「一人で行って・・・」

”羽生世代グラフィティ”などという陳腐な表現ではバチが当たりそうな、素晴らしい文章。

1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」の”戦いすんで日が暮れて”より。

1990年の第3期竜王戦で、羽生善治竜王が谷川浩司王位・王座に敗れて失冠した時の出来事。

 竜王戦が終わった。

 僕にとって今期の竜王戦は、谷川浩司が勝ったシリーズではなく、羽生善治が負けたシリーズだった。多くの将棋ファンの考えも同じではないだろうか。

 結果的に四勝一敗という大差のスコアになったものの、羽生にとって救いだったのは、ストレート負けを免れたことと、内容の点で良質の将棋が多かったことだろう。

(中略)

 羽生と僕は、棋士仲間でもあり遊び仲間でもあるので、気が合うだけではなく顔も頻繁に合わせるのだが、三局目と四局目の間は、一度も会うことがなかった。友のうちひしがれた姿を見るのはせつなかったし。向こうだって会いたくないだろうと思った。だいいち、一緒に酒を飲んだって旨いわけがない。

 四局目に羽生が大逆転で待望の一勝をあげたあと、二人で小劇場で行われる演劇を観に行った。息もつかせぬ展開で、体制権威に対するブラックユーモアにあふれた現代劇はすばらしかったのだが、不幸なことに、劇が終わったとき外は大雨だった。

(中略)

 二人とも傘など持っているわけがない。「どうしようか」目と目が合った瞬間に大きなため息がでる。小劇場は団地の真ん中にあるので、近くに雨宿りできるところはない。駅まで約十五分。走ったって風邪をひくかもしれない。この大事なときに-である。

(中略)

 二十分も待ったろうか。小やみになりそうにないので、駅まで走ることで意見が一致した。

「一、二、の三」

 小声で囁きあうと、二人は頭の上に新聞紙をのせて走りだした。途中に赤信号があったが、当然、無視、である。後ろで車の急ブレーキの音がした。ひたすら走った。

 駅の近くの繁華街まで走るのを覚悟していたのだが、二分も走ったとき、道の左にオレンジ色の明かりが見えた。

(コンビニエンスストアだ!)

 僕は、先に走る羽生に「入れ、入れ」と大声で叫んだ。「夏山や、水場みつけて生きかえり」といった心境になる。

「やったぜ」「ざまあみやがれ」

 そんなやりとりをしたあと、二人で破顔一笑となった。羽生は、じつによい笑顔をつくった。傘は、四百五十円だった。

 二日後にまた会った。これは、二人にとってちょっと楽しい一日だったので、彼は一日じゅう上機嫌だった。これなら-と思って少し嬉しくなったのだが・・・。

 第5局は、羽生の四間飛車で始まった。

 これには僕のみならず、業界関係のすべてが驚いた。羽生は、一応はどんな戦型でも指しこなすが、そのなかで一番実戦経験が少ないのが振り飛車だからである。おそらく、一般マスコミの記者たちは「この大事な一局に飛車を振った度胸はすばらしい」などと書くのだろうが、そんなことはない。ただ、たんに谷川必殺の角換わり腰掛け銀に対する、後手番の対策がなかっただけだろう。

 気がつくと、僕は、対局場の天童「滝の湯ホテル」にいた。天童に行こう、この目で世紀の一戦をしかと見届けよう、と思ったのは、羽生が飛車を振った、と聞いたときだった。いかに対策がなかったからとはいえ、この一戦に指し慣れぬ先方を採ることは、やはり大博打であることには違いない。ようするに彼は、ここで振り飛車で負かせば、相手に対するダメージが大きい-ということは、残りを連勝できる可能性も高い、と考えたのである。

 天童に着いたのは、一日目の夜遅くだった。僕はこっそり行ったつもりだったのだが、向こうはどうやら知っていたらしい。このあたりが将棋連盟というギルド社会のおそろしいところである。

