「いや、それはちょっと・・・」

今日は、王座戦挑戦者決定トーナメント2回戦(準々決勝にあたる)、渡辺明竜王-山崎隆之七段戦が行われる。

両者が王座戦で顔を合わせるのは、山崎隆之七段が挑戦を決めた2009年の挑戦者決定トーナメント準決勝以来。

今日は、2003年に渡辺明五段(当時)が王座戦の挑戦を決めた日の出来事。

近代将棋2003年11月号、故・池崎和記さんの「関西つれづれ日記」より。

8月某日

王座戦の阿部-渡辺戦(挑戦者決定戦)を見に行く。

19歳の新鋭、渡辺五段が初のタイトル戦登場となるか、それとも前期竜王戦7番勝負で惜敗した阿部七段が羽生王座へのリターンマッチを果たすか、どっちが勝っても話題性は十分だが、結果は渡辺五段の勝ちとなった。

(中略)

長い感想戦が終わってから控室に行くと山崎五段がいた。年下の渡辺さんが挑戦者になったので刺激を受けているはず。山崎さん自身、22連勝中で、6日後には谷川王位との大勝負(竜王戦の準々決勝)が控えているから「僕も頑張って挑戦者になろう」と思っているだろう。

王座戦の打ち上げは梅田のホテルのバーでやるらしい。山崎さんが「僕も行きたいんですけど・・・」と言うから「行ったらいいじゃない」と言ったら「「場所をよく知らないんですよ」。

場所を書いたメモが控室に置いてあって、それを見たら僕が知っているホテルである。山崎さんを案内しようかと思ったが、歩くにはちょっと遠すぎ、タクシー利用だと逆に近すぎる(運転手さんに怒られそう)という、やや中途半端な距離なので「一緒に行きましょう」とも言いにくい。

そうこうしているうちに記録係りの松井初段がやってきて「渡辺先生、扇子を忘れていきました」という。扇子を開くと「四段 宮田敦史」と書いてある。宮田さんが四段に昇段したときに作った扇子だろう。渡辺さんは同門の兄弟弟子の扇子を使って王座戦を戦っていたわけだ。

「スーパー敦史君の扇子か。大阪では手に入らないね」と僕が言ったら、だれかが笑って「池崎さん、もらっといたら?」。まさか、そんなことはできない。で、打ち上げ会場まで扇子を届けることにした。山崎さんを誘い、タクシーを拾って、少し遠回りしながら梅田のホテルへ。

バーには主役の渡辺五段、新聞観戦記担当の河口七段、ネット解説を担当した安用寺四段らがいて、座が盛り上がっていた。

渡辺さんは和服を作るという。いい心掛けだ。タイトル戦での和服着用は義務ではないけれど、慣例に従うほうが余計な神経を使わないですむ。

「和服って、いくらくらいするものですか」と渡辺さん。当然の疑問であるが、和服にもピンからキリまであるから、どの程度ならいいとは簡単には言えない。それで僕は「タイトル戦によく出ている棋士に聞いてみたら? といっても対戦相手の羽生さんには聞けないから、佐藤康光さんや森内さんに聞いたらどう?」と言ったのだが、「いや、それはちょっと・・・」と渡辺さん。

そう言われて僕も失言に気づいた。渡辺さんは佐藤棋聖と森内九段を破って挑戦者決定戦に出てきたのである。聞けるわけないじゃないか。毎度のことではあるけれど、我ながらホンマにアホやね。

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当時の渡辺明竜王のブログ「若手棋士の日記」によると、8月5日(火)が挑戦者決定戦、8月10日(日)に白瀧呉服店で和服を購入、8月29日(金)に和服が出来上がり初着。

白瀧呉服店は練馬区にある嘉永六年(1853年)創業の東京で一番大きい呉服店で、白瀧あゆみ杯争奪新人登竜門戦を2006年から後援している。

白瀧あゆみ杯争奪新人登竜門戦は、将棋好きな白瀧社長から「何か将棋界に協力したいんだけど何かいい案はないかな?」と相談を受けていた渡辺竜王が、連盟理事会に話を繋いでできた棋戦。

白瀧呉服店のホームページでは、渡辺竜王が着物について語っている。→きものと私

白瀧呉服店では渡辺竜王の着物別の勝敗チェックを行っており、 大一番の時は「この着物を着ましょう」とアドバイスしてくれるという。

聞いていて嬉しくなる話だ。

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原田泰夫九段は海外へ行く時も着物という着物党だが、自宅ではポロシャツとズボンだった。

升田幸三実力制第四代名人は、外出時も自宅でも着物だったと思われる。

たしかに「升田の背広」は、イメージするのが難しい。

しかし、原田九段の背広姿も想像するのがなかなか難しい。

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なお、今日は女流王位戦第3局、 甲斐智美女流王位-清水市代女流六段戦が行われる。→中継

清水市代女流六段のカド番。

将棋棋士の食事とおやつによると、第3局の対局場「旧伊藤伝右衛門邸」での昨年の昼食は茶寮弁当。今回も茶寮弁当となることが予想される。

とても彩りのある弁当だ。→茶寮弁当の写真

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