深浦流と先崎流

13年前の深浦康市王位のエピソード。

近代将棋1997年9月号、中井広恵女流五段(当時)の「棋士たちのトレンディドラマ」より。

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連盟で対局結果の表を眺めていると、何やら強い視線を感じた。振り返ってみると、深浦五段がジッと私の顔を見ている。

時々、電車などで将棋ファンらしき人に見つめられることはあっても、それが知り合いだと、何とも妙な気分だ。

「ど、どうしたの?」

と尋ねると、目をまん丸にして、

「切っちゃったんですか?」

と、悲鳴にも似た声。

どうやら、私の髪型がかなり変わってしまったので、驚いたらしい。

「夏だから思い切ってね。でも、そんなリアクションされると、こっちがビックリしちゃうよ」

「かなり短くなりましたね。いいじゃないですか。似合いますよ」

ああ、何て嬉しいことを言ってくれるのか。女性はヘアスタイルを変えると誰かに気がついてもらいたくて仕方がないのだが、棋士は、控え目な人が多いから、なかなか声をかけてくれない。

「深浦君も社交辞令が上手になったなあ」

と主人は言うが、例えお世辞でも嬉しいもの。

亭主関白の深浦五段だが、ちゃんと女心をわかっているのだ。

次は、13年以上前の先崎学八段のエピソード。

そういえば、こんなこともあったっけ。先崎六段と一緒に食事をした時のこと。彼が私の髪型の変化に全く気がついてくれないので、こちらから、

「ねェ、私どこか変わった所がない?昨日髪を切ったんだよ」

と、きり出すと、

「えっ、全然わからんかった。毎日会ってれば気がついたやろうけどなぁ。久し振りだったから」

彼は時々おかしな関西弁を使う。

「もう、鈍感なんだから。女性のヘアスタイルに敏感にならないとダメじゃない」

「女性? あっ、いちおう広恵ちゃんも女性か……」

お互い気心が知れているので、思ったことをズバズバ言う。

「実は、俺も昨日床屋に行ってきたんだよ。偶然だねぇ」

そんな出来過ぎた話があるわけない。おまけに、いつも冗談を言う時の、あのニタッという顔をするので、

「またまた、嘘ばっかり。私を騙そうったってムダだよ。先ちゃん、全然ヘアスタイル変わってないじゃない」

すると、軽く頭を突つかれ、

「人のことを散々鈍感だとか、よく言うよ」

と舌打ちして笑う。そう言われてみれば、彼にしては髪の毛が整いすぎている。

どうやら本当に床屋に行ってきたらしい。マズイと思い、いろいろ言い訳してみたものの、彼の冷やかな視線は変わらず。

こういうのを墓穴を掘るというのだろう。意外と異性のことは見ているようで見ていないということか。

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21世紀の現代は、職場等において、女性の髪形が変わったことを誉めてもセクハラと思われてしまうリスクがあるので、一般的に男性陣は慎重になっているかもしれないが、相手の異性との相互の感情的な距離感によって使い分ければ良いのだと思う。

それにしても、いまだに思い出すのは、私が20代の頃のこと。

親しい女性に、

「化粧してもしなくても変わらないよ」

と言ったことがある。

これは、化粧をしなくとも素の顔が綺麗なので、最大級の誉め言葉のつもりで思った通りのことを言ったのだが、かなり不評だった。

誉め方にもテクニックとスキルが必要だと痛切に感じた。