広島の親分(最終章-2)

湯川さんの持ちネタ
 湯川博士さんの、原稿は、近代将棋の「アマ強豪伝」で4回に渡り掲載された。とても面白い内容だった。
 広島から戻ったあと、湯川さんは飲んでいる席などで、同席している人達に広島での取材の模様を面白可笑しく語った。
「雀荘で学生が、高木さんに向かって『オヤジ、豚玉4つ』とか大声で頼むんだよ。ドキッとしちゃうんだけど、高木さんは雀荘の親父になりきって愛
想良く応対していてさ。高木さんは芝居をするのが好きなんだよね」
 確かに、私だったら、あの雀荘で麻雀をやっている時に、どんなに空腹になろうが食べ物を頼むことはできないと思う。
「森君をカメラマン役と紹介したのに、途中で『このカメラどう写せばいいんですか』って言うんだよ。本当に焦っちゃったよ」
 私が写真を撮っているときにフィルムがなくなった。「湯川さん、フィルムどう入れればいいんですか?」と聞いたことは確かだ。
「泊まったホテルのフロントの人が、俺たちのこと、中国高木会に関係しているその筋の人間と思っていただろうね。俺は東京の同業者で、森君は悪徳弁護士か悪徳会計士」
 湯川さんはあの日、真っ赤な地に黒い模様が入ったアロハっぽい派手なシャツを着ていた。そう思われている可能性は高い。
 湯川さんは、少しずつバリュエーションを変えながら、何度も広島の話をしていた。
湯川さんも高木さんのことが大好きなのだと思った。