断食道場での棋譜並べ

将棋マガジン1991年9月号、高橋呉郎さんの「形のメモ帳 森けい二 ぶつかり稽古の効用」より。

むしるか、むしられるか

 私の友人にKという競輪好きの同業者がいる。将棋は駒の動かし方さえ知らないのに、芹澤をはじめとする競輪党の棋士と、競輪場で識り合い親しくなった。芹澤の晩年、言動が乱れて、私なんかは敬遠気味になったときでも、Kはとことん付き合った。

 ひところ、森も競輪に首を突っ込んでいたので、Kとじっこんになった。ある晩、森がKの家にふらりと現れた。話がギャンブルに及んで、Kの奥さんが日本古来のカードの遊びならできるというと、森はさっそく「やりましょう」といいだした。奥さんが応じて、ゲームがはじまった。Kのいわく、

「適当に遊ぶのかと思ったら、森さんはそうじゃないんですね。もう真剣そのもの。カミさんのほうも惹き込まれちゃって、なかなかやめない。森さんが泊まるというんで、僕は先に寝ちゃったんですが、翌朝、会ったら、森さん、清々しい顔をしていましたね」

 この話を聞いて、将棋連盟競輪党の士で、森とは麻雀の付き合いも長い野本虎次七段から一言あった。

「モリちゃんなら、そうですよ。むしるか、むしられるかとなったら、一宿一飯の恩義も関係ないんです。相手がだれだろうが、まったく同じなんです」

 十年以上前に、私が生まれて初めて観戦したのが、広津久雄九段と森の一戦だった。将棋会館にきたのも初めてだから、「とうぜん、両棋士とも初対面である。将棋もわからなければ、勝手もわからない。柄にもなくオドオドしていたら、感想戦になって、ていねいに教えてくれたので、胸をなでおろした。

 あのころ、森はメガネをかけていなかった。ときおり、目を細めるので、それでなくても鋭い視線が、いっそう鋭くなる。対局中は、近寄りがたい感じがしていたけれど、感想戦では、口調もやわらかに解説してくれた。

 なにしろ、こちらは初体験だから感謝感激。いまに至るも、森は私にとって、もっとも印象深い棋士のひとりになっている。もっとも、この話にも野本流の注釈がつく。

「モリちゃんのことですから、初対面のときに、これはむしれない人だな、って判断したんですよ。その辺の眼力は鋭いんです。そうとわかれば、とたんにやさしくなる。飾りっ気はないし、あんな気のいい男もいません」

 酒席での会話だから、半分は冗談にしても、飾りっ気がないというのは、思い当たるフシがある。私は森と麻雀をしたこともなければ、じっくり話をしたこともないけれど、遠くから見て、たしかに飾ったところがない。

 だいたい、森の年輩になれば、いまの若い連中は、なにを考えているのか、さっぱりわからない、と異和感をもつ。だから、話をするにも、つい裃をつけたような話になりやすい。

 森は、彼らの生活観がどうの、感受性がどうの、と小難しいことは考えない。べつに構えることなく、だれとも屈託なく話ができる。向こうも、相手が森なら、気がねなく応接できる。

 控え室で、若手の棋士が奨励会員と”10秒将棋”を指していれば、森は、よし、いっちょうもんでやろうか、と気軽に自分も加わる。こんな高段者は、森以外に見当たらない。女流棋士のあいだでも、「森先生なら、なんでも聞きやすい」と人気がある。

 そんな森の周囲に若手棋士が集まって、研究会をもつようになった。次長格が小野修一七段で、森下卓六段、羽生善治竜王、森内俊之五段、先崎学五段らが名を連ねている。いずれも当代若手の代表選手である。

 じつをいえば、私は、森がこのメンバーと研究会を開くのは、森がクルマを運転する以上に、ふしぎでしょうがなかった。先崎をのぞけば自然児のタイプはひとりもいない。それが、森の人柄に由来するものと聞いて、いちおうは納得したものの、なお、ひっかかるものがある。

