将棋マガジン1992年6月号、鈴木輝彦七段(当時)の「方丈盤記」より。
「散る桜 残る桜も 散る桜」 花見の季節になると思い出す好きな句だ。
桜ほど日本人の心に合う花もない。冬の枯れ木にあれ程見事な花を想像する事はできない。「木中の花」の故事は人間の可能性も表わしている。
どんな人にも満開の桜のような能力が潜在していると思うと無限の希望がでてくる。
桜は希望の象徴でもあるようだ。
希望を持って楽観的に生きている人をみるとこちらも元気がでてくる。
まさに満開の桜を見るようでもある。
先輩の森(けい二)さんは「名人を目指す」と山本リンダさんとの対談で言っているし、年上の児玉さんも「タイトルを取りたい」と意気軒昂だ。
気持ちが若々しいし周りの人に勇気を与えている。
逆に「いけません。もうだめです」と言われたのでは返事に困ってしまう。
棋譜だけでなく生きざまそのもので将棋ファンに喜んでもらえるのが理想でもある。
冒険家に応援する真理と共通しているのかもしれない。
何しろ勝負、勝負の世界は誰でも経験できるわけではないから。
負けてズタズタになりながらもまた向かっていく。そんな所がたまらない魅力になっている。
羽生君ぐらい勝っていると楽しくて仕方がないのかと思ったら「負ける数は他の人と変わりませんから」と意外な返事で驚いた事がある。
確かに負け数は私達といい勝負で(勝ち数は話にならないが)辛い夜の数は同じかもしれない。
(以下略)
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この話、勝った日を「宝くじで5億円当たった日」、負けた日を「80℃の熱湯風呂に1時間入り続けなければいけない日」、に置き換えると、もっとわかりやすくなる。
あるいは、勝った日を「恋人とデートをした日」、負けた日を「恋人に振られた日」に置き換えてもかわりやすい。
あるいは、勝った日を「美味しいものを食べた日」、負けた日を「食中毒にかかった日」としても、良いかもしれない。
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「散る桜 残る桜も 散る桜」は良寛の辞世の句。