 対局者にはできるだけ会わないようにしていたのだが、朝、部屋を出たところで偶然羽生に会った。羽生だけは、来るという情報を知らなかったらしく、びっくりしていたが、「おはようございます」と僕がいうと、黙って頭を下げうつむき加減に部屋に消えていった。それが”二十歳の竜王羽生善治”を生で見た最後の姿になった。

 不思議なのは、あのところで「おはようございます」という言葉が自然に出たことだった。僕は彼と会ったときは「やあ」か「おう」。せいぜいが「おはよう」であって、ございますなんて敬語を使ったことはほとんどなかった。それに対する羽生が、黙って部屋に入ったのもおかしい。普通ならば二言三言は会話が成立するはずである。羽生は、そのときすでに嫌な予感がしていたのだろうか。

 さて、肝心の将棋の内容だが、これは、一言でまとめると谷川浩司の名局だった。谷川さんの指し手には淀みがなく、全体を通して勢いと”気”に満ちあふれていた。見ていて、惚れ惚れするような、それでいて狂暴さにあふれているような物凄い強さだった。羽生はあきらかにその勢いに押されていた。気持ちのうえで差があったのであろう。実際の形勢がそれほど離れていないにもかかわらず、控室の雰囲気は、谷川勝ち、新竜王誕生-に染まっていた。

 谷川さんは、中盤の勝負所で、あまり考えずにビシビシ指した。故意に作戦としてそうしたわけでもないだろうが、まるで怒っているようだった。まさか羽生が飛車を振ったことに腹を立てたのではあるまいが。

(打ち上げの席、そして・・・。ここからの先崎五段の文章は圧巻)

「申し遅れました。わたくし山形県○×協会□▽と申します。いやあ羽生さん。まあ気を落とさずに。まだお若いんだから」

「はあ、そうですね。また頑張ります」

 こんな会話が僕の視線のさきから聞こえてくる。その向こうからは「おめでとうございます」の声がひっきりなしに飛んでくる。

 僕には、羽生が敗着の△2五角(本当の意味の敗着ではないが)を指したあと、打ち上げが始まるまでの二時間の記憶がほとんどない。一つだけいえるのは、その二時間の間に、竜王という肩書きと権威が、一人の男から一人の男へ移ったことである。感想戦も見たような気がするがよく思い出せない。気がつくと僕は、打ち上げの席で酒を飲んでいた。

 酒が苦い。目の前には最高級山形牛のしゃぶしゃぶ鍋があるが、肉などは食う気分になれない。もちろん対局者は最上席。こちらは飛び入りなので末席である。しかし両対局者を窺ったとき、表情に大差があることは、だれから見ても一目瞭然だった。

 谷川さんの顔は、子供のような顔だった。誤解されるといけないので説明すると、オール5を貰って、家までスキップでもしながら帰るときの子供の顔だった。鍋は熱く、ときに顔から汗が滴り落ちたが、その汗は、相手をKOしたボクサーやウイニングパットをしずめたゴルファーがみせるすがすがしい汗だった。

 羽生は、顔面神経痛になっていた。

 愛想笑いを浮かべているものの、慰めともつかない言葉をかけられるたびに(これは彼の癖なのだが)、顔がゆがんだ。

 少し腹が立った。ポーカーの大勝負で一文無しになった男に「惜しかったね」といってなんになるのか。最愛の恋人を奪われた男に、初対面の奴が「女なんて星の数ほど・・・」といってどうなるのか。しかも奪った恋敵がすぐそばにいるのだ。

 みかねたので「こっちで飲もう」といって小林さん(健二八段)、杉本君(昌隆四段)と一緒に飲んだ。

 小一時間がたち、酒もよくまわったところで、今からゲームでもしようということになって、前記の二人と、今しがたまで控室となっていた部屋に移った。まだ”偉いさん”も大勢いたのだろうが、そんなことは関係ない。さっそく四人で、まったく頭を使わないゲーム(チンチロリンではない)が始まった。僕はウイスキーをロックであおっていた。しばらくすると谷川さんが、隣の部屋で島さんや塚田さんとモノポリーをやっているという情報が入ってきた。ちぇっ、おもしろくねえや。どうせ「おめでとうございます」「ありがとうございます」なんていいながら酒も飲まずにやってんだろう。僕は、すでにしてアブナクなっていた。

