あれから16年

今から16年前の今日、1995年3月20日(月)に地下鉄サリン事件が起こった。

Wikipediaの記録によると、3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)、丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員の13人が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。

日本において、戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与えた。

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私はその朝、西荻窪から東西線経由で築地へ向かっていた。

乗り換えの茅場町の二つ手前、大手町駅で電車は止まる。

茅場町駅の日比谷線でガスが発生しているので停車するとのアナウンスが繰り返しあった。

電車が動く気配がなかったので、朝を急いでいた私は大手町で降りてタクシーに乗り職場へと向かった。

道は空いていたが、途中、築地駅に非常に多くの救急車、消防車、パトカーが駆けつけているのを見た。

仕事の都合で8時30分頃に到着するように家を出たので、仕事開始時刻が9時30分のオフィスには誰もいない。

何があったのだろうとテレビをつけてみると、複数の地下鉄で毒ガスが撒かれたという。

茅場町駅の日比谷線車両でも毒ガスが撒かれていた。

5分早く家を出てきていたら、茅場町でその日比谷線に乗り合わせていたことになる……

20階にあったオフィスから外を見ると、眼下に報道機関のヘリコプターが見えた。

こんな低空をヘリコプターが飛ぶほどの大事件なのだと、あらためて感じた。

出勤時刻の早い官公庁を狙ったテロだと後から知ることになる。同じ職場の人達は無事だったが、多くの人たちが被害に遭った……

全く許せない事件だった。

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この事件を各テレビ局は総力をあげて取材する。

各局のワイドショーでは、江川紹子さん、有田芳生さん、下里正樹さん、そして木村晋介弁護士などがレギュラー解説陣。

木村晋介弁護士は、この事件の発生以前から、オウム真理教に関わる坂本弁護士一家救出運動に尽力していた。

私は、特に江川紹子さんと木村晋介弁護士の解説が好きだった。

(ちなみに下里正樹さんは、将棋の文章でも活躍していた奥山紅樹さん。森村誠一さんと『悪魔の飽食』シリーズを共同執筆している)

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木村晋介弁護士(現・将棋ペンクラブ会長)は、その紳士的で魅力的なキャラクターから、地下鉄サリン事件が一段落した後も、テレビ局に呼ばれ続けた。

そして、将棋界との縁も。

以下、木村晋介弁護士の対談での談話。

将棋を再開するきっかけはテレビ番組でした。

「今年の10大ニュースを予想する」というコーナーがあって、僕は羽生七冠誕生を予想しました。

その番組のプロデューサーが滝誠一郎七段に将棋を習っている将棋の好きな人なのですが、将棋はマイナーだからそんなニュースにはならないでしょうと言うんですね。

ところが、大ニュースになった。木村の言うことは当るということで、番組で島朗八段(当時)を呼んでくれたんです。

羽生さんが忙しかったので、島研で羽生さんの兄貴分だった島さんにお願いしたんですね。将棋腕自慢の弁護士と羽生さんの兄貴分の島八段との二枚落ち対局。島さんは目隠しです。

ニュースの最中、別室の畳の上で対局をするわけです。

プロデューサーは、羽生さんにはかなわない島さんに僕がコテンパンに負けて、羽生さんの強さを引き立たそうという読みだったようです。

でも、目隠しはプロにとってキツいんですね。途中不利だったりしたのですが、島さんの玉に詰みがある局面になったんですね。

島さんがわざと作ったのかもしれません。

僕はそこで、番組の主旨との関係を考えて長考してしまったんです。詰ませていいものかと。

そうしたら島さんが目隠ししながら「木村さん、遠慮しなくていいんですよ」。それで詰ませました。

その後、島さんと夕食を共にすることになり、島さんは将棋界のいろいろなことを話してくれました。

それからですね。島さんの推薦でテレビ将棋に出て、中井広恵さんに二枚落ちで勝ったりしました。

そのうち将棋界のことがわかっていて将棋のことがわかっている弁護士ということで、日本将棋連盟の顧問弁護士になっていたんです。

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私が大好きな、木村晋介弁護士の絶妙な文章がある。

木村晋介弁護士の著書「キムラ弁護士、小説と闘う」より。

好きになった女性がいなかったわけではない。むしろたくさんいたほうである。だが、一度もその好意を告白することができなかった。大概の場合その女性には他に好きな人がいるに違いないと思い込み、告白してもフラれるのが目に見えているように思えたからである。

(中略)

高校時代、学年一の美少女と名高い隣のクラスのマドンナの家に行ったことがある。2人とも修学旅行の行先を決める委員だったから、その打ち合わせということだった。部屋で2人きりになった僕はすっかり緊張してしまって、お茶ばっかりがぶがぶお代わりをして、何を話したのか、ちっともおぼえていない。

当然の結果として、ボーコーが張ってきたんだが、「トイレはどこ」などとは、はずかしくてとても訊けない。そのままじっとがまんして、打ち合わせが終わるのを待った。帰りに近所で立ちションしちまえ。と甘く考えたのがいけなかった。帰りがけに少し雨がバラついてきて、15分ほどある最寄り駅まで送ってあげると彼女が言い出したのだ。大きな一本傘に2人入って駅まで歩く15分は、夢のような幸福でありながら地獄だった。椎名誠だったら「あちょっと」とかいって電柱の陰にでも行って、シャーとやって、かえって”男らしい野性味”とやらでモテてしまうんだろうけど、17歳の僕にはそんな荒技は思いもつかなかった。もう少しでもれそうになるのを必死でこらえているから、彼女の話にも生返事しかできない。駅舎が見えたところでもう限界。僕は「じゃあ」とだけあいさつして、駅のトイレにダッシュした。

「あのときフラれたと思った」と25年後の同期会でいわれたときにはジタンダを踏んだが、ワケを話すと大笑いをした彼女が「縁がなかったのね。私はキムラ君ちょっと気になっていたのに」だってさ。チクショー!!

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16年前のあの日、西荻窪から四ッ谷乗換えで丸の内線、広尾から日比谷線、に乗っていた可能性もあった。どちらもサリンが撒かれた路線。

私は、たまたま運が良かっただけだと思う。

あのような事件は繰り返してはならない。

木村晋介弁護士は、リカバリー・サポート・センター理事長、サリン事件等被害者支援基金理事なども務め、今も16年前の事件と向き合っている。

絶妙な硬軟のバランスの木村晋介弁護士だ。