「弟子が師匠に勝つことが恩返しになるとは限らない」

将棋マガジン1990年6月号、「名棋士、二上よさらば」より。インタビュアーは田辺忠幸さん。

 昭和の名匠が一人、盤上から消えた。日本将棋連盟会長の二上達也九段である。人間の寿命が伸びたのにつれて棋士生命も長くなった今、58歳で第一線から退くのは早すぎるし、B級1組を確保したのだから、もったいない感じもするが、余力を残しての引退は、いかにも、さっぱりした性格のガミさんらしい、いさぎよさ、さわやかさではある。

 引退表明の記者会見が行われたのは3月26日。それから1週間後に、将棋会館で改めて引退の弁をうかがった。

―現役40年、お疲れさまでしたが、まだ若いのに、という感じをぬぐい去ることは出来ません。現に長年のライバルだった加藤一二三九段あたりの棋士たちからも惜しむ声があがっています。引退の決断をされたのはいつごろなのですか。

「3年ほど前から成績は振るわなくなり、そろそろ年貢の納めどきかな、と思っていました。それで、去年の5月に会長になったとき、どうしようかなと悩みましたよ。その後、11月17日の「将棋の日」に勤続40年の表彰を受けて、ちょうどいいや、と心に決め、年度末まで待って、順位戦のけりがついたところで表明したわけです。もっとも、40年まであと1年あると思っていたんですがね。もちろん、順位戦では、A級カムバックを目指してはいましたけど、一度そろそろなんていう考えになると、頑張る気力が衰えますね」

―奥様には、いつ打ち明けられましたか。

「今年に入ってから、そう、年の始めでした。やめるよっていったら、アッソウ、なんて感じで、あっさりしたもんでした。すっかり拍子が抜けましたよ」

―記者会見で「弟子の勝てなくなった。将棋のことは弟子にまかせたい」といわれましたが、羽生善治竜王の成長も引退と関係があるんでは。

「いくらかはあります。今度、羽生がB2に上がり、私はB2に落ちそうになりましたが、弟子と同じクラスで戦うのは嫌ですからね。羽生と当たったのは、日刊ゲンダイ一局だけです。相撲界では、稽古をつけてくれた先輩に勝つのを恩返し、といいますが、私は、恩を返されても弟子に負けるのは、はっきりいって面白くありません。羽生は思ったより強くなっています。今度も谷川名人に(全日本プロ・トーナメント決勝三番勝負)でなんとなく勝ってしまいましたね。このままいけば心配される壁もなさそうです。羽生は私の物差しでは計れないところがあります。もっと大きい物差しじゃないとね。羽生に関連していえば、10代の棋士ばかりというか、一部の天才だけが活躍する将棋界では駄目です。もろい面があり、かえって薄く、危ういような気がします。

<二上-羽生の唯一の対戦は、1989年3月10日、日刊ゲンダイ主催のオールスター勝ち抜き対抗戦。125手で羽生五段が勝ち、5人抜きを果たした>

(以下略)

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「相撲界では、稽古をつけてくれた先輩に勝つのを恩返し、といいますが、私は、恩を返されても弟子に負けるのは、はっきりいって面白くありません」

いつ頃から将棋界で「恩返し」という言葉が使われ始めたのだろう。

たしかに、弟子が師匠に勝つこと=恩返しとは、感覚的にピンとこない。

そもそも師匠がそう思っていなければ、その一門においては、師匠に勝つことが恩返しにはならなくなる。

師匠よりも将棋が強くなること、師匠よりも将棋界で活躍すること、などは全ての師匠が喜ぶだろうが、直接対決となると話は変わる。

恩返しには様々な形態がある。

羽生善治九段は、その活躍、実績自体が二上達也九段への恩返しになっている。

弟子が師匠に勝つことは必ずしも恩返しにはならない、と結論付けて良いだろう。

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久保利明二冠の師匠への恩返し

弟子から師匠への本当の恩返しとは(NHKテキストビュー)