大山康晴十五世名人「ただ、今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ」

将棋マガジン1986年10月号、「大山十五世名人、米長将棋を語る」より。

最近の米長将棋

大山 全体的に見て、米長さんの調子が、自分でつけたかどうか知らないが”泥沼流”という将棋とは、ちょっと離れてますよね。

 今、どっちかと言うと”清流のアユ”という感じなんですよ。非常に華麗な、すっきりした印象を与える面が見え、一時ほどの粘りと頑張りですね、これが少し欠けているような気がしますね。

 ”清流のアユ”そういうものが、いい面に出る場合と、逆の面に出る場合が、勝負にはあるんですよね。常にどれが最善ということはないんですが、今言った面が、最近の将棋の何局かで、裏目に出てしまっている感じがするんでね。勝負という事に影響しているんじゃないかしら。

 自ら”泥沼流”を名乗る米長さんが、自分の泥沼にアユを放ったら、それは死んでしまいますよ(笑)。

棋聖戦第四局

大山 この将棋で、私が具体的に気付いたのは、次の二ヶ所ね。

 まず1図から2図までの、米長さんの指し方。

1図以下の指し手
△5四銀▲5五歩△4五歩▲5六銀△6三金▲7七角△6五銀(2図)

大山 △5四銀と出て、▲5五歩に対して△4五歩と突いた手ね。そして△6五銀とぶつけていったこの着想ね。

 以前なら、こうした流れには、持って行かなかったんじゃないかと思うんですよ。

 相手が角道を開けられない(▲5四歩に△8八角成の素抜き)というような所を突きながら、きれいにおもしろく行こうと、こういう感じを受けますよね。

 これはこれで、結果的にはいい方向へ進んだみたいだけど―。

 それからもうひとつは、3図以下ね。

3図以下の指し手
△3三桂▲4二金△2七銀▲3八歩△2一金▲4三金△3一金▲同馬△同飛▲4二角(4図)
△2一飛▲3三金△2二銀▲3二銀△5五角▲3一角成△1五歩▲2三金打まで、桐山九段の勝ち。

大山 ここじゃあ米長さんの方がいいんじゃないの。(3図以下△2七銀▲3八金△2六歩▲2八歩△3八銀成▲同玉△6二飛とすれば米長優勢だった)

 この後問題があったとしても、こんなに簡単に終る将棋じゃないでしょう。

 例えば4図で、△7一飛成と引っ張って頑張るとかね。(4図以下△7一飛成▲3三角成△同飛▲同金△2八銀打▲4九玉△3八銀成▲同玉△3七銀成▲同玉△5五角で、3三の金を素抜けば、まだまだ大変な勝負)

 最初に言ったようなことが、”勝ち、負け”という結果において、悪い方に出てしまってるもんね。

このままでは終わらない

大山 いずれにしても米長さんの年齢を考えた場合、まだまだ指し盛りが続くはずで、棋聖戦を負け、王位戦も今日(8月5日)の段階で二連敗ですけれど、このまま終るとは思えないよね。またすぐ調子を上げてきますよ。

 棋士というか、勝負にたずさわる私達はね、一年の内でも二度や三度は「最近少し調子がいいな」とか、「ここんとこ、ちょっとおかしいぞ」と思うこと、誰しもあるもんなんですよ。そんなに365日通じて、絶好調なんてあり得ないですよ。

 たまたま対局の多い時期、少ない時期の違いだとか、一局の勝負の結果において、影響力のある試合と、比較的少ない試合との違いね、そういうもんによっての好不調というのを、評論家が大きく取り上げるだけなんですよ(笑)。

 勝負ということは、もちろん大事であってもね、私達棋士は、常に、その内容を見て、最近の状態はどうなのかを判断するもんなんですよ。また、そうした基準でもって対局に臨むもんなんですよ。

 それから見ると、最近の米長さんの将棋は、さっきも言ったように、俗に言う”泥沼”、よく意味はわらんけれど、そういう将棋じゃなて、あっさりした面が出たことがまたま裏目となった感じですね。

 桐山さんとの将棋にしろ、高橋君とのにしろ、そういった面が負け。という結果で表われたため、世間から「不調だ」「いや、もうおしまいじゃなかろうか」と言われるんであってね(笑)。

対高橋戦

大山 周囲を見る目って言うんですか、そういった点、米長さんは、長けてると思いますね。だから、この相手にはこのくらいのペースで、こうやっとけば、何とか行けるんじゃないかとかね。相手の力を計っての指し方というもの、それはあると思いますよ。

 高橋君との将棋になると、これはもう米長さんの方がやりにくいですよ。勝って当たり前ですしね。それだけにねえ、私は対局を見に行ってませんが、やっぱり言動、振るまいといったものが、常に兄貴ぶってるところがありますよ。これは当然のことなんですよ。

 高橋君の方は、そうじゃなくって黙々とやる方でしょう。

 そういうことが、やはり一局の中にたとえ一手でも反映すると、影響が出てくるわけなんですよね。まあ、それが勝負なんであってね、一手一手の指し手そのもんについては、四段以上になれば、そんなに違うとこ、ありゃあしないんですよ(笑)。

(中略)

情報化時代

大山 この将棋なんかもそうだけど米長さんが、矢倉の序盤で▲4六歩と突いていく指し方ね。これなんかひと昔前にはよく指されましたよね。

 将棋には”流行”ということがあってね。ひとつがすたれると、またひとつがはやり出す。そういう意味で、米長さんがこういう将棋を指すことはね、昔に戻るようだけど、その中に、また新しいものを何か求めているんじゃあなかろうかと、思うんですよね。

