「私、恥ずかしくてもうご近所歩けませんわ」

元・近代将棋編集長で将棋ペンクラブ幹事の中野隆義さんからブログに頂いたコメントの中から。

升田幸三実力制第四代名人編

升田ワールドヘのコメント

 升田流のところに取材に参りましたおりに、奥様がこんな話をしてくれたことがありました。
「主人たらね。この間私が近所で銀行の副頭取だかをされている方の庭先の道を通りましたら骨董品というのですか、いくつも並んでいるのを見せられていろいろ講釈をされましたんですよ、って、そう話しましたらね、二三日したら、『おっ、副頭取の骨董品を見てきたぞ』って言うんです。私ちょっと心配になって『なにかまた仰ってきたんですか』って聞いたら『おお、ちゃんといろいろと見させてもろてだな、最後に、銀行の副頭取では、ま、この程度のものだな』って言ってきてやったって言うんですよ。私、恥ずかしくてもうご近所歩けませんわ」
もうご近所歩けませんわ、と言いながら、奥様はころころと笑っていらして、私めはこのとき升田流は奥様をこよなく愛されているのだなと思ったのです。

升田実力制第四代名人が、まるで漫画の「いじわるばあさん」みたいだ。

ちなみに、市原悦子さんが主演のドラマ「いじわるばあさん」がYoutubeで視聴できる。

ドラマ「いじわるばあさん」

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大山康晴十五世名人編

振り飛車党への福音へのコメント

>居飛車対振り飛車はこのような変遷を経て現在に至るが、大山十五世名人は、居飛車穴熊に対しても、普通の振り飛車で対抗して勝っていた。

そうなんですよね。田中寅彦流の居飛車穴熊旋風が吹き荒れ振り飛車がけちょんけちょんになっていたころ、大山十五世名人だけは居飛車穴熊に対して五分以上に渡り合っていました。そこで、ある奨励会員が、大山十五世名人が居飛車穴熊に相対した棋譜を集め、その指し方を盗もうとしたところ、大山流の指し方は、美濃囲い~高美濃~銀冠へとふつーに囲いを進めていくだけであったのでした。「これじゃなんの参考にもならないーーっつ」と嘆いたあと、その奨励会員は呟きました。
「結局、将棋は強い者が勝つんだな」と。

アカシヤ書店では、大山康晴全集が入荷されると、すぐに売れてしまうという。

大山将棋は永遠だ。

大山康晴全集 大山康晴全集
価格:¥ 40,777(税込)
発売日:1991-05

演舞場の大山康晴十五世名人ヘのコメント

 大山名人が若い頃にムチャ茂こと松田茂役流と対戦して負かされた話は、大山名人の自伝にも出てきてます。そのときの勝負に勝ったムチャ茂流だけがご馳走攻めにあったことが余ほど悔しかったんですね。
相手と同じ色の和服を着ようという発想は、将棋指しに宿っている相打ち精神からなるものと思います。これは将棋に限ったことではないでしょうが、こちらだけ楽に勝つのはなかなか大変ですので、相手にも自分だけ楽に勝つのはなかなか大変という状況を作ろうとするわけです。
ムチャ茂流には一度、棋譜解説をしてもらったことがあります。
「いやー、ぼくムチャシゲって仇名が付いているだろ。あれは困るんだよほんとに。だって、ファンの皆さんはあの仇名を見て、ぼくの将棋がムチャな将棋だって思っちゃうでしょ。そうじゃなくて、あれは、ぼくがマージャン打っていてあまりにも降りないで上がろうとばかりするから、それで付けられちゃった仇名なんだよ。そりゃぼくだってマージャンでも守りが大切ってのは知っているさ、でも、あれ、遊びでやってんだから守ってばかりじゃ面白くないでしょ。ぼくの将棋はね、ヒジョーに緻密な構想と読みの入った将棋なんだよ。そこんとこしっかり書いといてくださいね」
私め「・・・・・・あの、先生のではなくて・・こ、この将棋の解説を・・」
「あっ、そうだそうだ。ははは、そうだったね。そうそう、君の将棋さっき見てたらさ、顔に似合わずなかなかやるじゃないか」
「は?」
「だから、君、強いんだから、君が思ったように書いておいてくれればいいから」
そ、そんな無茶な。
ムチャシゲ恐るべしの一幕にございます。

ツノ銀中飛車の元祖、松田茂役九段は、”ムチャ茂”、”鳥取のダイヤモンド”と呼ばれていた。

広津久雄九段は、若い頃、”福岡の黒ダイヤ”と呼ばれていたと自身で語っている。

黒ダイヤとは石炭のこと。

石炭が重要な燃料として使われていた頃、ダイヤモンドのように貴重かつ利益をあげることから、石炭を黒ダイヤと呼ぶ人が多かった。

赤ダイヤは小豆のこと。

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中原誠十六世名人編

振らぬなら、振らせてみよう(前編)へのコメント

初手の金上がりといえば、30年くらい前に、NHK杯戦中原ー桐山戦のカメラリハーサルのときに、ディレクターから「では、駒音の具合もみたいので何か一手ずつ指してください」と促されて、桐山流が▲7六歩と指したあと、やや間をおいて中原流がいつもよりことさらサッと手を伸ばして△3二金と指し、オッと思わずその手を覗き込むように見た桐山流に「この手、そんなに悪い手じゃないんだよね。実戦じゃ指しませんけどね、フフフ」とやった場面を思い出しました。
中原流がでたらめを言うわけはないので、ふーむ・・そうなんだあ、将棋って深いんだなあと思ったものです。

中原十六世名人は、1982年十段戦7番勝負第2局(対加藤一二三十段戦)の先手番で、初手▲7八金を指している。この年の名人戦で敗れた中原前名人が、流れを変えようと気分転換を含めた一手であったという。

関西将棋会館のサイトに、初手スペシャル というページがあり、これが非常に面白い。

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中村修九段編

ユーモラスな次の一手 へのコメント

>以前のブログ記事でも書いたが、中村修九段の次の一手には、不思議な雰囲気が漂う作品が多い。

 中村不思議流は、「受けなしは受ける必要がないということ」など、一つの事象をそれまでとは違った視点で捉えた名言がありますですね。
また、面白語録も数々あって、不調に陥っていたあるとき、「月が変わればツキも変わる」とのたもうて、本当に翌月から勝ちまくってみせたこともありました。
一番、クスリと笑えたのは、何かのタイトル戦でしたか(先)羽生ー○○戦の大盤解説をしていた不思議流が、「ここからは先手からこんな手段がありますね」と、なかなかの手順を示したところ、しばしあってその通りの進行になり、そこで中村流が発した科白です。
「ほう。そう指しましたか。羽生くんもなかなかやりますね」

将棋マガジン1990年12月号によると、中村修九段には、ある口癖があったという。

近いうちに紹介したい。