コピーライター糸井重里さんが考える、将棋界をアピールする方法。
NHK将棋講座1996年6月号「寅さんの初段一直線③」より、講師の田中寅彦九段と、ゲストの糸井重里さんの対談。
田中 糸井さんからご覧になった、今の将棋界はどんなふうに感じられます?
糸井 刻々と変化していますよね。その動きそのものが面白い。麻雀でいえば、突然、パイが変わってしまった気がします。
田中 ”女房の小春”の時代は静止画像のように受け取られていたと思うんですが、いまはどう変わってるんだろうというイメージがあって、見てくれる人が増えた気がします。
糸井 そうですね。僕なんか、羽生さんの七冠王達成の瞬間を見ようとテレビつけてましたもん。将棋そのものはよくわからないのに。そんなこと、いままでの僕にはありえない。人込みに列ができていると、人は必ずそこに並ぼうとするでしょう。サイレンの音がしたり、あわただしく消防団員が動いていれば、人は振り向きますね。そんな印象ですね。
田中 その列は、並び始めた時期でしょうか、それとも、並び終わった状態でしょうか。
糸井 地方都市の格式ある日本家屋の入り口あたりに、突然、テーブルクロスをかけた椅子が並び始めたというか、それが葬式なのか、建て増しなのか、結婚式なのか。あそこの家、前から何かやっていると思っていたけど、確かに何かしているぞと。ふだんは何げなく、散歩のコースだった家の前で立ち止まって「ナントカさんもみえているみたいね」って感じです。その印象は花輪の種類によってなんとでもなりますよね。
田中 われわれとしては、どんな花輪から付けていくべきでしょうか。
糸井 おそらく、将棋連盟を中心にした将棋界が、どういうことをしているのかを広く知らせる時期じゃないかな。
(中略)
将棋は指さないけれど、将棋界に興味があるような人たちによっても将棋界は支えられていると思うんです。プロ野球だってそうですよね。観戦に行くファンはわざわざ電車に乗って、弁当買って2,3時間球場にいるわけですよね。テレビで観戦している人もいるし。あの姿に近づくことができるように、追求すべきじゃないかなと。
(中略)
糸井 「よくわからないけど、すごい」って皆が思うのがいちばん面白いですよね。わかるって、ムリだと思うんですよ。プロの技ですから。野球がいい例ですよ。タクシーの運転手さんから飲み屋の話題まで、野球については自分がプロみたいな感じでしゃべる人がいますよね。
田中 あの野郎、あそこでバント失敗しやがって、とかね。
糸井 それが、ある水準に達している批評眼かといったら、そうじゃないと思うんですよ。そんなに簡単にわかっちゃ困りますしね。それでも答えがひとつでないから、自分の考えを述べられるってところが面白い。
田中 同じ情報をもとにして、大勢の人が自分のフィルターを通して何かを言っている面白さですね。
糸井 専門業界でいう面で考えるとプロゴルファーがいい見本だと思うんです。ゴルフ界のことなど知らなそうな人が意外と顔を知っている。だけど一人一人の個性までは知らない。まずは、その程度に知ってもらうのでいいじゃないですか。
田中 私たちプロのほうも、いきなり欲をかかないほうが賢いということですね。
糸井 「皆さん、よく将棋に興味を持ってくださいましたね。一気にここのレベルまでいきましょう」となると、しんどくなってしまいますよ。
田中 それは、ルールを教えるときにも言えることです。こちらの範疇で考えれば、当たり前のこともそうはいかない。何回も同じ解説をして「よく、わかりました」と言ってくださっても、次の日、また同じところでミスをされるのですよ。
糸井 それが普通でしょう。太鼓判押します。素人って、ごほうびがほしいんですよ。釣りでいえば、1匹釣れることなんです。僕は釣りは絶えず本を読んだり、ビデオ見たりしているんですけどね。「こうっやって、こうやって……、ほら釣れるでしょう!」「わあ、いいなあ!」と思うわけです。でも将棋の場合は、「この手が決め手でしたね」と解説されても「ヘェー?」と。素人の僕にはわかりやすい快感がないんだなあ。
田中 それは、残念だな。この人はどこまで理解しているのかを理解しているのかを理解して指導して行くのがレッスンのプロなんですけどね。強くなればなるほど、下のレベルの層の気持ちがわからなくなりがちなんですね。