 それからどのくらいたったのだろうか。もう日付も変わったころに、飽きたので麻雀をやろう、ということになり、麻雀が始まった。羽生はこわばった顔をいつもの顔に戻して、覚えたての麻雀を楽しんでいた。

 と・・・、そこに谷川さんと塚田さんがNHKの関係者数名と連れ立って、入って来た。モノポリーが終わったのだろう。入って来ると、みんなで羽生の右後ろに座り、酒を飲み出した。塚田さんはワンカップを飲んでいた。僕は、信じられなかった。羽生の顔がしかむのがわかった。

 おそらく谷川さんに悪意はなかったのだろう。塚田さんは酔っ払っていたのだろう。しかし、あまりにも”配慮”が欠けているように感じられた。僕の感性では、このようなことは、あってはならないことである。勝者は部屋に戻ってゲラゲラ笑えばいいんだ。気の合う仲間と喜びを分かち合えばいいんだ。あるいは街に出て女をからかうのもいいし、みんなの前でパンツを脱いでもいいだろう。

 だが、夜ふけたころに、負けた人間が、気を紛らわすために遊んでいるところに来ることはないじゃないか。いくつも部屋があるなかで、わざわざそこで飲むことはないじゃないか!もう一回モノポリーをやったら、といおうとして、ハッと口をつぐんだ。目の前でやられてはかなわない。かといって先輩に「どこかに行っていただけませんか」というわけにもいかない。僕はだんだん錯乱してきた。

「この部屋にいるからには、この麻雀のトップ賞として十万円出してください」

 といったかと思う。約四、五回このせりふを繰り返した。とにかく、僕は、尊敬してやまない谷川浩司先生にカランデシマッタのである。ああ、畏れ多い。

 日ごろならば、羽生もちゃちゃを入れるところだが、彼は、麻雀に没頭しているのか、それとも不機嫌なのか「ロン、ポン、チー」以外の言葉を発しない。

 僕は、谷川さんよりも、その親友の塚田さんに場の雰囲気を察してもらおうと思って(このあたりが酔っ払いの自己中心的なところだ)カランダのであるが、一同ニコニコして麻雀を見ながら女の話なぞしている。僕は、日ごろから酒を飲みすぎると”明るくカラム”癖を持つので、狼少年になっていたのかも知れない。

 その後は記憶がない。僕の記憶がなくなるのが早かったか、谷川さんがいなくなるのが早かったか、とにかく、その日はそれで終わった。

 朝、起きると天井が回っていた。羽生が横に寝ていたので羽生の部屋だとわかった。布団を敷いた覚えがないので、もしかしたら敷いてくれたのかもしれない。

 ヒドイ二日酔いなのでとにかく風呂につかることにした。部屋を出ようとすると、玄関に、朝刊が置いてあった。

 もちろん一面には「谷川奪取」の記事がある。僕は、その新聞をそっと隠すと「一緒に行かないか」と声をかけた。

「一人で行って・・・」

 といって羽生は足をバタバタさせた。今にして思えば、あのとき、枕カバーに涙の染みがあったかどうか、見ておけばよかったと後悔している。

—–

はるか昔のサントリーウイスキーのCMの「みんな悩んで大きくなった」、というコピーが頭の中を巡る。

実録:社会人団体リーグ戦の一日(後編)

13:01

2局目も勝った星野さんは、とにかくニコニコしている。

「星野さん、どうしてしまったんですか」

「俺が聞きたいくらいだ」

13:03

元・ミス荒川放水路といわれるMisakoさんが来場。

荒幡さんの奥様とともに将棋ペンクラブブースの手伝いで来ていただいている。

Misakoさんはこのあと少ししたら、江東区公認の”KOTO街かどアーティスト”としてのバトルロイヤル風間さんが、亀戸十三間通り商店街で行う似顔絵コントの応援に向かう予定。

