棋士のつっこみは激しい

将棋マガジン1993年11月号、鹿野圭生女流初段(当時)の「タマの目」より。

井上六段「野球場とかには最近、水晶テレビがありますやろ」

福崎八段「何それ!?」

淡路八段「それ、液晶テレビの事とちゃうか?」

井上「あー、そうですわ」

福崎「そのテレビやったら、未来の事わかるんとちゃうか」

淡路「予報やなしに、明日の天気言うてくれるんやろな」

(棋士のつっこみは激しい)

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水晶占いは、ジプシー占いとして有名で、丸い透明な水晶玉を使って、その中に、人の未来を映し出していたという。

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1993年の将棋マガジンでは、エトワール舟黎さんによる、「今月の将棋運 星座占い」が連載されていた。

星座別の占いはもちろんのこと、その月に生まれた棋士についてもコメント。

この11月号では、森内俊之六段(昭和45年10月10日生)。

向学心があり人間関係を大切にします。社会的な成功には関心が薄いけれど、好きな道に進めば本人の努力と、友人などからの応援を得て求めなくても名誉を得ることになります。独創性、精神力、洞察力がありますが、好きでないことに関しては無頓着です。

(以下略)

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将棋マガジンは1996年に発行を終了している。

観る将棋ファンが増えてきた現在、このような雑誌があれば、相当歓迎されるのではないかと思う。

羽生善治棋王(当時)「ちょっとガッカリしました」

将棋マガジン1992年3月号、羽生善治棋王(当時)の「羽生善治の次の一手&詰将棋&クイズ」より。

先日、初めてプロレスとボクシングをナマで見ました。それがレスラーとボクサーが戦う、いわゆる異種格闘技戦でした。

 ボクサーは捕まったら終わりですし、レスラーは一発パンチを食らったら終わり。どちらも相手を警戒して、戦いらしい戦いにならないので、いささか拍子抜けです。

 次の試合では、レスラーがキックで攻めたところ、ボクサーの方が、「話が違う」(英語なので分からなかったが、そう見えた)という感じで、すぐに試合放棄。ちょっとガッカリしました。

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調べてみると、この頃あった異種格闘技戦は、1991年12月の両国国技館でのUWFインターナショナルの「格闘技世界一決定戦」で、高田延彦-元WBC世界ヘビー級王者トレバー・バービック戦などが行われている。

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将棋関係でプロレスに詳しいといえば、バトルロイヤル風間さん。

大学4年の就職活動で、全日本プロレスを受けて内定をもらっているほどだ。

社長のジャイアント馬場さんが面接官だった。

もちろん、レスラーとしてではなく、社員としての内定。

結局、バトルさんは出版社へ入社することとなり、その後漫画家となるが、、もし全日本プロレスに入社していたら、数々の将棋の4コマ漫画は生まれていなかったかもしれない。

将棋界にとっての、一つの岐路だったとも言える。

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バトルロイヤル風間さんが結婚した時の仲人は、アニマル浜口さん。

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バトルロイヤル風間さんは大学時代に漫画研究会に所属していた。

その当時のアルバイト先は化粧品店。

この化粧品店では、”化粧品をある金額以上購入すると、似顔絵を描いてもらえる”という販売促進策をとっていた。

その似顔絵を描いていたのがバトルさん。

バトルさんの似顔絵の基礎はこの頃にできている。

まさに体で覚えた似顔絵だ。

羽生善治棋王(当時)「ちょっと自分の感覚に疑問(?)を持ったりしました」

将棋マガジン1992年1月号、「羽生善治の次の一手&詰将棋&クイズ」より。

 最近、「オーメン4」という映画を見ました。

 映画はジャンルを問わないのですが、グロテスクなのは苦手なので、オカルト映画はあまり見たことがありません。その時も期待していなかったのですが、ストーリー的に大変面白いなと思いました。

 早速、まだ見ていない1~3をレンタルビデオショップで探したところ、家の近くの店には全然置いてありません。

 この映画、あまり人気がないようなので、ちょっと自分の感覚に疑問(?)を持ったりしました。

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オーメン1は、1976年に封切られた映画で、6月6日午前6時に誕生し、頭に「666」のアザを持つ悪魔の子ダミアンを巡る物語。 「666」は新約聖書のヨハネの黙示録において“獣の数字”とされる。

オーメン1は大ヒット。

オーメン2もヒット。

オーメン3は興行的に失敗。

オーメンは当初から3部作として予定されていたという。

そして、オーメン4は、元々はテレビドラマとして制作された作品だが、日本では劇場公開された。

そういう意味で、オーメン4は、1~3までとはかなりイメージが異なる作品になっているという評価になっている。

ネットで調べても、オーメン4は、”オーメン”ファンから酷評を受けている。

羽生二冠が1~3を見たとしても、楽しめなかったのではないだろうか。

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私は怖い映画が大好きだったので、オーメン1だけはリアルタイムで見ている。

しかし感想は、つまらなかったの一言。

上映中のほとんどの時間、寝ていた。

オカルト映画なのに理屈が多すぎるのが、個人的に気に入らなかった理由だ。

翌年に公開された大ヒットした「サスペリア」は、オーメンとは正反対の理屈抜きの作品。

私の中では非常に評価が高い。

怖い映画は、理屈など無視して、ジェットコースター的に楽しませてくれればいい。

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オーメン4を私は見ていないが、オーメン1~3と傾向が違うわけで、贔屓の引き倒しではないが、羽生二冠の感覚は正しかったのだと思う。

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木村晋介将棋ペンクラブ会長、「JG×ポプラ寄席」に出演!!