 だけど、どの将棋でも一緒ですよ、同じことやってんだもん(笑)。矢倉だって振飛車だってね。

 そりゃあ見る人の目が違うから、新しい感じに見えるだけなんですよ。

 ただ、ここ二十年、三十年の間に棋士の人数が増えたために、番数が多くなりましたよね。それだけにいろんなデータが豊富になり、そこに戦前と今日との違いは出てくると思いますよね。

 情報化時代というのが、将棋界にも影響してきており、いろんな情報を元にしてのね、対局が行なわれてきていることは事実でしょうね。まあ、今はどの社会でも共通してそうでしょうけどね。

最終的にはカ

大山 ただ、最終的には、覚えるんじゃなくて、物を考えると言うんですか、そこが大切なんですよね。

 情報を集めるといっても、する気があれば、それは誰でもできることであってね。一人しかできないことじゃないもんね。

 同じような気持ちで、やる気があってやっても、やっぱりその中には強い人、弱い人、勝ち負けの率が違ってくるのは、しようがないことであってね。

忙しいのが敗因ではない

大山 米長さん、別に健康の面においては何も異常ないでしょう。

「将棋以外の仕事が忙しいからー」と、もっともらしく不調に結びつけるのは、評論家の言う言葉なんですよ。私はそう思ってんの。評論家というのはね、何らかの理屈づけをしなけりゃ、評論家じゃないわけですよ。で、将棋の技術とか、人間性に触れられないとか、そういった時に、その「仕事が忙しいから」と、もっともらしく理屈をつけて、うまく逃げてるわけなんですよ。

 私なんかも忙しい方かもしれないけれど、そんなことはね、本人自身がよく心得てますよ。対局の上でおいて、それほどマイナスだと思ってないだろうし、感じないからこそ、仕事こなしてるんであって。だからそれは余り影響してないんじゃないかと思いますよ。

 それでね。まあ、頭の使い方になるんですけれど、日頃ボンヤリしていて、さあ大事な仕事という時、一生懸命やれと言われて、できるもんじゃあないでよ。

 社会的に見てもやっぱり大事な仕事を数多くこなすような人は、日頃からよく頭を使い、またよく体を動かしていますよ。

 米長さんだって、そういう今の立場に置かれているからね。

 ただ、日頃から余り忙しいと、”泥沼”というような粘り、ジッとする面が、若干は欠けますね。これは事実ですよ。サラッとしたような流れになりやすいということは、言えますよ。

 その辺、若干は関連があるかもしれんけれど、忙しいだけで調子を崩したということはありませんよ。

名人位

大山 米長さんが名人位をまだ取れないということねえ。

 それは、周りでワイワイ言うだけのことであってね。その棋戦での運、不運としか、言いようがないんじゃないの。

 別に負けようと思ってやってるわけじゃないしね(笑)。

 そりゃあ確かに名人戦は、どの棋士も力を入れてますよ。名人が一番という思いは持っているでしょう。だけど、米長さんにしたって、中原さんにしたって、皆んな、どの将棋も一生懸命指しているんだもの。

 できることなら、全部勝ちたいもんねえ(笑)。

 ただ、今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ。群雄割拠と言えば聞こえはいいけれど、私に言わせれば、皆、どんぐりの背比べ、ですよ(笑)。

 いくつあっても、全部タイトルを取るのが本当なんだけどね。

 私なんか、最盛期にタイトル戦が七つあったら、七つとも全部取ってましたよ、おそらく。

 本当に強ければ、全棋戦制覇は可能ですよ。それができないというのは、そこに皆、何らかの原因があるんですよ。

最後に一言

大山 まあ、いろいろ言われているようだけど、米長さんも十段戦までには、必ず調子を上げてきますよ。そして防衛して、応援しているファンの方々を安心させてやってもらいたいですね。

 王位戦は相手が弟弟子でもあることだし、そんなに無理矢理タイトルを取り上げなくても、いいんじゃないの(笑)。

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「自ら”泥沼流”を名乗る米長さんが、自分の泥沼にアユを放ったら、それは死んでしまいますよ」

渋い演歌歌手だった人がいきなりアイドル路線に走ったとしても、アイドル性が全く活きない、ということと同じようなことだと思う。

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それにしても、大山康晴十五世名人の言葉は非常に説得力がある。

やはり、実績に裏打ちされているのが大きい。

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「ただ、今、七つのタイトルを六人で分け合っていますよね。これは、おもしろいかもしれんけれど、あまり好ましい傾向ではないと思いますよ」

これは、短い間ならファンも喜んで見てくれるけれども、絶対強者が現れずにいつまでも戦国時代が続くと、中長期的にはファンが離れていってしまうということ。

たしかに戦国時代も、織田信長がいて豊臣秀吉がいて徳川家康がいたからテレビドラマの視聴率も上がるわけだ。

織田・豊臣・徳川の戦国時代が応仁の乱のような展開になっていたら、テレビ的、映画的、文学的には厳しかったと思う。

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「王位戦は相手が弟弟子でもあることだし、そんなに無理矢理タイトルを取り上げなくても、いいんじゃないの(笑)」

この頃は、米長邦雄十段(当時)が王位戦七段勝負で高橋道雄王位(当時)に挑戦中。

米長十段は0勝4敗で敗れることになるが、大山十五世名人の珍しいジョークだ。