1983年4月の女流王将戦三番勝負は、高校生になったばかりの林葉直子女流王将に中学2年の中井広恵女流二段が挑戦するというものだった。
「高校1年の女流タイトル保持者に中学2年の天才少女が挑戦」ともなれば、現在でも大ニュースになるが、当時も空前の報道合戦が繰り広げられたという。
しかしこの三番勝負、盤上の厳しさからは想像もつかないほどの微笑ましい舞台裏があった。
近代将棋1998年12月号、大矢順正さんの「蛸島彰子と女流棋界の歩み⑰」より。
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林葉は米長門下、中井は佐瀬門下だから同門対決となる。
福岡県出身の林葉、北海道稚内出身の中井だから「南北戦争」などの見出しが新聞紙上を賑わしていた。
佐瀬八段(当時)の「二人の地元で対局させてほしい」という強い要望で、第1局が札幌、第2局は福岡市、第3局は将棋会館と決まった。
立会人は佐瀬八段が務めるというファミリー的な要素がいっぱいのタイトル戦だった。
林葉、中井は同年代とあって盤を離れれば大の仲良し。いつも姉妹のように連れ立っていた。
「二人一緒のほうがいいよな」
と佐瀬八段は、ホテルの部屋も一室に二人という、今では考えられない計らい(?)だった。
いくら日頃、仲良しだからといって、この計らいは二人とも戸惑ったようだ。
後に二人に聞くと「あれはないよね~ッ」と言っていた。
控室にはNHKをはじめテレビ局が4社、写真雑誌のカメラマンや他の新聞社などがごった返していた。女流がこんなに騒がれるとは、かつてなかったことだった。
(中略)
第1局は中井が勝った。続く第2局は林葉の地元、福岡市で行われ、こちらは林葉が勝ってタイ。
第3局は5月30日、東京の将棋会館で行われた。
二人は、3局とも学校の制服で臨んだ。筆者も将棋会館に取材に行ったが、約20社の報道関係者が来ていたのには驚いた。
両者は盤を挟んでも離れても仲良しだ。
昼休みに地下の食堂「歩」に行くと二人が並んで食事をしながらキャッキャッと笑い転げている。
タイトル戦を争っている者同士とはとても思えない雰囲気。
後に聞いた話だが、記録係を務めていた日浦市郎二段(当時)が、担当の記者にこっそり教えた秘話がある。
それは、対局中に二人が盤の陰でしきりにジャンケンをしていたのだという。
ジャンケンで勝ったほうが将棋に勝つ?いや、さすがに勝敗をジャンケンで決めるほど不謹慎ではなかったようだ。
が、二人がやっていたのは、ジャンケンで勝敗を占っていたのだそうだ。何とも呆れた話だが二人の仲良しぶりが窺えて、思わず笑ってしまった。
ジャンケン占いは中井勝ちだったそうだが、結果は逆。林葉が勝って王将初防衛に成功した。
このヤング同士は、その後もタイトルを争い続けるのである。
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将棋会館地下の伝説となった食堂「歩」には、私も一度だけ行ったことがある。
午後遅めの昼食でカレーライスを頼んだ。
ニンジンとジャガイモが沢山入ったカレーだった。
肉についてはあまり記憶がないので、少なすぎず多すぎずの肉量だったのだと思う。
当時でも、ニンジンとジャガイモが沢山入ったカレーはほとんど見かけなくなっていたので、少しだけ新鮮に感じた。
たしかに、レストラン「歩」ではなく食堂「歩」というほうがピッタリとくるイメージだった。
富良野へ行った時、「北の国から」に登場する有名な「三日月食堂」へ行ったが、この時のカレーライスにもニンジンとジャガイモが沢山入っていた。
ちなみに「三日月食堂」の名物はラーメンだったので、二日目は田中邦衛さんが大好きだという醤油ラーメンを頼んだ。
その「三日月食堂」は去年の9月に閉店してしまい、「歩」も1990年代前半になくなっている。