棋士として女性として輝き続けたい

棋士として、女性として、輝き続ける。

近代将棋2004年10月号巻頭グラビア、『中井広恵女流王将・倉敷籐花の著書「鏡花水月」出版記念パーティ』より。

文章は中野隆義さん。

 小学6年生の春、11歳の中井は師匠の佐瀬勇次九段の内弟子となった。

 中井の上京にあたって、故郷の稚内で開かれた壮行会の席上で、生まれて初めて父の泣く姿を見た中井は、子ども心に一人で東京に出て行くというのは、やはり大変なことなのだな、と感じ、おめおめとは引き下がれないのだなと思った。

 父は、あのとき、広恵は将棋に嫁に出したのだ、と思っていた。だから、中井の妹二人の結婚式ではおいおい泣いたが、中井が植山悦行六段と結ばれたときには笑顔ばかりであった。

 みずも、こころ、みなみ、と三人の娘に恵まれた。タイトル戦で数日間家を離れなければならないときは、母乳を冷蔵庫で凍らせ、それを父君が解凍して娘に飲ませた。父君の母が上京して一緒に住むようになったのは大助かりだった。一人だけではなく、家族みんなでやってきて現在があり、これからがあると思っている。

 最近、色紙に好んで揮毫するようになった「鏡花水月」とは、「鏡に映った花も、水に映った月も、目には見えるけれど手に取れない」という意味だ。心で感じる「素敵」にこれからも出会いたいと思っている。

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ジーンとくる文章だ。

中井広恵女流六段の「鏡花水月」は、2005年に将棋ペンクラブ大賞を受賞している。

出版社が、「中井広恵」という女流棋士をプロデュースした形の著書。

鏡花水月―女流棋士中井広恵/その戦いの日々と生活の詩鏡花水月―女流棋士中井広恵/その戦いの日々と生活の詩
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2004-08

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「鏡花水月」という言葉について、中井広恵女流六段が語っている。

将棋ペンクラブ会報2005年春号、中井広恵女流王将-高田宏将棋ペンクラブ会長の対談より。

高田 中井さんの「鏡花水月」という本読ませて頂いたんですが非常に面白かった。 最近は扇子とか色紙をお書きになる時は鏡花水月が多いんですって?

中井 そうですね、3年くらい前から書いています。

高田 あの本は、まず第一にタイトルが鏡花水月というので、やっ、いい題だなあと思って。ところが僕はお恥ずかしいことに鏡花水月という言葉を全然知らなかったんです。えっ、こんな言葉あるのかと思って漢和辞典を三冊引いてみたんです。鏡に写っている花と水に写っている月、それは実物ではないけれども非常に奥行きの深い美しさを持っている。しかしそれは手に取って触ることができない。非常に美しい言葉で、鏡の花、水の月、それは実物ではないけれども実物よりある意味では更に美しい。詩歌を評する時にも用いられるとも書いてました。非常に奥行きの深い美しさを持ったものに「鏡花水月の趣あり」と言うわけですね。鏡花水月の前は何と書かれていたんですか。

中井 今でもたまに書くんですが「志は千里にある」と書いていました。将棋に関係する言葉は勝負にこだわるものが多くて、ちょっと女性向きじゃないかなという気がしていたんです。何か勝負事にも通ずるし、女性らしい柔らかな言葉がないかなと思っていた時に、たまたまある本で「鏡花水月」という言葉が目につきました。調べてみると、手に取れないぶん心の中で感じ取るしかないのだけれども、それは人それぞれ感じ方が違うというようなことが書いてありました。将棋も、理詰めのところもあるけれど感性が表れるゲームだと私は思っているんです。人それぞれ、同じ局面を見ても感じ方が違うし、そういうところがこの言葉と合うかなって。

高田 感性というと結局広くいえば芸術の世界ですよね。文芸の世界であり、絵画の世界であり、音楽の世界である。そういうものと将棋は共通したものを持っているということですね。

中井 たとえば同じ将棋を指していても、その日の気分で指し手が違ったりとか、そういうこともありますよね。だから計算とかで割り切れるものではないような感じがするんです。

(以下略)

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「鏡花水月」、本当に美しさのある言葉だと思う。

漢字の組み合わせが似ている言葉としては、「明鏡止水」、「花鳥風月」、「雪月花」などがあるが、印象はだいぶ異なる。

「花鳥風月」と書いた扇子を使ったら、将棋は絶対に負けそうだ。