将棋マガジン1996年2月号、「門下別に見る奨励会」より。
一昔前、奨励会には二大門下とまで言われたほど、大きな一門が二つあった。それは高柳敏夫名誉九段門と故・佐瀬勇次名誉九段門。
とにかく多かった。
当時、関東奨励会が100人近い人数の時、高柳門下?佐瀬門下?とたずねれば、大体当たったのだから。
これだけ大所帯の門下が二つあると、対抗意識が生まれてくるものだ。
こんなエピソードがある。
佐瀬名誉九段「ある一門に段数の合計で負けちゃいけない」
某門下生「先生、級位者はどのように数えればいいんですか?」
「四捨五入だ」
「先生、そうすると4級以上は…」
「切り上げだ!とにかく早く上がりなさい!」
これが結構いい刺激になったのは確かなことである。
現在では、こうした話を耳にしない。大所帯ではなくなりそれなりに分散した形になっているからであろう。
その中で一番多いのが、関西の森信雄六段門下で10人の弟子がいる。次は小林健二門が9人。桜井昇七段門が8人。佐瀬門(今は沼春雄五段が預かる形)、伊藤果七段門が7人。ついで剱持松二八段門、所司和晴六段門が各6人いる。
目を引くのは所司門下の宮田1級と渡辺2級だ。
渡辺2級はいろいろな雑誌、新聞等に登場したので覚えのある読者は多いだろう。年齢的に、11歳と今後が楽しみである。
宮田1級は渡辺2級より2年先輩。後輩が鳴りもの入りで入り、発奮したか、このところの成績がすごい。4級から一気にダッシュをかけて、現在初段にあと1勝と迫っている。
逆に渡辺2級は、今の地位までは早いペースで上がってきたが、ややペースダウン。ここは好調な兄弟子の背中を見て、より活躍してほしいものだ。
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1996年のこの時期、高柳門下はいなくなっているが、佐瀬(沼)門下は何人か残っている。
いつか時間のある時、現代版の門下別集計を行ってみたいと思う。