将棋マガジン1990年2月号、河口俊彦六段(当時)の「対局日誌」より。
屋敷少年が棋聖戦の挑戦者になった。17歳。プロになってまだ一年とちょっとだそうである。
本欄で紹介しないうちに、タイトル保持者になったら、お前はどこを見ているんだ、と叱られるだろうが、本当は気になってはいたのである。
11月10日に、棋聖戦準決勝の塚田~屋敷戦があり、その日は私も観戦していた。そして、塚田が負けたあと、塚田と数人の若手棋士とで食事もした。取材はしてあったのだが、書く気になれなかった。
前に進まなければ勝てないのがラグビー。前に進まなければ勝てるのが将棋。屋敷の将棋を見ていると、そんな感じがするのである。
将棋の内容については私の偏見としても、ここにきわまった感のある、将棋界の低年齢化をどう見るべきなのだろうか。
少年たちが勝つのはおもしろい、と言う人がいる。私もそう思うが、それにしても程度がある。屋敷はたしかに強い、それは認めるが、先輩棋士もだらしないではないか。若手棋士がそこそこ勝つのは当然だが、準決勝、決勝は止めて見せるのが先輩の貫禄だろう。
決勝で負けた高橋の胸中どんなものだったか、恐らく、はらわたが煮えくり返っていた。観戦記担当の中島君の話によれば、投了後10分あまり、一言も発しなかった。やがて「まずい将棋を指して、申し訳ありません」と言い、投了の局面のまま帰ってしまったそうである。
その高橋流のパフォーマンス、やってくれた、と言いたい。
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この時期、今からは想像もつかないことだが、屋敷伸之四段(当時)も多くの感想戦で、ほとんど無口だった。高橋道雄八段(当時)が何もしゃべらなければ、ずっと沈黙の時間が続くことになる。
観戦記者にとっては、いいネタに直面できたと思う反面、棋譜の意味が全くわからない・・・とゾッとする瞬間でもある。