今日からは2001年度版のA級順位戦最終局マル秘レポート。
将棋ペンクラブ会報2002年春号、笹川進さんの「A級順位戦最終局マル秘レポート 藤井猛九段-森内俊之八段戦編」より。
好評連載(去年だけだ)、他では絶対読めないマル秘レポート。私が書いた正しいレポートは今発売中の「近代将棋」5月号に掲載されているので、ぜひ買って下さいね。1冊500円で超おトク!
藤井-森内戦
▲今年のファッション大賞は藤井九段。黒のダッフルコートを脱ぐと、黒のスーツにオレンジのシャツ。おっしゃれ~。
△藤井が変則穴熊の2七の銀を3六に上がった手に控え室は「ナゾだ」。田中寅九段、「あとで2七に引いて一手パスするつもりじゃないか」(ホントかあ)。
▲藤井の四間飛車に森内八段のミレニアム。森内が控え室に現われ「マイりましたね。千日手を目指すしかないですよ」。一同アセるが、その舌の根を乾かぬうちに仕掛ける。あれは三味線だったのか、気が変わったのか。でも、考えてみれば、対局中に本音を言うわけがないな。
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森内俊之八段(当時)はこの最終局を7勝1敗で迎えており、勝てば挑戦決定、敗れれば佐藤康光王将とのプレーオフの可能性が残る一局だった。
藤井猛九段は4勝4敗。
非常に森内八段らしさが出た中盤だった。
将棋世界2002年5月号、河口俊彦七段の「対局日誌」より。
加藤玉が中央に出たころ、となりの部屋の森内も、巧妙に指しつづけて勝勢になっていた。
6図は圧巻の場面で、ここで森内は△8六歩と打ったのである。なぜ△5四歩と打たないのか、と控え室では首を傾げたが、ここでの森内の読みは深かった。
△5四歩だと、▲7四と△9三角▲9五角と出る鬼手がある。△7八飛成とポロリ飛車を抜かれるから、そんなバカなと言いたくなるが、次、▲6二角成として、これが結構うるさい。藤井はこれを狙っていたのだが、それを森内は見破り手を殺したのである。
こういったところに森内の強さがあらわれているのだが、一般受けという面では損をしている。
手を殺すといえば、7図の△7三角も好例。
▲9一竜を消され、藤井はますます苦しくなった。そして、▲5四銀と自爆のような手を指した。これを△同金と取ってからの森内は正確無比。8図△3九銀までで勝ちを決めた。
このあたりを盤側で見ていたが、森内は顔色を変えず、落ち着いたものだった。ところが、とどめの一手を指す前、森内はすこし考え、茶を一口二口すすったそうである。私は見てなかったが、テレビにその場面がうつっていたとか。やはり平静ではなかったのだ。
午後零時8分、森内が挑戦者と決まった。
(以下略)
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将棋世界の同じ号、橋本真季さんの「ナデシコ真季 ほのぼのエッセイ」より。
ギリリギリリと音がした。ノコギリをひく、音がした。
「将棋界の一番長い日」を観ていた。静かな夜だった。画面は次々と大詰めを迎えた対局を映しだし、要点の解説が行われている。その解説の声が少し小さくなり、画面には森内八段と藤井九段の対局が映し出された。
「次の手を見て藤井九段は投了するでしょう」と島八段が言ってから、どのくらい時間が経ったろう。いつの間にか画面には、ギザギザした、張りつめた空気がいっぱいに広がっている。
藤井九段は静かに次の一手を待っていた。少し前から、観念したような潔い駒音は勝負の終わりを告げている。なのに、森内八段は最後の一手をなかなか指そうとしない。じっと一点をみつめ、ゆっくりお茶を飲んでいる。
「この瞬間が一番辛いんですよね」と、島八段の声がしてハッと我に返った。いつの間にか画面に釘付けになっていたのだ。なんだかよくわからないけど、この沈黙は重すぎるぞ、という雰囲気は素人目にも察せられる。
森内八段はようやく湯呑みを茶托に戻した。これでやっと終わりだ。私は少しホッとして、細く息を吐き出した。
しかし、森内八段の右手は茶托の横のティッシュケースに伸びた。そしてゆっくりとティッシュを引き出し、静かに口元をぬぐった。
ギリリギリリと音がした。ノコギリをひく、音がした。森内八段が最後の最後に取り出したのは、鋭利な刃物ではなく、切れ味の悪いノコギリだった。藤井九段の表情は先ほどから少しも変わらない。けれど、テレビのこちらから観ている私には、猫に捕らえられた雀のように見えた。
数分が過ぎ、ようやく最後の一手が指され、森内八段と藤井九段の戦いは幕を閉じた。
いままで衛星放送ではいろんな終局場面を観てきたが、お互いが察し合い、サッと引き上げるように終わっていることが多かったので驚いた。
きっと森内八段は藤井九段と次に対局する日のことを思い描きながら、この数分を過ごしていたに違いない。
「将棋界の一番長い日」。
棋士には一夜で終わる戦いといつまでも終わらない戦いがあるのだということを、私はこの夜初めて知った。
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橋下真季さんが書いている投了一手前の局面は下の図。
7手詰めとはいえ、△2九金から清算していくだけの並べ詰め。
ここで森内八段(当時)がお茶を飲んだのは、6年振り2度目の名人挑戦を目前にして、河口七段が書いている通り、平静ではなかったのだと思う。
しかし、橋下真季さんの感じ方も説得力がある。
本当のところはどちらだったのだろう。