大山康晴十五世名人と塚田正夫九段と七條兼三氏

湯川博士さんの一手劇場―将棋巷談、「詰みますか」より。

大山康晴十五世名人と塚田正夫九段が、七條兼三氏へ謝りに行った時の詳細な話。

(湯川博士さんのご厚意により、「詰みますか」の全文を掲載させていただきます)

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上野駅公園口から出た二人は、公園の一隅にある屋敷に入っていった。表札には七條兼三とある。緊張の面持ちの二人は座敷に通された。七條は酒を飲んでいた。

「七條社長には多大なるご援助を賜っており、そのことは一同十分に理解して……」

「理解? してほしくねえ」

「事務局の不手際とともに、我々指導する者が至らなかったことは反省しており……」

「事務局? そんなものは知らない。だいたい人にものを頼むときは頭を下げて来るのに、用が済んだら挨拶もないっていうのが気にいらねえ」

口上役の大山康晴副会長と時の会長・塚田正夫は、将棋連盟の不手際をひたすら謝った。

そこへ七條家出入りの升田幸三九段が来た。升田は碁の約束があったらしく、さっそく打ち始めた。二人は宙に浮いた形だが、ケリがつかぬうちは帰るわけにはまいらぬ。

一局終わった頃合いに、「この度のことはこちらが全く悪うございました、申し訳ありません」と大山は頭を下げたが、七條はこちらを見てくれない。碁の目を数え、また一局打つような気配だ。盤上では忍の大山といわれているが、盤外でも見せ場がきた。

(もともと悪いのはこちらなんだから、ここは腹を立ててはいけない。謝る一手だ……)

コトの起こりは、将棋会館建設募金に尽力のあった七條が、代替会館の世話を連帯保証人になって成した。ところがいざ新館が落成するや騒ぎに紛れ挨拶を忘れた……。

七條はすでに一升は空けているだろう。また新たに酒が運ばれ、手酌でグビリと杯を空ける。酒好きの塚田、思わず唾を飲む。

七條家に六時間あまり滞在し謝り続けたが、許しは得られず後日改めてという形になった。七條にすれば仲の良い升田の手前、意地を張ってみせたのかもしれぬ。

数日後、秋葉原ラジオ会館の社長室を塚田、大山が訪れた。大山は以前に懲り、目には目を…のつもりでビールを軽く引っ掛けて行った。逆に七條は素面だった。

大山が謝る。七條はけしからん、常識に欠けると怒る。何度か繰り返しているうち、いつの間にか話題が変わっていた。

「話はこれくらいにして……。ま、仲良くやりましょう。

七條の顔がゆるんだ。それまで黙っていた塚田が言った。

「七條さん、酒をください」

「よろしい。そのかわりこの詰将棋を解いてください」

塚田は出された冷酒を喉を鳴らして飲み、フーッと息をつくと盤上を見た。

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七條は初め詰将棋の解答王からスタートし、のちに一流詰将棋作家となった。塚田もプロ棋士では優れた詰棋作家である。

五分、十分経っても塚田はにらんだまま。七條は酒が入り大山と談笑している。升田から聞いていた印象と違うせいか、意外なる魅力を大山に見出したようだ。

「塚田さん、詰みますか」

塚田は黙ってコップに酒を注ぐ。詰むとも詰まぬともいわぬ。七條の自慢作を簡単に詰ましてはいけないと思ったのか、本当に詰まないのか。

三十分経った。しびれを切らした七條が、

「塚田さん、詰まないなら詰まないと書いてください」

後日、塚田の著作が送られてきた。そこには問題図と、

「三十分考えたが詰まない。1五金には気がつかなかった 塚田正夫」のサインがあった。

社交下手な塚田の、生涯唯一の世辞だった。

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詰将棋の正解は、▲3五龍△1六玉▲1五金△1七玉▲2六龍△同玉▲1六飛まで。

3手目▲1五金を△同歩は▲2六飛△1七玉▲1五龍まで。