NHK将棋講座1996年2月号、高橋呉郎さんのNHK杯トーナメント3回戦〔羽生善治六冠-丸山忠久六段戦〕観戦記「見せます、羽生流振り飛車」より。
羽生も都立高校を卒業したが、苦い記憶もある。勝てば対局が増えるので、欠席時間もてきめんに増えた。大阪で対局がある前日は、授業が終わってから出発する。対局がどんなに遅く終わっても、翌朝は新大阪発始発の新幹線に乗って、八王子の高校に駆けつける。そうまでしても、出席時間が足りなかった。
文部省はじめ日本の教育関係者は、口を開けばお題目のように個性伸張教育の実践を唱える。すでに羽生少年は、高校生としては十分すぎるほど個性を伸ばしていた。しかも、まじめすぎるほどまじめで、授業に出るために最大限の努力をしている。にもかかわらず、卒業決定会議で落とされてしまった。当然、最後の決定は校長が下す。なにが、個性伸張か。ほんとに、その校長の顔が見たいね。
名人・6冠王になった今では、とるに足りない話かもしれないが、あの当時、羽生は「やっぱりショックでした」ともらしている。それでもヘソを曲げずに、不足した単位を通信教育で修得して、高校を卒業した。別に学歴がどうのというのではなく、なにごとも成り行き任せにしない、羽生の性格の一端を物語っているように見える。
—–
羽生二冠が高校3年生だったのは1988年度。
この1988年度末、羽生五段(当時)はNHK杯で初優勝している。
このような時期。
普通だったら、高校を卒業できないと判定された段階で、高校卒業には見切りをつけて、将棋一本に打ち込むと思う。
少なくとも、私ならそうする。
ところが羽生二冠は、そこのところを堪えて、通信制の高校に転入して高校を卒業する。
これは、意志が相当強くなければできることではない。
いったん取り組んだことを途中で投げ出さずに、きちんとケジメをつける。
できそうで、できないことだ。
私と同じAB型とは思えない。
—–
朝日新聞(asahi.com)に2008年に掲載された「天才の育て方」で、羽生善治名人(当時)のお母さん ハツさんが羽生名人について語っている。
森内俊之名人に勝って、羽生永世名人が誕生した2ヵ月後の記事。
→棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:1 好きなのは勉強ではなく将棋だった
→棋士・羽生善治のお母さん ハツさん:2 高校入学、勧めたことを後悔