将棋ペンクラブ会長の木村晋介弁護士から、

添付の企画が決行されます。皆様にお伝えください。
木村家は、久しぶりに「野ざらし」をやろうと思っています。

とのメールあり、このブログでもお知らせしたいと思います。

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添付の企画とは「JG×ポプラ寄席」で、JGとポプラ社のコラボレーション企画。

JGは、新宿~御苑~四谷をエリアとしたタウン誌(月刊フリーペーパー)。

ポプラ社は、「少年探偵江戸川乱歩全集」でもお馴染みの出版社。

この二社が、仕事帰りに気軽に楽しめる落語会として企画したのが「JG×ポプラ寄席」です。

そして、その第1回目の出演者が、木村晋介弁護士、放送タレントの松尾貴史さん、ジュンク堂書店社長の岡充孝さん。

落語会の後は、食事会(会費制)も開催されるということです。

興味のある方は、ぜひ、ご参加ください。

落語会日時

3月19日(月)

開場:18:30

開演:19:00~20:40

会場:ポプラ社コンベンションホール(地図)

料金:前売・当日2,000円(ウェルカムドリンク付き)

【食事会】

時間:20:50~22:30

料金:前売・当日3000円(ドリンク代別)

【お申し込み・問い合わせ】

 

(株)H14 月刊「JG」編集部

 

03-5361-8015

 

jg@h14.co.jp

 

心温まる話

近代将棋2001年2月号、近代将棋会長 永井英明さんの「近代将棋創刊50周年 泣き笑い半生記」より。

 本誌は創刊号から、ときの第一人者木村名人の”平手腰掛け銀の研究”の連載を得て、幸せな船出が始まりました。

 木村名人はいつもお目にかかるたびにはげましの言葉をくださって、「私は若い人が大好きだ。若いときは、奮闘努力だ。そして思い出をたくさん作りなさい。歳をとってから、思い出のない人生なんてつまらんよ」。いまでも、そのお言葉が耳に残っています。

 最初に少しばかりの原稿料をお届けしたとき、「創刊したころが一番、お金がいる時期なんだ。ぼくのことは考えなくていいよ」と言われて、どうしても受け取って頂けませんでした。

 後日、名人の著書「勝負の世界」を拝見すると!「いままで私の人生行路のうちで、最も苦しかった時代は、昭和22年第6期名人戦で塚田氏に敗北してから、再び名人に復活するまでの二年間であった。その間には”新生(タバコの銘柄)”一箱さえ買う金がなくなって、後日暗い情けない日をおくったこともあるし、また子供の授業料が払えなくて、実に暗い情けない思いをしたこともある」

 ちょうど、私が原稿をお願いに上がったころで、それから名人位を回復されたとはいえ、まだ何ヵ月も経ってはいません。

 江戸っ子って、すげえなあ。と、驚いたしだいです。

(中略)

 米長永世棋聖がよく、「木村名人には”花”があった」と言われるのですが、たしかに大輪の花を背負っておられるような感じがありました。

 人を引きつける力は単なる話術ではなく、気配りというか、周囲を見わたす眼力がありました。

 昭和25年夏、創刊から数ヵ月経ち、販路を広げようと考え、北海道の炭鉱の将棋同好会を何ヵ所かたずねました。

 途中、札幌の福井資明八段をまず、表敬訪問したときのこと。ちょうど大きな将棋の催しがあり、木村名人がこられていると聞きました。

 会場の受付で「東京から来たものですが、木村先生にご挨拶をしたいのですが」と名詞を差し出すと、さっそく取りついでくれました。

 しばらく待つと「名人がお通しするように」と、係の方が広い会場に案内してくれました。

 北海道将棋界のお歴々が居並び、木村名人を中心にいま、大宴会が始まろうとする寸前です。

 名人が司会の人をちょっと制して、「東京から来た人がいるので、皆さんに、ここで紹介したい」と言われ、私に「ここまで、原稿を取りにきたのか」と言われたんですね。

 どきっ、としました。なんとお答えしたらいいのか。

 北海道まで原稿を頂きに上がることはちょっと、非常識。しかし、ここは馬に乗ってみよ、お言葉には従ってみよ。そう、心に決めて、

「はい、原稿をいただきに上がりました・・・」

 名人はにっこりなさって、「ご苦労でした。しかし、まだ原稿はできていないんだ。必ず書くよ、一生懸命に書くよ」

 会場はしーんとしてました。座にいる方々はなんのことかわかりませんし。

 私は木村名人座長の名舞台を見ているような、気分でした。

 名人はおもむろに、

「いま、ここにいるのは永井君といって、新しく将棋の雑誌”近代将棋”を創刊した人です。私は応援します。毎号、原稿を書くことを約束した。どうか、皆さんも力になってください」

 拍手が、しばらく・・・・・・。

 木村名人の温かさ、偉大さ。あのときも、いま考えても、ありがたくて、目頭が熱くなります。

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この話を聞くと、”人情の機微”という言葉が頭に浮かんでくる。

心温まる話だ。

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私が将棋を覚えた小学3年の頃、母が、「将棋には、木村名人、大山名人という偉い人がいる」と教えてくれた。

将棋と縁もゆかりもない母が言ったことだから、木村義雄、大山康晴という名前は、ほとんどの当時の日本人が知っていたということになる。

木村義雄十四世名人が引退したのは1952年。

引退してから15年以上経っても一般の主婦に名前を知られている訳で、それほど、木村義雄十四世名人は偉大な存在だった。