安食総子女流初段の「癒し系」と言われる魅力の源泉と、とても不思議な話。
将棋世界1999年2月号、安食総子女流2級(当時)のリレーエッセイ「待ったが許されるならば……」より抜粋。
私は幼い頃は、おてんばで活発な子供だった。木登りが大得意。危ない所に登ったり動き回ってはいつも親に注意されていた。小学校の時も、授業中は発言したり、意見を言ったりすることが出来た。自分からどんどん立候補したりする積極的な面は、今ではあまり考えられない。
しかし中学に入った頃から、なるべく目立たないように、良く言えばおとなしく、悪く言えば不活発な状態になっていった。
高校に入って、ある記事を読んだ。そこには女性の自立を中心とした「大人への自覚」についてが書かれていた。思春期と呼ばれる年齢にさしかかった女子の中には、「恥ずかしい」という感情が勢力を広げ、必要以上に周りの目を気にするようになる人もいる…といった内容で、そこには社会の仕組みや自立の問題等々書かれていたのだ。
この記事を読み「あっこれ私だ…」と思った。なるほど思春期のせいでしたか…。「あじちゃんってよく壁づたいに歩いてるよね」と昔言われてショックだったことを思い出した。
そして、小さい頃の私は、自由きままに生きる変わった子供だったらしい(もっともこれは今も変わらないような気もするけれど)。
とても仲の良いかおちゃんという友達といつも遊んでいた。特に雨の日に遊ぶのが大好きだった。長靴を履いて水たまりの中に入るのが、傘をささずにずぶぬれになるのが…。いつも出かける時とは違う服で帰ってきていたらしい(ずうずうしくも人の家で服を借りていた)。そして、きのこを集めるという趣味(?)があって、近所の木々の下や茂みの中からビニール袋いっぱいのきのこを集めては持って帰っていた。変な子だ。
私はそのかおちゃんととても貴重な体験をした。かおちゃんちの玄関で、女の子の”妖精”を見たのだ。もちろん誰も信じてくれなかったけれど。
高校に入ってからかおちゃんに久し振りに会って聞かれた。
「そう言えば、昔うちで妖精見た、よね?」
「やっぱりいた、よね?」
「良かった…」
あの妖精は、もう見られないのだろうか。
(以下略)
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先週土曜日の将棋ペンクラブ交流会に来ていただいた安食総子女流初段に、懇親会の時に「妖精」のことを聞いてみた。
安食女流初段は、昔を懐かしみながら嬉しそうにこの時の妖精の話をしてくれた。
子供にしか見えない”何か”は確実にあると思う。
安食総子女流初段と”妖精”、とても素晴らしい組み合わせだと感じた。