Misakoさんは、隣のLPSAブースで、石橋幸緒女流四段の「出だし4手で知る石橋幸緒の将棋レシピ―知ると、もっと楽しい将棋・序盤の指し方」を購入していた。石橋女流四段のサイン入り。

私はまだこの本を読んでいなかったので、Misakoさんの本を立ち読みする。

駒の動き方を覚えた初心者向けに序盤の平手定跡手順の意味を説いた本で、4手目までを網羅的に解説し、その先で展開される世界についても総合オリエンテーション的に紹介している。

「Misakoさん、この本をきっかけとして初段になるのも夢ではありませんよ」

「ええっ!? じゃあ本気になって読もうっ」

13:04

Misakoさんと私の会話を聞いていた石橋女流四段のお母様がニコニコしながら、

「そうでしょう。この本は渡辺竜王と幸緒がNHK講座をやっていた時の内容が基になっているのよ」。

星野さんも、2連勝の余韻に浸りながらニコニコ。

「ところで星野さん、アカシヤ書店にもこの本を置いてみたらどう?」

「ウチは古本だけだからな・・・。でもいいか。今日は2連勝しているし。じゃあ、10冊、石橋さんのサイン入りで送ってもらえますか」

石橋女流四段のお母様による絶妙なタイミングでのアプローチ。

名人芸を見るようだった。

13:30

将棋ペンクラブのブースでは会報のバックナンバーを配っていたが、新たに4人の方に入会いただいたという。

有り難いことだ。

14:00

ここまで、原宿カサブランカは1勝1敗。

将棋ペンクラブは0勝2敗。

14:30

第3局開始。

私の石田流本組み対左美濃。

第2局もそうだったが、中倉彰子女流初段とお話をできたのがモチベーションアップに大きく働いたのか、この対局も私が勝てた。

ところで対局中、サングラスをかけた橋本崇載七段に似た男性がいるのを発見した。

橋本七段は最近、髪の毛を切って黒く染めたと聞いている。

その男性は、ソフトモヒカンっぽい髪型で、髪の色は黒い。大きめのサングラスをかけているので橋本七段かどうかを判別することはできなかったが、橋本七段に似ているような感じもする。

家に帰ってから知ることだが、その男性は、やはり橋本崇載七段だった。

原宿カサブランカが第2局で対戦したチームであり橋本七段が作ったチーム「HSY28」の応援に来ていたのだった。

15:20

将棋ペンクラブのブースに行くと、星野さんが座っていた。

「星野さん、どうでした?」

「いやー、また勝っちゃったんだよね」

3連勝、星野さんはもしかすると本当に強いのかもしれない。

16:00

第4局開始。

私の石田流本組み対居飛車銀冠。

この頃になると、さすがに寝不足が影響し、中盤、相手の考慮中に目を開けたまま一瞬寝てしまうようなこともあった。

これでは勝てるはずもなく、私の惨敗。

私の通算成績は2勝2敗となった。

原宿カサブランカチームは1勝3敗(3-4、7-0、3-4、3-4)。

16:10

さすがに星野さんも第4局は負けて4連勝ならず。

それでも大満足の表情だった。

将棋ペンクラブチームは0勝4敗(3-4、2-5、3-4、2-5)。

16:30

打ち上げへ出発。

将棋ペンクラブチームは浜松町近辺の居酒屋に不案内ということで、原宿カサブランカが行く居酒屋へ一緒に入る。

私は、序盤・中盤は原宿カサブランカの席で、終盤は将棋ペンクラブの席で飲む。

19:30

ゴキゲンな星野さんと新宿の立飲み屋へ。

私は夕方からどうも体の調子が良くない。

風邪ではなかったので、ようやく二日酔いが出てきたということだ。

対局中でなくて良かった。

実録:社会人団体リーグ戦の一日(前編)

