愛すべき勝浦修九段(1)

勝浦修九段は、「勝浦流ひねり飛車」を編み出し、その鋭い終盤力から「カミソリ流」と呼ばれていた名棋士。

森内俊之九段、野月浩貴七段、金沢孝史五段、広瀬章人王位の師匠でもある。

血液型はAB型。ポーカーフェースで非常に頭脳明晰。奨励会時代、新宿将棋センターで手合係をやった時は、お客さんの顔と名前はもちろんのこと、前回の勝敗数も全て記憶していたという。

そんな勝浦修九段、ニヒルな外見とは裏腹に、実は非常に愛すべきキャラクターだ。

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将棋世界1999年6月号、真部一男八段の「将棋論考」より。

今はそんなことはないが昔、勝浦修九段は芹沢博文九段によればイバリ屋勝ちゃんとして飲酒業界では大いに恐れられる存在だったらしい。

芹沢の話であるから真偽のほどは定かではないが、何でも同席者の中で一人ターゲットが定まると舌鋒鋭く斬って落とし斬り捨て御免といった趣であったそうな。しかしそれでも勝浦さんと呑みに行く人が絶えなかったのは、その後の律儀さにあったらしい。翌日になってイバってしまったことを大いに反省した勝浦さんはすぐさま手紙を書いて非礼を詫びるのだそうである。それが毎日のように繰り返されたそうであるから、やはり勝浦恐るべし、こうなると既に達人の境地に達しているといっても過言ではない。

繰り返すが、これらの話は脚色の達人芹沢からの聞き覚えであるから、限りなく創作に近い話としてお読み頂くのが正しい態度といえよう。

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将棋世界1997年8月号、先崎学六段の「先崎学の気楽にいこう」より。

そろそろ梅雨かなというじめじめした日、都内某所で男三人でカンボジア料理なぞを食っていたときのこと、最近四段になったばかりの野月君が、ふと思い出したようにきりだした。

「先崎さんのあの原稿、うちの師匠が見たらしいんですよ」

「あっそう。何か感想をいっていたかい」

「ええ、先生、顔を真っ赤にしましてね、いろいろぶつぶついっていましたよ」

ああなんたることか、僕は食べていた春雨サラダをおもわず吐きそうになった。

野月君の師匠といえば、勝浦修九段である。勝浦九段といえば、将棋連盟の説教大臣、もとい将棋連盟の大蔵大臣である。経理担当理事である。エライ人なのである。その方が、僕のこの欄を見て、顔を赤くして激怒されたそうなのだ。

もうこれでお終いだと思った。あのオーストラリアの夜、確かに勝浦先生は、二十年たてば分かるよを連呼して、家に帰ったら女房を蹴っ飛ばしてやると張り切って、しかも書かなかったが、かならず今日のことを書いてくれと懇願したのである。ああだから調子に乗っちゃいけないんだ。宴会の無礼講信じるべからず。寄らば大樹の陰。

なんといっても経理担当理事である。きっと夏冬の僅かなボーナスはさらに雀の涙となり、この欄の原稿料だって半減するに違いない。対局料の前借りなんてもっての他、一生出来ないだろう。

かくなるうえば証人を集めて闘うか。しかしあの場にいた人は森九段に森内君である。森さんは勝浦さんの永年の友人だし、森内君は勝浦先生の愛弟子である。僕に有利な証言があるとも思えない。

もう駄目だ、と思った。謝ろう。誤ちを認めることを憚るなかれ。畳に頭をこすりつければ情に厚い大先生のこと。きっと許してくれるに違いない。それしかない―。

さて数日後、男三人で酒を飲んだ。ただし僕の前に座っているのは野月君ではなくて師匠の勝浦先生である。連盟に居たら、ちょっとといって誘われたのだ。お父さんの財布からこっそりお金を盗んだ子供のような心境だった。

数日間、自分なりに考えた。謝り方をではない。いかにしてお世辞を使うかを、である。勝浦先生は北海道は紋別の出身である。だから北海道を褒めまくろう。

「いやあ先生、北海道は最高ですよ。特にあの流氷なんざあ、あっしなんざあ数年前に見て感動の余り凍りついてしまいましたでガスよ。流氷を見て凍った、なんてね。それと先生。先生の算盤の凄さったら、あの手付きの早さといったら神業でゲスね。たまらんでゲスよ。算盤を見てタマらん、なんちゃって、あ、こりゃ、失礼、座布団一枚取らせて頂きます」

太鼓持ちの真似ならば昔ずいぶん落語を見たので自信がある。ちょっと近藤君の口調を借りれば楽勝だろう。もう一つ、取っておきの秘策があった。勝浦先生のネクタイは、どうもお嬢さんが選んでいるらしい。よし、褒めて褒めて褒めちぎろう。

しばらくはたわいもない話が続いた。

(中略)

唾を数回飲み込んだ頃、勝浦先生がちょっと照れていった。

「先チャン、このネクタイ、趣味がいいだろう。うちのね、娘が選んでくれるんだよ」

なんてこったい、先に言われちまった。

はからずも切り札を封じ込められて僕は狼狽した。もうヤケである。

「先生!誠に済みませんでした。つい筆がすべってしまい、ついあのようなことを書いてしまいまして、お詫びのしようも御座いません」

ふと勝浦先生を見上げると、何故かニコニコしている。それがまた不気味である。

「不肖、先崎、今日は、とことん先生のお叱りを受けるつもりでおります。扇子で頭を気の済むまで叩いて下さい」

「何を言っているんだい、あのエッセイのことなら、全然気にしていないよ」

「いいえ、先生が顔を真っ赤にしておられたという情報はつかんでおります。ところで先生、北方領土は、いや北海道は本当にいいところです。僕も住んでいました。だから、だから―」

「あっはっは、野月から聞いたのか。先チャン、違うんだよ。あれは赤面したんだ」

「へっ赤面」

「いや、将棋の雑誌なんか滅多に読まないんだけどね、皆がね、俺が出てるっていうから読んでみたんだけど、あれはおもしろかったねえ、読んだらね、恥ずかしくなって。顔が真っ赤になっちゃったよ。いや、でもおもしろく書いてくれてありがとう」

僕は二、三秒は声が出なかった。全身の力が抜けた。なんだい、そうだったのか。

「僕は、てっきり、カンカンになっているのかと…」

何を言ってるんだい。僕は君より二十年以上長く生きているんだよ、あんなことで怒るわけないじゃないか。だいたいね、僕は雑誌はね、詰将棋の欄以外全く読まないんだ。だから君が何を書いても気にしないよ。好きに書きなさい」

「なんでもですか」

「ああ、もう好きにしなさい。実はね、なんでもいいから書いてもらえるだけで嬉しいんだ。君も、分かるよ、二十年すれば」

もう、先チャン感激!である。今日はとことん飲もうと思った。

(以下略)

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この頃から、まだ二十年は経っていない。十三年くらいか。

二十年は本当に長い。