断食道場にこもって

 森の将棋について、先の観戦記で芹澤はこう書いている。

<森には良い意味での”狂気”を感ずる。将棋の表現の仕方にも常識を超えた”狂”を感ずる。ことによると、筆者らを超えた素晴らしい”感性”があるのかも知れない。

 しかし思うに、将棋が余りにも乱暴である。誰にでも勝てる要素があるかわりに、誰にでも負ける要素があるように思う>

 この文章が書かれたのは9年前だが、いまでも森の将棋の本質は変わっていないと思う。芹澤のいう後段もふくめて、これが森の魅力といっていい。

 だれだったか、「野生は研鑽によっては得られない」といった文学者がいた。教育や社会通念によって、生まれながらに備わった資質が消えていくことを嘆いている。

 森は若いころ、毎日のように大内の家へ将棋を指しにいったと聞く。たぶん、これは研究というより”ぶつかり稽古”だったはずである。おかげで森の”狂”(野生)は、”研鑽”によって失われることもなかった。森自身がいう”体でおぼえたオジサンの将棋”は、こういうぶつかり稽古で鍛えられたものだろう。

 近年、若手棋士のあいだでは、”研鑽”が主流を占めつつあるように思える。技術の進歩をもたらすから、異をはさむ筋合いはないにしても、そのぶん、”野生”がかたすみに押しやられてしまうようで、寂しい気がしないでもない。

 森の研究会の内容は知る由もないけれど、森が多少とも”研鑽”に色気を出しているなら、これは一大事である。”狂”の魅力が、消えるおそれがないともかぎらない。

 そんな心配をしていたら、カメラマンの弦巻さんが、ちょっといい話を聞かせてくれた。

 昨年、森は、弦巻さんと将棋ライターの湯川博士さんを誘って、断食道場にこもった。麻雀をしながら、一晩にビールを一ダースも飲むのに、やせるためとなったら、一足飛びに断食をするあたりが、いかにも森らしい。

 森は断食道場に棋譜をもっていった。断食にはいって何日目かの朝、弦巻さんが目を覚ますと―

「森さんが棋譜を並べているんですね。それも、じーっと考えている。眠っているようにみえて、そうじゃないんです。30分くらい、そのまま考えていた。ぼくは、これがこの男の本質だと思いましたね。鬼気迫るっていうか、凄いと思った」

 私も、森けい二はこうでなくてはいけないと思う。こういう本性をもちつづけていれば、なにも心配する必要はなさそうだ。

 とにかく、森けい二と、もうひとり田中寅彦には、もっと勝ってもらわなくては困る。この二人がタイトル戦で暴れれば、将棋界は、がぜんにぎやかになる。

 3年前、森が谷川浩司から王位を奪ったとき、打ち上げの席で、高々とVサインを出している森の笑顔が写真週刊誌に載った。あれはよかった。

 あの写真、森の背後には、敗者の谷川も写っていた。そんな場所でのVサインは、ほかの棋士なら、ひんしゅくを買いそうだが、森なら許される。これ自然児ならではの特権だろう。

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1998年頃のこと。

新宿の酒場で飲んでいると、その店の常連のテレビ番組制作会社の女性ディレクター(将棋アマ初段)が、「誰かいい人知らない?」と声をかけてきた。

話の主旨はこうだった。

・近々、断食道場に関するドキュメンタリーを制作する。

・メインは、断食道場へ行った女性の道場での数日間。

・断食道場へ行ってくれる女性を探している。

・道場の費用、交通費、謝金は番組で用意する。

・適度に太っていて、明るいキャラクターで、テレビ映えする女性を求む。

話を聞いて、私の頭の中に一人の女性が浮かんできた。

歌舞伎町の酒場でアルバイトをしている女性。

「その店に、これから行ってみましょう」

即座に、私と女性ディレクターは歌舞伎町へと向かう。

店に入って、女性ディレクターは雑談をしながら、その女性を観察する。

間もなく女性ディレクターは私に、「もう、完璧!」。

番組出演交渉が開始された。

その女性は、はじめはビックリしていたが、OKがすぐに出た。

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番組が放映されたのは、その1ヵ月後。

出演した本人に聞くと、ソフトランディングで断食をするものの、断食自体は彼女にとっては、相当にハードだったらしい。

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断食道場は、森けい二九段にとっては趣味のひとつ。

断食道場向きの人と、そうではない人に分かれるのかもしれない。