谷川浩司竜王(当時)のプロポーズの言葉

将棋世界1992年8月号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 激動の婚約発表から1ヵ月ちょっと。あまりの意表さに声を失ったファンも多いだろう。私もその中の一人なのだが、会う人、会う人「そんなことはないでしょう。全部知ってはったんちゃいまっか」と詮索される。

 谷川浩司の婚約・・・数日前に若干匂いを感じた程度で、本当に知らなかった。意表を突かれた。驚いた。でも不穏な動きを私なりにキャッチしていたところはあった。

 婚約発表の前日、神戸で稽古先の歯医者さんI先生から「私の友達の医者の親戚の女の子がなあ」と切り出された。それが江尻恵子さんなのだが、言われても私はキョトンとするだけ。結局婚約発表するらしいと聞いたが、まさかの気持ちが強かった。

 しかし・・・かすかに思いあたるフシがある。それは名古屋からの情報だった。提供主は名古屋のスナック帝王・中山則男四段で、5月の23日の土曜日に綺麗な女性と歩いているところを目撃したというのだ。それもその女性の腰に谷川浩司が、あの谷川浩司が手を回していたと!

 これまで谷川先生と付き合って15年。そんなシーンは見たことのない私にとって、この名古屋での目撃談は驚嘆に値した。中山は続けて言った。「どうです、ゆすりネタとしては最高でしょう。これでクラブ10軒は堅いでしょう!」と狂喜乱舞。私も「よっしゃ!さっそく今度会ったら言うとくわ。フグもつけてもらおな」・・・。

 そんなアホみたいな会話があって数日後に婚約発表である。谷川が誰にも言わなかった、電撃的な発表だった。

 さて、もうすでに記者会見で発表までの経緯は説明があったはずだが、それはこの将棋世界でも取材しているはずである。しかしもっと知りたいファンのために公表しよう。まだまだスクープがある。実はその後、私と月刊現代の対談でいろんな事を聞き出す事に成功したのである。「ささ、谷川先生」とワインをどんどん勧めながら聞き出した一部をここで紹介しよう。

神吉 記者会見では『ここで一緒に』までで止まりましたけど、当然その後があるんでしょ?」

谷川 忘れた!

神吉 そんなはずはない。絶対覚えとんで。ここで一緒に?

谷川 ・・・ここで一緒に暮らしてもらえますか、だと思うんですけどね。

神吉 で、向こうは?私でよかったらとか?

谷川 ・・・・・・”そんなこと言って、後悔しません”って。

 と、こんな感じで聞き出した。どうです、何となくその時の二人の雰囲気がわかると思いませんか?そうそう、詳しく知りたい方は、7月5日発売の月刊現代8月号をぜひ買って見てね。

 最近谷川の得意としている歌は、チューリップの「青春の影」。1番の歌詞は、

 君の心へ続く長い1本道は (中略) これからの僕の生きるしるし

 これを心をこめて切々と歌うのである。全く熱うて熱うて・・・10月3日に最高の時が待っている。谷川浩司が迎える江尻恵子さんは棋界全体から祝福されるはず。

 二人に幸せあれ。

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谷川浩司竜王(当時)が奥様と出会ったのは1992年4月のこと。

その頃の日程は次の通り。

4月5日(日)が井上慶太六段(当時)の結婚式、および夜は神吉宏充五段(当時)に無理やり軟禁されてスナックへ男だけで出陣。→井上慶太六段(当時)の結婚

4月6日(月)は谷川浩司竜王の30歳の誕生日。

4月18日(日)に恵子さんとお見合い。

4月5日深夜の不運(?)を一気に吹き飛ばすような流れだ。

奥様のプロフィールについては、過去の記事に載っている。→林葉直子「私の愛する棋士達 第3回 谷川浩司竜王の巻」

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「ここで一緒に暮らしてもらえますか」は、谷川竜王の自宅内あるいは自宅マンションの前で語られたということになる。

奥様の「そんなこと言って、後悔しません?」も、テレビドラマに出てきても不思議ではないほどの魅惑的かつ感動的な言葉。

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チューリップの「青春の影」は、1974年6月にリリースされた曲。

1993年には、フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』の挿入歌にもなっている。

そういう意味では、谷川竜王は流行を1年先取りしていた形になる。

青春の影(Youtube)

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ちなみに私は、この曲は聞いたことはあるけれども題名は今日まで知らなかった。

昭和50年代は”歩く週刊明星”というほどミーハーな私だったが、やはり当時のニューミュージック系はほとんど聴くことがなかった。

だからこそ、正真正銘のミーハーだったということになるのかもしれない。