羽生善治三冠(当時)の初めての同世代タイトル戦対決

近代将棋1993年9月号、高林譲司さんの第34期王位戦七番勝負第1局〔羽生善治三冠-郷田真隆王位〕観戦記「郷田と羽生の王位戦はじまる」より。

近代将棋同じ号より。撮影は炬口勝弘さん。

 羽生善治竜王がいよいよ王位戦に登場してきた。

 昨年まで、王位戦ではリーグにすら入ったことがなかった。羽生竜王の実力をもってすれば、これはまったく不思議。棋戦のツキは確かにあって、ただ縁がなかったというしかない。

 ところが今期、初のリーグ入りを果たしたと思ったら、いきなり挑戦権を獲得。やはり並の棋士ではない。

 いきなりといったが、しかし挑戦権を得るまでけっして平らな道を歩いてきたわけではない。

 紅組リーグに参加した羽生は、第1戦神崎五段、第2戦森下七段と連勝し、まずは順調なスタートをきった。

 第3戦は今期リーグの最高カードともいうべき対谷川戦。ここで黒星を喫し、紅組リーグは一気に混戦状態になった。谷川棋聖にとっても、初戦で敗れており、この対羽生戦は絶対に負けられないところだった。

 ともあれ優勝候補の二人が2勝1敗で並んだ。こうなれば、羽生、谷川両者が1敗を堅持したままプレーオフに突入するだろうというのが、二人の実績を見れば順当な予想だったろう。

 ところが第4戦で波乱が生じた。谷川棋聖が神崎五段に敗れ、この時点で優勝が遠のいたばかりか、リーグ陥落の危険がでてきた。遂にダークホースの神崎は1敗堅持で急浮上。

 羽生は第4戦小野七段、最終戦加藤九段と連勝し、結局谷川に敗れたのみで4勝1敗でリーグを終えた。神崎も最終戦を勝ち、両者同率のプレーオフ。

 神崎も王位リーグで戦うのは初めて。にもかかわらず、谷川を下した星が生きてプレーオフに進出。常に全力投球の対局姿勢も好感が持て、今期の王位リーグにさわやかな印象を残した。

 一方、白組では高橋道雄九段が5戦全勝という見事な勝ちっぷりでリーグ優勝。高橋にとって王位は初タイトルであり、ひときわ愛着がある。今期の気合いの入り方に「再び王位に」という思いがありありと出ており、それが5連勝という成績につながった。

 戻って紅組。羽生-神崎のプレーオフは6月16日に行われた。珍しく羽生が飛車を振り、中盤では居飛車穴熊の神崎がむしろ指し易いと思われる将棋だった。しかし苦しみながらも羽生が勝って紅白決戦に進出。繰り返すようだが、ここまで戦った神崎の今期の活躍は素晴らしく、また本人にとっても今後上位を目指すうえで大いに自信につながったのではないか。並み居る強豪をものともせずリーグ残留。挑戦権獲得の望みを来期につなげたのは立派だ。

 さて、羽生と高橋による挑戦者決定戦は6月26日に行われた。今度は相矢倉。ここでも羽生は高橋の猛攻を許し、受け一方に追い込まれて苦戦を強いられた。

 結局は羽生が受けきった形で、高橋投了。このように、挑戦権を得るまで、羽生にとっては山あり谷ありの道程だった。

 しかし今、将棋連盟でよく耳にするのは「最後に勝つのは羽生」という言葉だ。

 どんなに苦しい将棋でも、終わってみれば羽生が勝っている。またリーグ戦でもトーナメント戦でも、最後に残るのは羽生。今期王位リーグを終えて、なるほどと思ったものである。

 となれば、郷田真隆王位にとっても大変な挑戦者を迎えたわけだが、「自然体で臨みます」と淡々としたもの。若くして郷田王位は自分の世界を持っている。将棋もそうだし、普段の言葉や行動にもそれが感じられる。さっぱりした性格で「◯か✕が好き、△は嫌い」と語っていたことがある。相手が誰であろうと、自分の将棋を指すだけ。これが郷田流の最大の長所で、男らしく、さわやかだ。

(中略)

