将棋マガジン1991年2月号、羽生善治竜王(当時)の「羽生善治の懸賞次の一手」より。
最近、機会があって「夢の遊眠社」野田秀樹の演劇を先崎五段と二人で見に行きました。見る前はそんなに有名なものだとは知りませんでしたが、「三代目、りちやあど」という題で、賞を取ったそうです。
劇場も満員で、入場券を手に入れるのも、結構大変なようです。
今まで、演劇はほとんど見たことがなかったのですが、これはコメディーあり、シリアスなところありで、非常に面白い劇でした。
また機会があったら、是非行きたいと思っています。
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「三代目、りちゃあど」は、1990年10月から12月まで、東京・グローブ座で公演されていた。
昨年の記事「一人で行って・・・」で取り上げているが、1992年の先崎学五段(当時)の著書「一葉の写真」では、この時のことが次のように描かれている。
羽生と僕は、棋士仲間でもあり遊び仲間でもあるので、気が合うだけではなく顔も頻繁に合わせるのだが、三局目と四局目の間は、一度も会うことがなかった。友のうちひしがれた姿を見るのはせつなかったし。向こうだって会いたくないだろうと思った。だいいち、一緒に酒を飲んだって旨いわけがない。
四局目に羽生が大逆転で待望の一勝をあげたあと、二人で小劇場で行われる演劇を観に行った。息もつかせぬ展開で、体制権威に対するブラックユーモアにあふれた現代劇はすばらしかったのだが、不幸なことに、劇が終わったとき外は大雨だった。
(中略)
二人とも傘など持っているわけがない。「どうしようか」目と目が合った瞬間に大きなため息だでる。小劇場は団地の真ん中にあるので、近くに雨宿りできるところはない。駅まで約十五分。走ったって風邪をひくかもしれない。この大事なときに―である。
(中略)
二十分も待ったろうか。小やみになりそうにないので、駅まで走ることで意見が一致した。
「一、二、の三」
小声で囁きあうと、二人は頭の上に新聞紙をのせて走りだした。途中に赤信号があったが、当然、無視、である。後ろで車の急ブレーキの音がした。ひたすら走った。
駅の近くの繁華街まで走るのを覚悟していたのだが、二分も走ったとき、道の左にオレンジ色の明かりが見えた。
(コンビニエンスストアだ!)
僕は、先に走る羽生に「入れ、入れ」と大声で叫んだ。「夏山や、水場みつけて生きかえり」といった心境になる。
「やったぜ」「ざまあみやがれ」
そんなやりとりをしたあと、二人で破顔一笑となった。羽生は、じつによい笑顔をつくった。傘は、四百五十円だった。
二日後にまた会った。これは、二人にとってちょっと楽しい一日だったので、彼は一日じゅう上機嫌だった。これなら-と思って少し嬉しくなったのだが・・・。
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東京グローブ座の最寄り駅は新大久保駅。
地図を見ると、当時からあったかどうかは不明だが、駅までの間にセブンイレブンが一軒だけある。
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私も東京グローブ座には一度だけ行ったことがある。
1989年のことだと思うが、シェイクスピアの劇だった。
友人の知り合いが出演しているというので行ったのだった。
初めてその劇団の劇を観たときは、何でこんな場面で皆は笑うのだろう、と何度も不可解に思ったが、二度、三度と観るうちに慣れてきて、自然に笑えるようになった。
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そういえば、1993年に宇梶剛士さんが率いる劇団の劇を下北沢へ観に行ったことがある。
これは、私の知り合いの友人の親友が主役を務めていたため。
面白かった。
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宇梶剛士さんといえば、大河ドラマ「平清盛」で源頼政の役をやっている。
以仁王と結んで平氏打倒の挙兵を計画するのはこれから。
番組が楽しみだ。