糸井 それができれば、ほんとうの成熟なんでしょうね。真の実力者って、こちらの質問にきちんと答えてくれるんですよね。もっとも、こちらが質問できるようになるには、時間がかかりますが。
(中略)
糸井 だって、素人からするとプロ棋士って、地球を7周り半ぐらい先を行っているような人に見えます。1周遅れなら、追いつける気がするけど人種が違う気がするもの。
(中略)
田中 「羽生の頭脳」という本のタイトルのように、パッケージ的に将棋全体を「こうだよ」ってまとめたコピーもあればいいなあ。古風でもあり、今風でもある言葉で…。そういうコピーが浸透していくといいなあ。何か思いつかれたら、ぜひ将棋連盟に教えてあげてください。
糸井 必要ですかね。というか、将棋ってそんなレベルじゃないと思うんです。いや、僕は本職がコピー屋だから逆に真剣に考えちゃうんですけど、かえって邪魔じゃないかな。この訳のわからなさの中に入ってきてほしくない。
(中略)
糸井 しかも九段という段位を持っていらっしゃるような方が「まだわからないんですよ」と言っている魅力ってすごい。僕なんか、そういう言葉にスッと引きつけられます。
田中 そのわからなさに関して、碁界の最高峰に立った藤沢秀行名誉棋聖と、将棋界の鬼才といわれた故・芹沢博文九段の有名な至言がありましてね。「われわれは自分たちの世界のことを、全部で百としたら、どれだけわかっているだろう」という話になり、おたがい封じ手のように紙に書いたわけです。芹沢さんが「6から7」だったのに対し、碁界の天才は「3か4」と。そのとき芹沢さんは「オレはなんて思い上がっていたのだろう」と恥ずかしかったそうです。そういうレベルの世界ですね。
糸井 そのわからなさが、面白いんだと思いますよ。結局、将棋は人間のやる遊びだから、人間の可能性が限りないことの証明でもありますよね。人間の奥深さに合わせて、将棋の奥深さもあるわけだから、簡単に「こうなんだ」というものではないと思います。
(中略)
野球のスローガンにしても、力を強めて野球は面白いとは言ってませんよね。大リーグでは7回になると「私をボールゲームに連れて行って」を皆で歌うんです。でも、ボールゲームについての表現は何もない。そのことを説明しないで「連れて行って」なんですよ。
田中 囲碁のコピーで確か「レッツ碁」とかいう、うまいのがありましたよ。
糸井 うまいかどうかは……。たとえば香りって、人間にとっていちばんプリミティブな刺激、感覚ですよね。でも、香りそのものを表現する言葉ってないんですよ。スズランのような香りとは言えますが、「……のような」としか表せない。それって、逆に強さだと思う。「あの人はいい香りがする」と言えば、「どういう香り?」と聞かなくとも、素晴らしい人だろうと感じる。そういう例と近い気がします。妙に張り切ってコピーをつくるより、そのまんま、でいいんではないでしょうか。
田中 わかりました!端的に将棋を表現しようなどと思うなというのが、今日の最高のアドバイスですね。そういえば、石田和雄先生は解説のとき「う~ん、これはムズカシイ!」とかうなるんです。あれだけで、シビレたりして。
糸井 それって、知らない人にはかえってカッコいい。僕らのキャパシティを超えているところで、まだわからないものがあるというのが、ビューティフルなんですよ。
田中 う~ん、どうすればいいんでしょう。ど~なるんでしょうね。
糸井 きれいに解説できちゃったら、誰でも、将棋って覚えればうまくできちゃうのかって勘違いしますよ。
田中 それではとりあえず、一度対局してみましょう。
(以下略)
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この対談が行われたのは、羽生七冠王誕生の3ヶ月後でNHKで「ふたりっ子」が放送される1年前。
クリエイティブの世界のメジャープレイヤーであった糸井重里さんの感性は鋭く、非常に説得力がある。
そういう意味では、現代のネット中継や梅田望夫さんに代表されるような著作によって、糸井さんが話していたような方向性が具現化されていると言ってもいいと思う。
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この記事を書いている最中に、糸井重里さんと梅田望夫さんと岩田聡さん(任天堂代表取締役社長)の対談があったことを発見した。
→適切な大きさの問題が生まれれば(ほぼ日刊イトイ新聞2008年11月)
将棋のことが最後に少し出てくる。