森内俊之九段と佐藤康光九段の勝負哲学の違い

昨日に続いて、将棋マガジン1996年1月号、青島たつひこさんの「佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック」より。

「佐藤康光&森内俊之のなんでもアタック」ができた経緯と、二人の棋士の哲学。

「プロ棋士の能力を探る実験をやりましょう。ファンも参加できて、みんなで楽しめる企画ならなんでも大歓迎。たとえば、こんなのを考えてるんです」

編集部から話があったのが二ヶ月ほど前。目かくし多面指し、詰将棋の早解き競争、ミックスダブルス将棋対決、天野宗歩や坂田三吉の棋譜に挑戦etc…。普段の公式戦とは全く違った角度でプロに勝負してもらい、これをできる限りファン参加の公開形式で行うという。ふむふむ、これはなんだか面白そう。

「企画の第一の狙いは、プロ棋士の能力を探ること。今までに誰もやらなかった『壁』に挑戦してもらいたい。プロの能力を探ることによって、将棋の楽しさを再発掘するのが本当の狙いです」

編集部談。いいこといいまんなあ。要するに、将棋盤と駒を使って、思いきり遊んでしまおうというのだ。その遊びにプロを巻き込んでしまおうというのである。

こういう遊びは真面目にやらなくては面白くない。編集部が目をつけたのが、佐藤康光前竜王と森内俊之八段という若手強豪コンビ。

(中略)

企画が決まって、すぐ両プロとの打ち合わせに入った。企画の順番、内容、日程、設営。決めなくてはいけないことがたくさんある。企画協力のお二人も、内容に対するチェックは厳しい。

「女子大生を招いてアベック将棋トーナメントをやるというのはどうでしょう。観戦記者と女流棋士のペアも入れたいと思いますが」

森内八段は「いいですね」と言ったが、

佐藤前竜王は「それ、なんか意味があるんですか」。

「お二人に六枚落ちの上手と下手を持って交互に指していただく。下手を持って、短手数で勝ったほうが勝ちというのはどうでしょう」

佐藤前竜王は「新定跡をつくるという意味なら面白い」と言ったが、

今度は森内八段が「将棋は手数を競うものではありません。それに駒落ちはちょっと…」。

普段の付き合いで知っているつもりだったが、森内八段の勝負に対するこだわりは予想以上だった。一方の佐藤前竜王も、「形に残らない遊びだったら、やる意味がない」という。これは、そのまま両プロの勝負哲学といっていい。

激論数時間。最初に俎上に上げられた企画は「目かくし多面指し」。両プロが、目かくしで同時多面指しを行う。その多面指しの限界に挑戦しようというのである。

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この時の二人の勝負哲学は、その後もそれぞれ強く貫かれている。

それにしても、「女子大生を招いてアベック将棋トーナメントをやるというのはどうでしょう」に対する「それ、なんか意味があるんですか」は、若い男性がなかなか簡単には言える言葉ではないと思う。

それだけ佐藤康光前竜王(当時)が将棋を学究的に捉えていたということになるのだろう。