「ボクがこのまま四段に上がれなかったら、ボクの将棋は誰にも見てもらえなくなっちゃうんですね」

元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんは、近代将棋編集部→将棋世界編集部→書籍部→近代将棋編集部という異色の経歴。

中野さんの頭の中は、棋士のエピソードの宝庫と言っても過言ではない。

その中野さんからブログに頂いた数々の貴重なコメントを数回に分けて紹介したい。

まずは、郷田真隆棋王、先崎学八段編から。

郷田真隆棋王編

「おい、有段者、俺に酌しろ」へのコメント

「ボクがこのまま四段に上がれなかったら、ボクの将棋は誰にも見てもらえなくなっちゃうんですね」
天才先崎、絶好調郷田。奨励会入りしたばかりのころより専門家筋から超大物と目されていた郷田流が、奨励会三段リーグにいたころ、道を歩いていてそばにいる誰にともなくポツリと言った言葉です。
郷田流が四段になるのは時間の問題である、と私めは思っていましたから、この言葉には、「はっ? なに言ってるの?」と、即座に返そうとしたのですが、そのときの郷田流の表情をチラッと見た私めの口は、一瞬でこわばってしまいました。
そのまま何事もなかったかのように歩き続けて着いたところは当初の予定通り新宿の雀荘でありまして、卓につけばもう相手が誰であろうが情け容赦なく戦うほかはありません。戦う相手の人生の重みを胸にずしりと感じながら時を共有して打つマージャンもまたなかなかのものでありました。

悩みながらも、麻雀に付き合うところが郷田三段の可愛いところだと思う。

中野さんの話では、郷田棋王は麻雀も長考派だったという。

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羽生善治竜王(当時)と菊池桃子さん へのコメント

タヌキ顔とキツネ顔、少年顔と少女顔の分類法はかなりいい線を行っていると私めも思います。
私めがまだ三、四十代の頃は、親しい友の女性の好みが私めと違うことが分かるとホッとした気持ちになったものです。
あるとき、棋士が中心のゴルフコンペに参加しましたおりに、ゴルフ場の休憩室に掲げてある女性四人組のポスターを巡って、「俺はこの子がいい」「いや僕はこの子だ」なぞと自分の好みの女性のタイプを自白しまくるという珍しいことがありまして、のわんと郷田流と私めの好みの女の子が同じだったのにはショックを覚えました。まあ、素直に嬉しいという気持ちもありましたが、もしかして郷田流と争うようなことになったら手合い違いで負けだよなあ、という思いの方が強かったのであります。今、こうして振り返ってみると、私め、かなりずうずうしいというか背負ってるというか、ま、とにかく変ですね。

この頃の4人組のユニットというとSPEEDと思われる。たしかに当時、4人の中で誰が一番の好みか、という会話が多かった記憶がある。

SPEEDのメンバーは以下の4人。

上原多香子(うえはらたかこ) 生年月日:1983.1.14 血液型:A型

島袋寛子(しまぶくろひろこ) 生年月日:1984.4.7 血液型:A型

今井絵理子(いまいえりこ) 生年月日:1983.9.22 血液型:O型

新垣仁絵(あらかきひとえ) 生年月日:1981.4.7 血液型:AB型

中野さんの好み(=郷田棋王の好み)が誰だったのか、中野さんに上記のホームページで確認をしていただき、コメントを待ちたいところだ。

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先崎学八段編

超スピード昇段へのコメント

いずれのおんときにか、新宿将棋センターにて、先崎流に「俺が将棋の写真撮り始めてからもうゆうに十年は経つけどさ、最初は初段あるかないかぐらいだったのが、今は四段くらいは指せるようになったかなあ。そうだ、先崎、お前、内弟子してたころここに通っていたことあったよな。お前、初段から四段までどれくらいかかった?」と弦巻カメラマンがたずねたことがありました。
そばにおりました私めは弦巻さんとともに先崎流の答えを興味津々で待ちました。
「そうですねえ」と言ってから少し間をおいて先崎流は言いました。
「ま、三秒くらいでしたか」
こ、これには、ワッハッハッハと笑うしかありませんでしたねえ。弦巻さんは笑い終えてすぐ「こいつめ」とつぶやいたのでありました。

 

弦巻さんは2005年まで、「新・弦巻勝写真劇場」という写真日記(ブログ)をやられていた。写真はもちろんのこと、弦巻さんの書く文章は非常に面白い。

現在は最後の記事のみが残っているようだが、また再開してほしいものである。