 第1局は7月13日、14日の両日、岐阜県下呂温泉の「水明館」で行われた。

 対局前日、二人は東京駅で対面。新幹線で名古屋へ行き、そこで立会人の広津久雄九段、小林健二八段と合流した。

 一同そろって高山本線に乗り換え、飛騨の山々を見ながら渓流沿いにおよそ1時間半。下呂に着いたときは雨が本降りになっており、結局、雨は対局終了まで降り続いた。

 水明館は3年前に一度訪れている。谷川王位に佐藤康光五段(当時)が挑戦した時だが、今回は部屋が違って、その後に完成した「青嵐荘」という別棟が対局場に当てられた。

 見事な数寄屋造りの建物で、将棋のタイトル戦としても、ほとんど最高に近い環境。対局室の「夕顔」という名からも風情のほどが分かろうというものだ。雨にうたれる庭の緑がまた美しかった。

 それらを背景に、和服の両者が盤に対する光景は、ちょっと大ゲサにいえば、夢かと思わせるほど。夢ではないにせよ、騒がしい世間からへだたっている世界であることは確かだ。

 将棋はさらに普及されるべきであり、そのためにはファンとの接触をより多く持つことが何より大切。タイトル戦の公開対局が多くなってきたことは大いに評価されてよいが、今回のような、いかにも日本的な静寂の中での対局も、やはりタイトル戦ならではであり、貴重ではないだろうか。

 盤上の勝負は何にも増して面白いが、将棋だけが持つ様式美も欠かせない楽しみで、決して失ってはならないものだ。

 それにしても、郷田、羽生という若くて美しい棋士は、タイトル戦の場が実によく似合う。

(中略)

 第1局は先手をひいた羽生の注文でヒネリ飛車になった。

 今期七番勝負の楽しみの一つは、毎局かわった戦法がみられそうなことだ。

 戦う前、「羽生さんはどんな戦法でも指しこなす人。一つの戦法に偏ることはないでしょう」と郷田がいえば、羽生も「矢倉、相掛かり、角換わりなど、いろいろな戦法になると思います」と、ほぼ同じ意味のことを語っていた。

 ともあれ第1局はヒネリ飛車。羽生が好んで選ぶ戦法で、闘志のほどがわかる。

「相手が同世代だけに、負けたくないという気持ちがいつもより強いのだろう。羽生さんの気合いの入り方が違う」というのは、立会いの広津九段。

(以下略)

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羽生善治三冠(当時)にとってのタイトル戦での同世代対決の始まり。

今後、佐藤康光九段、森内俊之九段、藤井猛九段、丸山忠久九段、郷田真隆九段との同世代でのタイトル戦が数多く繰り広げられることになる。

まさしく同世代での切磋琢磨。

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「昨年まで、王位戦ではリーグにすら入ったことがなかった。羽生竜王の実力をもってすれば、これはまったく不思議」

羽生三冠にとっては四段になって7期目の王位戦で初のリーグ入り。

順位戦A級になるまでの年数が早かったとはいえ、(A級になるまで一度も王位リーグ入りしていなかった)という視点で見ても、たしかに不思議なことだ。

当時の将棋界七不思議に入っていたとしても、不思議ではないと思う。

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「神崎も王位リーグで戦うのは初めて。にもかかわらず、谷川を下した星が生きてプレーオフに進出。常に全力投球の対局姿勢も好感が持て、今期の王位リーグにさわやかな印象を残した」

羽生九段は、この期に王位を獲得して2001年まで連続で9期、王位を保持している。

神崎健二五段(当時)の活躍がなければ、その後の歴史は変わっていた可能性もある。

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「今、将棋連盟でよく耳にするのは『最後に勝つのは羽生』という言葉だ」

このような言葉が出るようになったら無双状態。

この2年半後、羽生七冠誕生となるが、七冠に近づくにつれ「最後に勝つのは羽生」が当たり前の状態になってきて、「最後に勝つのは羽生」は徐々に使われなくなっていったかもしれない。

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「若くして郷田王位は自分の世界を持っている。将棋もそうだし、普段の言葉や行動にもそれが感じられる。さっぱりした性格で『◯か✕が好き、△は嫌い』と語っていたことがある。相手が誰であろうと、自分の将棋を指すだけ。これが郷田流の最大の長所で、男らしく、さわやかだ」

今も変わらぬ郷田九段の魅力だ。

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下の写真は、B級2組昇級を決めたばかりの羽生竜王と四段昇段を決めたばかりの郷田新四段(近代将棋1990年5月号、撮影は炬口勝弘さん)。

この写真からほぼ3年後、二人が三冠王と王位になっているわけで、新しい時代の到来を象徴するような写真だと思う。

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この王位戦第1局については、次の観戦記に詳しい。

郷田流と羽生流の真っ向からの激突