広島の親分(3章-3)

花村九段との思い出
「前回、僕が高木さんのところにお邪魔したのは10年前になりますね」
「おう、あの時はおもろかったな」
はじめは雑談が続く。私はカメラのファインダーを覗きながらシャッターチャンスを狙った。しかし高木さんの目が笑っていない。目が笑うまで少し待ってみようと思ったが3分経っても目が笑わない。そのうちに私は、高木さんは元々こういう目の表情の方なのだということに気がついた。
高木さんは目に特徴のある顔立ちだ。
 話題は、高木さんと親交の深かった花村元司九段のことになる。
「花村さんは、よくここへ遊びに来てくれてな」
花村九段は大阪で対局があった後など、ふらりと広島の高木さんの家を訪れ、将棋を指したり一人で競輪へ行ったりしていた。高木さんは駒落ちを何局も指してもらっている。
話は森下卓八段(当時)にも及ぶ。

北九州から将棋の修行のために高木さんが当時経営する将棋道場に来ていた森下卓少年は、高木さんに見込まれ、その後押しで花村門下に入った。

高木さんは森下八段のことが可愛くてしかたがない。名刺にも「卓将会最高顧問」と森下八段後援会での肩書きが刷り込んである。
「森下のお祖母さんいう人が立派な女性じゃった」
高木さんが女性をほめることは滅多にない。森下少年は奨励会合格後、このお祖母さんと一緒に東京で暮らし始めるのだが、高木さんは上京したおり何度もこの住まいへ行って、お祖母さんと酒を飲んだ。

2005年の読売新聞のインタビューで森下八段は「祖母は対局のある日の朝食に、いつもステーキとトンカツを用意した。テキ(敵)にカツ(勝つ)という験担ぎです」と話をしている。

カツだけならよくあることだが、ステーキもというところが凄い。
 入門後、森下少年は花村九段から何百局という指導将棋を受ける。
「花村さんがあんなに指導将棋したのも、わしのことを気にしてくれてのことと思うんよ」
花村九段は、その後の弟子の深浦康市王位にも同様に指導将棋をしているので、一概にそうとは言い切れないかもしれないが、花村九段が高木さんを尊重していたことは確かだ。
高木さんは、花村九段が亡くなる少し前に病院へ見舞いに
行っている。この時が最後の別れとなった。