”詰将棋創作心得”とでもいうべき名随筆。
将棋世界2000年6月号、内藤國雄九段の随筆「ノーミス宣言」より。
「内藤九段詰将棋ノーミス宣言」 写真入りで大きく五段抜きの記事がデイリースポーツに出たのには驚いた。私が社に行って「もう不完全作は出さない」と見栄をきったのがもとである。
デイリー紙は私がA級入りをしたときに将棋欄ができ、現在では切手のような小さな図だが毎日詰将棋が掲載されている。その横に普通の活字で小さく載るのだろうくらいに思っていたのである。私の詰将棋の完全率は極めて高かったのだが、そのことを吹いたとたん、あろうことか余詰作を続出させてしまった。懸賞問題でもないのにわざわざ葉書を寄せて下さったファンに申し訳ないという思いから、今後ミスを出したときは指摘者全員に私から(お詫びの)記念品を贈るときめたのである。
「いや、これが人気上々でね、これまであまり興味のなかった人も本当に、ミスを出さないか、それが楽しみだと関心をよんでいる。またおとなりの関西棋院の人達も内藤さんこんなこと宣言して大丈夫かいなと話題になっていますよ」
日本のスポーツ紙は野球新聞の感じが強く阪神が勝つと負けるとで売上が大きく違うという。野球のカゲで目立たない将棋欄だが、気のせいかノーミス宣言以来少し光って見える。印刷と校正の方も絶対に誤植は出せぬと張り切ってくれている。これで当方のオリジナルにミスがあっては話にならないから出題前に二重三重にチェックする。それでもミスは巧みにかいくぐる。これをどう防ぐか…。
実は、ミスの可能性と作品の質とは相剋の関係にある。極端に言えば、質を落とせば落とすほど安全になる。
これは詰まないんじゃあないか、或いは別の詰め方があるのではないか、などと疑心暗鬼をかきたてる、その度合いの高いものほど作品の質は上がる。
―昔、ハエが飛びゴキブリが姿を見せる汚い食堂が人気を呼んだ時期があった。安くて旨いのである。いつ行っても客でいっぱい。ときには列をなしている。
ところが何年かして行ってみると見違えるような綺麗な店に様変わり、内装も立派で清潔感がただよっている。しかし店の中はガラガラで以前の活気はどこへやら。注文すると値段は上がっているのに料理の味が落ちている。これでは客足が遠のくのも無理はない。
この話、若い人には理解できないかもしれないが年配者には懐かしい思い出であろう。
ハエやゴキブリ(不詰・余詰)が潜んでいそうなのが食べて旨い詰将棋。
絶対安全、この手しかないという御清潔なのは詰め将棋ではなく詰む将棋である。
さて、宣言した以上ミスは絶対に出せない。しかし質は落としたくない。一種の綱渡りだが、そのスリル感が作る上の張りになっている。
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これは詰将棋に限らず、人生様々な局面であらわれてくる象徴的なことなのかもしれない。
健康的で明るい奥さんがいるのにもかかわらず、絶対にお互い幸せになれないのに、薄幸の悪女的な魅力を持った女性と深い関係になってしまう…
いや、これは例えが違う。
要は、ローリスク・ローリターン、ハイリスク・ハイリターンということだ。