風車 風の吹くまで 昼寝かな

将棋マガジン1988年1月号、中原誠名人の「私のベスト十二局」より。

 1982年の7月末には名人位を加藤さんに、9月には王位を内藤さんにと、タイトルを立て続けに奪われた私はあっというまに”無冠”になってしまいました。まあ名人というのはいつかは取られると、あるていどは覚悟していたんですが、まさか無冠までなるとは思っていませんでした。このときタイトル保持者の数が多く、いままで一位だったのがまずか二ヵ月足らずで六位になってしまい、なんだか急に立場が変わったようで最初はやはりかなりの戸惑いと焦りがありました。そういった時期にたまたま十段リーグが好調で、挑戦権を得たのです。

 相手の加藤さんは名人・十段と二冠を持っていて絶好調でしたが、それだけにやりがいもあり、タイトル復活と加藤さん自体に借りを返したい気持ちもあって、奪還の意欲には燃えました。

 第1回に取り上げたのは、そのシリーズの第一局です。名人戦が終わってまだ三ヶ月しか経っていなく、ちょっと負けじたにもなっていたので、出だしの一、二局目あたりが特に大事であると思っていました。

 長年タイトル戦をやってますと、どうしても七番勝負だと一局ぐらいはポカッと抜けた将棋を指すことがあるんです。しかしこのシリーズには全くそれがありませんでした。

 二局目と四局目を負けましたが、内容もよく、時間も目一杯使っています。逆に加藤さんの方は三局目と五局目の出来なんかが悪く、やはり”追われる立場と追う立場”があるんだなという気がしました。

 焦りも消え、精神的に余裕が生まれたのは、三局目を過ぎたあたりだったでしょうか。そのきっかけになったのが、一冊の本です。伊藤肇著「左遷の哲学」が、それです。

 この本は名人を失った直後、あるファンの方から贈って頂いたものですが、その頃、読めるような心境ではとてもありませんでした。

<風車 風の吹くまで 昼寝かな>

 これは広田弘毅(元首相)が不本意な左遷を命じられたときに残した一句で、私はここの部分に深い感銘を受け、人生は長丁場、いいときもあれば悪いときも必ずあるというわけで、気持ちがすうっと落ち着いたのです。

(以下略)

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1982年は、中原誠十六世名人が1972年から保持してきた名人位を加藤一二三九段に奪われた年。無冠になるのは1969年以来のことになる。

しかし、同じ年の後半に、十段、王座、棋聖を奪取して、1985年には名人に返り咲く。

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「左遷の哲学」は1978年に発売されたロングセラー。

著者の伊藤肇氏は大正15年生まれ。

『財界』の編集長を長く務めていた。

   

左遷の哲学―「嵐の中でも時間はたつ」 左遷の哲学―「嵐の中でも時間はたつ」
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2009-03-13

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悲劇の宰相と呼ばれた広田弘毅元首相は、城山三郎著の『落日燃ゆ』の主人公。

「風車 風の吹くまで 昼寝かな」は、外務省時代、欧州局長からオランダ公使に異動させられた時に読まれた句だ。

    

落日燃ゆ (新潮文庫) 落日燃ゆ (新潮文庫)
価格:¥ 704(税込)
発売日:1986-11

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男性が失恋をした際の、「女性を忘れるには女性だ」という金言があるが、中長期で見れば「風車 風の吹くまで 昼寝かな」のほうが正しいのかもしれない。