6:30

起床。

今日は社会人団体リーグ戦。

昨日の土曜日は17:00から飲み会があった。

とても楽しい時間はあっという間に過ぎ、家に帰ったのが3:00過ぎ。

寝たのが4:00過ぎだったので、あまり眠っていないことになる。

不思議なことに二日酔いにはなっていない。

あんなに飲んだのだから二日酔いにならなければ変なわけで、昼頃に急に二日酔いが襲ってくる恐れがある。

7:00

この日のブログを書き始める。

8:00

入浴。

8:40

家を出発。

9:35

浜松町駅を降りて海岸通りの交差点で信号待ちをしていると、将棋ペンクラブ幹事の荒幡さん夫妻と遭遇。

荒幡さんは今回初出場となる「将棋ペンクラブチーム」のキャプテンだ。奥様とは大学時代に知り合い恋愛結婚。荒幡さんは小説を何作か上梓している。

奥様は、古手川祐子さんをエキゾチックにしたような雰囲気の美人で、やはり会場内に新設される将棋ペンクラブのブースで受付を行うことになっている。

9:40

浜松町の会場に到着。

エレベータのドアが開くと、真正面に将棋ペンクラブのブースがあった。アカシヤ書店の星野さんが笑顔で座っている・・・

今回は、LPSAのブースと、ねこまどのブース、そして将棋ペンクラブのブース。

10:00

私は例年通り「原宿カサブランカ」チームからの出場。原宿カサブランカは今期も3部リーグ。

開会式が始まる。

はじめに所司和晴七段・東京アマチュア将棋連盟顧問のあいさつ。

10:05

社会人団体リーグ戦は、1部リーグから5部リーグまで144チーム、1000人を超える出場者だ。

社会人団体リーグ戦を主催しているのは東京アマチュア将棋連盟。

理事長の今西さんの髪型が、中世ヨーロッパの音楽家のような髪型になっていた。もともと今西さんは芸術にも造詣の深い方だが美術のほうが専門。来月どのような髪型に進化しているのか楽しみだ。

10:20

第1局開始。

二日酔いにはまだなっていない。

私の先手で▲7六歩。

指しながら昨日の飲み会のことを思い出す。

△3四歩。

昨日の飲み会はバトルロイヤル風間さんたちと一緒だった。

バトルさんお勧めのツアー。

▲9六歩。

一軒目は「ジョナサン」。亀戸のジョナサン独特の格安メニューだ、酒とつまみのセットで500円。それを一人当たり2回転。

△9四歩。

二軒目が圧巻。亀戸天神のそばの中国料理店で、酒と料理の組み合わせで550円。例えば単品で300円の酒類と750円のエビチリがセットだと合計で550円。

しかし△9四歩と相手にしてくるとは、相手は振り飛車党なのだろうか。

▲1六歩。

なぜあのような料金設定ができるのだろう。料理も満足できるものだった。中国人ならではの商売上手さなのだろうか。絶対に酒を頼め、というセット価格だ。

△1四歩。

これで居飛車穴熊の目は消えた。

それにしても、あの中国料理店ではセットを何回転もさせてよく飲んだ。

▲7五歩。

三件目は錦糸町の海鮮居酒屋だった。よく飲んだ。

・・・その後、私の石田流本組み対居飛車銀冠の展開に。

中盤の入口での大胆な攻めが決まり、私が優勢の局面。

△5五馬。

ここから△3六桂の狙いか。ふん、露骨な筋だ。

それよりも、その後に行ったインド料理店、ナンを頼むよりもライスのほうが良かったかなと思ったりする。

▲6三歩成。

△3六桂と打たれたって後手の持ち駒は大したことないので寄りはしない。ここは強気で行くべきだ。

それよりも、昨日はとても楽しかった。

△3六桂。

あ、打ってきたかー。強引な指し手だなあ。玉を斜めに逃げればいいんでないかい。

それよりも、ほうれん草とチキンのカレー、初めて頼んだな。

▲1七玉。

マトンカレーも、また食べたい。

△1五歩

あれっ、寄っているのかな?

