嬉しそうに笑った。

「加藤さんも私も升田先生が仲人でね、そういう関係で升田邸でも何回か会ったし、気持ちは通じていたんだ。案の定、加藤さんが師匠を替える件で、初めて師匠依頼に電話したのは私だと言うんだよ。もちろん一発でOKしました。だれも引き受けたがらないという話になると、棋界広しとはいえ、私しかいないでしょう」

剱持流「師匠替えの秘剣」ともいうべき荒技である。将棋も本気を出すと恐いが、棋界の難問も本気で解決する。人間としての底力を秘めたところに、剱持さんの魅力、本質を感じた。

(了)

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10年以上前の将棋世界の付録で「将棋を覚え始めた頃の思い出の一手」という企画があった。

全棋士が子供の頃に指した手(愛用していた戦法、好手、ポカ、思い出)を書くというものだが、剱持八段だけが、昨日掲載した1988年C級1組順位戦で羽生五段(当時)に勝った一局を載せていた。

こういうところも、いかにも剱持八段らしくて嬉しい。

「剱持が勝つと言えば絶対勝つ。(最終回)」への2件のフィードバック

  1. こんにちは。
    湯川博士さんの剣持八段列伝は、大変興味深く拝読しました。いわゆるスター棋士ではない棋士の人姿を知ることは少ないので、こういう機会はありがたかったです。個人的には、投資の危機のところもぜひ知りたかったですね(^^;
    ところで、棋士は、全員が大きな野心を持ってプロになったのだと思います。生活が安定しているから公務員を志望する、というのとは動機が大きく異なることと思います。
    しかし、世間的に名の知れる棋士になるのはほんの一握り。ほとんどの棋士はタイトル戦にも登場することなく、現役を退いていくわけです。
    当初の志が色あせ、棋力と気力が落ちていく中で、どのように人生の目標を修正していくのか。おそらく他の知的職業に就けば成功した人も多いのではないかと思いますので、いろいろな思いが交錯するのではないかと感じます。多くの棋士のそうした話しを読んでみたいと思います。
    私も、成功した人の話より、多くの無名の人の話に興味が強くなってくる年代と状況になってきました。将棋ライターの方には、スポットライトの当たらない棋士の人生も、今後もぜひ紹介していって欲しいと思います。
    追伸:前回の私のコメントに対して、詳しく仙台の女子高の制服を思い出させていただきありがとうございました(懐かしかったです!)。

  2. 青葉繁さん
    青葉繁さんのコメントを湯川恵子さんがプリントして、湯川博士さんに見せたところ、博士さんはとても喜んでおられたということです。
    剱持八段は、自主的にフリークラスへ飛び出した第一号の棋士で、パソコンは8インチフロッピーの時代からの使い手だったということなので、進取の気性に富んでいたのでしょうね。

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