本間博五段(当時)の怒涛の二日間

週刊将棋の「なんでやねん大阪」でもおなじみの本間博六段。

本間博六段は、故・池崎和記さんのコラムにも数多く登場しており、多くの人から愛されている。

今日は、本間博六段の1995年東京での二日間を見てみたい。

NHK将棋講座1996年1月号、湯川博士さんの観戦記「組ませてくれへん」(2回戦 深浦康市五段-本間博五段戦)より。

 今年(平成7年)のゴールデンウィークに大阪で将棋ペンクラブの会があったとき、プロではただ1人、本間五段が駆けつけ、参加者に指導将棋をしてくれた。しかもその場で入会してくれ、会費まで払ってくれた。世話役の一人である私はなんともうれしかった。

 実に気のいい兄ちゃんやなぁ、と思った。

 2次会で酒が入るや、参加者から本間五段へ手荒い祝福が飛び出した。

「テレビ見とってビックリしたわ~」

「本間さん、いったいどないしたんや?」

「背後霊でもついたんとちゃう(笑)」

 NHK杯予選を突破したのも初めてのうえ、森けい二九段を1回戦で破ったことへの、大阪ふうの賛辞なのだ。

 気のいい本間さんにはファンが多い。3年前にフリークラスになってからは、とくに、皆の応援したい気持ちが高まっていた。そこへ全国放送のNHKテレビに登場し、しかも大物を堂々と破った。生易しい誉めことばでは、よう伝わらんのや、というわけ。

 本局のために前夜上京した本間五段と連盟で会った。5月のお礼を兼ねて一杯飲もうというつもり。行ってみるともう1人若者がいて、大阪の奨励会にいて、今は東京で演劇とライターをやっているという。彼も本間さんと飲むつもりで来た。そこへ泉正樹六段も加わり、4人で近くへ飲みに行った。

「ときどき約束が重なるので、皆いっしょに行くことが多いんです」

 とにかく誘われたら断らない主義なので、こうなるのが定跡らしい。

 泉さんは、大阪で対局があって負けたりすると、本間さんを呼び出して酒を付き合ってもらうそうだ。なるほど、これでは約束が重なるだろうな。あまり酔わないうちに商売用の質問をぶつけた。

(以下略)

この飲み会とその後の様子は、近代将棋1996年1月号、湯川博士さんの棋士インタビュー「本間博五段 好きでやっているんやから」に書かれている。

 このインタビューのあと、大阪の奨励会をやめて東京へ出てきた若者や中堅棋士とWデート。記者を含めて四人で飲みに飲みに出掛けた。 はじめは、「明日対局やからな」 と言って、ビールを少しずつ呑んでいたが、いつの間にか、酎ハイも・・・。そして中堅棋士は「冷静に帰ります」。

 残った三人で二次会へ繰り出し、帰りは午前様だった。

 翌日のNHK杯は若手棋士に敗れたが、

「ここまででしょう。研究不足やから、自分の形に組ませてもらえんかった。これでひとつ負け越しましたが、今年はなんとか勝ち越しを狙いたいですね」

 と、いつもの飄々とした本間さんに戻っていた。別れると、不思議にまた呑みたくなる魅力を持った人だ。今度大阪へ行ったら、呑むのを付き合ってもらおう。

この後のことは、先崎学八段のエッセイ集「フフフの歩」に書かれている。

十月某日。所要があって連盟に行くと、本間さん(博五段)が寝っころがっていた。見るからに二日酔いと分かる。というより酒臭い。

「どうしたんですか」

「二日酔いや、ボロボロや。もうアカン、死ぬしかないわ。負けてもうた」

「またパチンコですか、大ゲサな」

「ハー将棋や、何ゆうとんねん」

 よく考えれば、本間さんは大阪の棋士なので、パチンコで負けて、連盟に寝っころがっているわけがない。

「将棋って何ですか」

「NHKや、深浦っちゅうのは強いなあ」

 きけば、朝の四時まで酒を飲んで、テレビ局で対局をして、負けて、昼からヤケ酒を飲んでいたらしい。朝まで酔っ払って、相手が深浦で、負けて口惜しい、もないと思うが、本間さんといえば、肝臓大魔人、人間ポンプ、人間が考える葦ならば本間さんは酒を飲む葦である。酒が入ればかえって強くなるくらいのものだろう。一回戦の森九段と指したときだって四時まで飲んで勝ったのだ。

「口惜しくて帰られへん。ひと寝入りするから飲みに行こ」

 いうやいなや、本当に寝てしまった。

 奨励会員が指している十秒将棋をを隣に見ながら、竜王戦の研究などをしていると、突然本間さんが起きてきた。

「これ最近の詰将棋なんや、見てくれや」

 目がらんらんと輝いている。きっと夢を見ていたのだろう。

 詰将棋を見るとさっと集まるのはプロ棋士の習性である。皆でスピードを競い合い、遅れると馬鹿にされる。

 これが驚いた。なかなか筋の良い問題が多いのである。形が良く、難しい問題が多い。なかなかどうして、イケルのである。

 心の中で感心して、口では「酔っ払って作るんですか」などといっていると、よし、これはどうだと、誇らしげに一題出してきた。

・・・五分、十分。誰も詰まない。部屋の中が急に真面目な空気に包まれた。

「まだ詰まへんのか。十一手やで」

 しばらくしてポツポツと解けはじめ、皆が、これはいいねえ、うまいねえと褒めそやす。

 最後になったのは奨励会の某君。三十分も考えたろうか。「ああひどいよ」

 本間さん喜ぶ喜ぶ。「気が晴れたで、さあ酒や」

 東さん(和男七段)と一緒に食事の後二軒三軒-。夜中に行った新宿の溜まり場のスナックで、バッタリ若手達に会った。

「マスターちょっと盤持ってきてんか」

 本間さんはトロンとした目で、駒を並べ出した。

「どや、最高の詰将棋やで」

 朝の四時、これも酔っている奨励会の近藤君がまた詰まない。近藤君も熱くなり「絶対に答えをいわないで下さい」なんていっている。

 横で本間さんは答えをいいたくてたまらない様子だ。

 何時まで飲んだか覚えていない。憶えているのは本間さんの嬉しそうな顔ばかりだった。

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一日目の飲み会が始まるまでがNHK将棋講座、

一日目の飲み会の序盤から終盤までが近代将棋、

二日目の午前に行われた将棋はNHK将棋講座、

二日目の午後の模様、二日目の飲み会は将棋世界、

で書かれたことになる。

本間六段のこの二日間の行動の中で描かれていないのは、NHKを出てから連盟へ来るまでの間、つまりヤケ酒を飲んでいたときのことだけである。

NHK杯の解説は東七段だったので、本間五段は東七段と酒を飲んでいたものと思われる。

このように、本間五段が東京にいる間のことがすべて文章化されているのだから、本当にすごいことだし、いかに本間五段が人から好かれているかがわかる。