あやや。

・・・数手後、私の投了。

トン死に近い寄せられ方。

10:50

私は、勝つ時も負ける時も勝負が早い。

対局中に煩悩が渦巻いていては敗れるのも当然である。

簡単に感想戦をして、反省をしながら席を立つ。

10:51

LPSAのブースに石橋幸緒女流四段のお母様がいたのでご挨拶をする。

「あれっ! また一段とお若くなられたのではありませんか?」

「あなた、目がどんどん悪くなってるんじゃないの」

それでも石橋女流四段のお母様は、満更でもなさそうな顔をしていた。

将棋ペンクラブ交流会にも来ていただいた船戸陽子女流二段。

「あれっ、将棋ペンクラブチームからの出場じゃなかったんですか?」

「そんなそんな、私はお父様が創設した原宿カサブランカに操を立てて幾年月。喜びも悲しみも幾年月」。

二日酔いになっていない理由がわかった。私はまだ少し酔っているのだ。

10:55

将棋ペンクラブのブースに到着。荒幡さんが一人でいる。

私は聞いた。

「ペンクラブチームの様子はどうですか?」

「僕は負けてしまいました。でも、聞いてくださいよ。星野さんが勝ったんです」

「ええええっ」

アカシヤ書店の星野さんは、古棋書については世界一の権威だし将棋についても造詣が非常に深いが、それに反比例して指し将棋は決して得意とは言えない。

11:00

将棋ペンクラブチームの対局の様子を見に行く。

チームの基本姿勢は「勝敗にはこだわらず楽しく将棋を指す」。

ところが、将棋ペンクラブチームが対局している場所がなかなか見つからない。

それもそのはず、私は5部リーグの中を探していたのだ。

チーム今期の4部陥落は想定内であり、安住の地である5部、あるいは将来新設されると噂されている6部で伸び伸びと将棋を楽しむのが、当面の目標。

とは言え、私も気が早過ぎた。

11:10

ブースに戻ると、星野さんがまるで大好物のタコを食べている時のような満面の笑顔。

「へへへ、勝っちゃったよ。俺が勝つなんておかしいよね」

かなり嬉しそうだ。

11:15

中倉彰子女流初段と立ち話をする。

実は、私はひそかに中倉彰子女流初段のファンなのだ。

話をしながら緊張する。

私の話した冗談を笑ってくれた。

今年の嬉しい出来事トップ3に入るかもしれない。

11:40

原宿カサブランカは3勝4敗で敗れる。

チームのメンバーと「ゆで太郎」へ。

豚丼セットを注文する。

12:30

第2局開始。相手チームは今年から参加の「HSY28」。

明るい雰囲気の好青年が集まったチームだ。

私の石田流に対して相手は右四間。

相手の方に見落とし(トン死)があり、早い段階で私が勝つことができた。

家に帰ってからわかったことだが、HSY28は橋本崇載七段が作ったチーム。

→棋士らしくないブログ HSY28

今後の活躍が楽しみだ。

13:00

将棋ペンクラブのブースへ行くと、星野さんがニコニコしていた。

まさか、、、聞いてみると、星野さんは第2局も勝ってしまったらしい。

信じられない。

(つづく)

島井咲緒里女流初段「兄の結婚」

結婚式で、新郎の妹が流す涙。

「お兄さん、いい人と一緒になれて良かったね」

というわけではないことを初めて知る。

近代将棋2006年1月号、島井咲緒里女流初段の「女流棋士の一週間」より。

 兄の結婚式のため、実家高知へ里帰りしました。何を隠そう、私はかなりのブラコンである。昔から、お兄ちゃん大好き大好き! と惜しみない愛を捧げていた。何故かって? それはカッコいいからである!

