「おい、有段者、俺に酌しろ」

豊川孝弘七段の奨励会時代。

将棋マガジン1990年2月号、「三段リーグ and 奨励会ニュース」より。駒野茂さんによる記事。

「ハア~。おかしいんじゃないの、今日2連勝してベラベラ舌が回ってますけど」

「そんなことないっすよ。これで小牧選手とは5勝5敗ですね」

「ちみは?(意味は)6勝6敗ですけど。今日やる前までは6勝5敗で私の方が一つ勝ち越してましたけど」

「いえ! 5勝5敗です」

 例会後、2人を含めた数人で飲み屋に行った時の小牧、豊川の会話だ。

 小牧(1981年12月入会)

 豊川(1982年11月入会)

 奨励会入会は小牧の方が一年先輩。豊川が入会した時には、小牧は3級だった。

 豊川にとって、中学生名人戦で戦って、苦い思い出のある小川浩一第6代中学生名人(現準棋士二段)と小牧は一つの目標であり、彼らに追いつき追い越せが豊川の強い思いだった。

 そして順調に昇級を重ねた豊川は、目標である小牧に追いつく。1級でである。

 プロ棋士を目指す者にとって2つの関門がある。一つは初段(入品という)、もう一つは四段だ。2人はこの内の一つ、初段の壁を越える激しいレースを繰り広げる。

 小牧は常に好成績でいつも上がり目を持って例会を迎えていた。

 逆に豊川は波のある成績で星に安定さはない。しかし、瞬発力は鋭く、一気に昇段を果たす。急所で勝てない小牧は、ついに豊川に抜かれてしまう。抜かれる訳はない、と思っていた小牧は落胆する。が、反面、豊川に対いする対抗意識は、この時からむき出しになる。

 ある会に2人が招待された時だ。そこで色々な人に酒をすすめられる両名。

「豊川君、昇段おめでとう。まあまあ一杯」と、こう言われて酒を注がれる豊川。もちろん上機嫌。

 この光景を隣で見ていた小牧の飲み方が荒くなる。小牧は酒を飲んで、耳たぶが赤くなると危険信号だ。この時、小牧の耳たぶはウルトラマンのカラータイマーのように赤く点滅していた。そして、

「おい、有段者、俺に酌しろ」と豊川に言う。

 抑えきれない感情が、言葉に表れる。この日、酩酊した小牧は大荒れに荒れた。彼にとって、初めて味わう悔しさだったのかも知れない。

 豊川が先に昇段して小牧が追いかける。これが二人のレース展開だ。

 同時期に三段になり、今2人は2つ目の壁を越えようとしている。

 三段になって初めて対戦した今期のリーグ7戦目。なんと2回千日手指し直しになったのだ。2人の”負けたくない”の気持ちが強く表れたのだろう。

 冒頭での会話も2人の強い対抗意識からのものだ。常に相手より上にいたい、自分の記憶は正しい、対戦成績でも勝っていたい、と。平素は紳士的な2人だが、こと将棋となると目つきが変わる。

 でも、これがいいのだ。こうした気持ちがあるから互いが成長する。互いがあって自分があるのではないか。

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二つの酒席での光景、目に浮かぶようだ。

周りがハラハラするようなやりとりだが、勝負師同士が思ったことをそのまま口にしたら、このようなやりとりになるのだろう。

テレビドラマには出てこないような生々しいシーン。

逆の意味で、ドラマだと思う。

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この時の三段リーグの主なメンバーは次の通り(三段リーグは22名)。

2位 丸山忠久(19)

3位 郷田真隆(18)

4位 北島忠雄(23)

5位 深浦康市(17)

6位 平藤真吾(26)

10位 佐藤秀司(22)

12位 杉本昌隆(21)

16位 伊藤能(27)

20位 豊川孝弘(22)

22位 小牧毅(23)

ここから、

1990年3月、丸山・郷田

1990年9月、佐藤(秀)・杉本

1991年3月、藤井・平藤

1991年9月、豊川・深浦

と、四段に昇段していく。

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小牧毅三段は、退会後、アマとして朝日オープンにも出場している。

< 第23回朝日オープン将棋選手権予選第7局 > ▲屋敷伸之 九段 対 △小牧毅 アマ

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