「内のは、人格者とか言われてますけど、けっこう遊び人なんですよ」

将棋世界1990年2月号、鈴木輝彦六段(当時)の「上達の処方箋」より。

 米長夫人に、中原先生の奥様と話をした時の事を聞かせていただいた。20年位、話をする機会がなかったが、あるパーティーで一緒になり、意気投合したそうだ。

「あ、それそれ、分かります」「そうなんですよねっ」と、皆まで言うなという感じだったらしい。

 棋士の妻の喜びや苦労が”あうんの呼吸”にする。最後に「内のは、人格者とか言われてますけど、けっこう遊び人なんですよ」と中原夫人が言ったそうで、(それなら内のは極悪非道ね)と思ったそうだ。

(以下略)

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遊び人の定義にもよるが、遊び人の人格者は世の中にたくさんいる。遠山の金さんだってそうだった。

人格者と遊び人は、決して矛盾はしない。

中原誠十六世名人の奥様が「遊び人」と言ったのは、世の中からは堅いイメージで思われているかもしれないけれど、実際は普通にさばけている、という意味合いだろう。

真面目な中原十六世名人のことを遊び人と言うならば、相対的に米長邦雄永世棋聖は「極悪非道」になってしまう、と米長永世棋聖の奥様が思ったという展開。

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この記事の後、鈴木輝彦六段(当時)は順位戦でB級2組からB級1組へ昇級している。

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将棋世界1990年7月号、米長邦雄九段の連載自戦記〔勝ち抜き戦 対 鈴木輝彦七段〕「親孝行の対決」より。

 この講座で、かつて鈴木君は、中原誠を「遊び人名人」と呼び、私を「極悪非道」と書いた事があった。

 久々に中原先生が怒ったのを見たが、これが、愛情もなく、物事をナナメから観る事の好きな書き手のものであれば、当然黙ってはいない。

 しかし、書いたのは鈴木輝彦だ。

 昇段後に中原先生は彼に中華をふるまった。私はご家族にフグを賞味していただいた。

 人間は普段が大事なのである。

(以下略)

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「久々に中原先生が怒ったのを見たが」

これは、本当に怒っていたのかどうかはわからない。

中原十六世名人と鈴木輝彦八段はもともと仲が良い。

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「私を極悪非道と書いた事があった」

半分冗談が入っているとも考えられるが、奥様の談話を載せてもこのように思われるのだから、文を書くということは難しい。

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「人間は普段が大事なのである」

まあ、結論はこういうことになる。