 私と母だけでなく、親族のおばちゃんもみな、兄のことをキムタクにソックリだと信じて1ミリも疑ってないのである。親族そろって兄バカなのであった。そのキムタクが、結婚するなんて! 私は迷わずこう言った。「断固反対!」全く以って迷惑な妹である。もちろん反対なんて馬鹿げてる。心の中ではわかっている。

 式場に着き、控え室に入ると、やはり女性陣は少しさびしげ。キムタクもついに・・・という思いが伝わってくる(思い込み)。あんたらほんまにええんかっ! 今ならまだ間に合う! と胸ぐらをつかみたい衝動を抑える。ええ、私も大人ですから。わかってますよ、間に合うわけないってことくらい。

 いよいよだ。チャペルの席に着くと、緊張感がみなぎっている。すでに涙ぐむ私、女性陣。そして新郎新婦の入場・・・。二人を見た瞬間、ぶわっと涙が溢れた。

「あぁ、本当にお兄ちゃんを取られちゃう・・・!」(注・もともと私のではない) よっぽど二人の腕の間に割って入ってやろうかと思ったが、さすがに私も理性がある。ついに観念し、「お兄ちゃん、さよなら・・・」そっと心の中でつぶやき、お兄ちゃんが幸せでありますように。心から祈ったのでした。

 ついつい妄想が行き過ぎ、マンガの主人公のような気分でストーリー作りをしてしまいましたが、決して兄嫁をいじめたりしないのでご安心下さい(笑)。お嫁さんと仲良くやってます。

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同じ頁には、お兄様の結婚式の時の写真が載っている。

キムタクにはそれほど似ていないと思うが、島井咲緒里女流初段のお兄様だけあって、相当な美男子だ。

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兄と妹というと思い出すのが、山崎豊子原作「大地の子」。

太平洋戦争の敗戦によって、満州で残留孤児となった主人公・陸一心が、中国人養父母への愛情と日本の実父との愛憎に揺れながらも、文化大革命の荒波を越え、日中共同の製鉄プラント事業を完成させるまでの物語。

1995年にNHKでドラマ化された。

とにかく泣けるドラマで、私が1995年に流した涙だけで、それ以前の10年間に流した涙の総量を上回っているのではないかと思えるほどだった。

制作者までが撮影中に泣いてしまっていたドラマだ。

兄と妹との関わりは、この物語の中盤の最も大きな山場。

陸一心(上川隆也)の妹・あつ子(永井真理子)は、5歳のとき兄と引き離され、その後売られて貧しい中国人の農家に嫁ぐが、家畜のように働かされ病に冒される。

彼女は5人の子どもを全て死産し、夫を亡くし、余命いくばくもない病気に罹っていた。

(原作はもっと酷い状況だったが、テレビではソフトな設定になっている)

一心の妹であるかもしれないと巡回医療隊の看護婦である妻(蒋文麗)からの知らせを受けた陸一心は、妹・あつ子(張玉花)の住まいへ行く。

北京近郊の寒村。姑と一緒に暮らしており、張玉花は巡回診療所を一度は訪れたものの、農作業をしなければならないということで、病にもかかわらず仕事を続けた。

病床の妹・あつ子。

35年間生き別れになっていたので、お互い大人になった今では顔の判別のつきようもない。

妻の江月梅が張玉花から聞いてメモしていた中国語ではない言葉、「タアマ」、「シイロウ」、「カウジャン」。

陸一心は張玉花に、『「タアマ」、「シイロウ」、「カウジャン」?』と聞いてみる。

張玉花は、中国語で、『そうではない、「ターマ」、「シーロ」、「カウチャン」』と答える。

これらの言葉を聞いて、陸一心(日本語名:松本勝男)は、ソ連軍に襲われて以来ほとんど失っていた過去の記憶を取り戻す。

『「ターマ」ではない「タマ」だ。家で飼っていた猫だ。「シーロ」じゃない「シロ」という犬だ。「カウチャン」じゃない、「かっちゃん」だ。僕の名前だ』

あつ子(張玉花)は大きく目を見開く。

「カウチャン、、、カッチャン、、かっちゃん・・・」

数々の苦難を乗り越えてきた陸一心が、35年ぶりにようやく巡り合えた妹。

妹は日本語をほとんど覚えていない。

妻の尽力により人民病院に入院したあつ子。

わずかな間だったが、あつ子に日本語教えたりして少しでも一緒に過ごす日々が続いた。

しかし様態は急変し、北京近郊の寒村へ戻される。

そして妹の死。

最後の言葉は「・・・ありがとう・・・・・・」だった。

妹の死の翌日に、陸一心は実の父親が松本耕次(仲代達矢) であることを知る。

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その後、陸一心は日本へ出張することとなるが、「日本に帰りたい」と言っていた妹のあつ子の幻影が飛行機の中に現れる。

綺麗に化粧をして綺麗な洋服を着た笑顔のあつ子、、、どうしようもなく涙が流れてしまう。

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主人公の上川隆也さん、実の父役の仲代達矢さん、薄幸そうな母親を演じさせたら右に出るものがいなかった故・田中好子さん、とても可哀想な妹を好演した永井真理子さん、最高だった。

中国側の俳優としては、陸一心の養父役の朱旭さんの演技が素晴らしく1996年のギャラクシー賞を受賞している。

また、陸一心を深く理解し妻となる江月梅を演じた蒋文麗さんも絶妙だった。

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湯川恵子さんと初めて会ったのが1996年のことだった。

何度も飲んでいるうちに、私が「大地の子」の話をしたのだろう。

「あっ、朱旭さんって知ってるよ。囲碁の関係で中国に行った時、一緒に碁を打ったよ。とても素敵な人だった。有名な俳優なんだってね」

湯川恵子さんは「大地の子」をみていなかったという。

今日の記事を書いてあらためて思ったことだが、今度、湯川家に行ったら、「大地の子」を博士さん・恵子さんと一緒に観てみたいと思っている。

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Youtube→【ショートクリップ】ドラマスペシャル 大地の子

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発売日:2002-09-06

本当にあった禁断の盤外戦術(2)

反則ギリギリの作戦その2。

1996年刊行の田中寅彦九段「羽生必敗の法則」より。

 対局中に笑うなどというのは不謹慎な話だが、それは対局に集中している棋士の神経をそぐからだろう。もし、爆笑がおこる、などという状況が生まれれば、棋士に対する影響は大きい。

 だいぶ前のNHK杯で、こんなことがあった。その局は途中まで何事もなかったのだが、一方の某棋士が下半身がムズかゆくなってきたのか、急に立ち上がったのである。そして、ズボンのたわみをととのえるように、ズボンのベルトの所をおさえて、腰をブルッ、ブルッと震わせた。よく中年のオジサンがやるような、あれである。

 この”パフォーマンス”にたまらなく可笑しくなったのが、記録読み上げ人であるT女流棋士。視聴者もブラウン管越しに大爆笑しただろうが、記録読み上げ人とすれば、それをグッとこらえたいところ。しかし、彼女は耐え切れず、ついに大きな声で笑いだしたのだ。

 これはいまだに、「NHK杯爆笑事件」として、私たち棋士の記憶に残っている。その爆笑ムードは、当然その相手に影響を及ぼした。なんと腰振り棋士は、そのまま優勝し、その後も、ときたま同じしぐさが見受けられる。

—–

蛸島彰子女流五段が棋譜読み上げをやっていた時代の話だ。

それにしても、記録読み上げ人が声を出して笑ってしまったのだから、相当に可笑しかったのだろう。

—–

1990年頃の話。

中野で三人(男・男・女)で飲んで、「もう一軒行こう」、ということになり、タクシーで六本木へ向かっていた時のこと。

車中では普通の会話が交わされていたのだが、赤坂見附を通り過ぎる頃、いままで一言も言葉を発しなかった無愛想な運転手さんが、急に声をあげて笑い出した。

私たちはビックリして会話を止めた。

「急に笑って申し訳ありませんでした。お客さんたちの話があまりに可笑しかったから。ずっと笑うのを耐えていたんですが、我慢できなくなっちゃって・・・」、と運転手さん。

あの時の微妙な達成感は、今になっても忘れられない。